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居候の剣士と高校生のわたし  作者: 芳賀さこ
剣士、現る!?
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初出勤

 トレスの初出勤の朝が来た。空は彼以上に緊張している。初日から遅刻したら大変と彼女より先に玄関へ向かった。

「ハンカチ、持った?」

「ああ」

「筆記用具は?」

「持った」

「目上の人には勿論、皆にもちゃんと挨拶をするんだよ。タメ口はダメだからね」

「分かった」

「それから……」 

「まだ、あるのか!?」

 あまりの忠告の多さにうんざりしたトレスがキレ気味に振り向くと、手に弁当を持った空が寂しそうな目をして立っていた。

「……お弁当、作ったから食べてって言おうとしたのに」

「すまん。俺も気持ちが高ぶっていたから……」

 つい本心をこぼすと、空がにこっと笑った。

「トレスでも緊張するんだ」

「うるさい!」

 空の手から弁当を受け取ると少々乱暴に鞄に詰め込む。

「いってらっしゃーい」


 -「いってらっしゃい」か。久し振りに言われたな。


 元気よく見送る空の姿に、かつてオバジーンで出撃するトレスに部下や妹みたいな町娘に言われた光景を思い出して心が落ち着いた。


「あっ!! 私も学校にいかなくちゃ!!」

 二人分の弁当、しかもトレスのは体育会系の男子並みの特大サイズなので支度に手間取って時間がない。

 通学鞄を小脇に抱えると慌てて玄関を飛び出した。



 空が書いたメモを頼りにバスに乗ってようやく飯尾の会社に到着すると、トレスと同年代とみられる若者が入口で出迎えた。

「お早うございます。飯尾さんから教育係に指名された青山です」

 青山の笑顔は引きつり、目は泳ぎっ放しでトレスを直視しない。気のせいか怯えている様子だ。

 最初はあの飯尾の影に怯えていたかと思っていたが、原因は自分にあるのだと職場全員に紹介された時に判明した。

 わざとらしく咳払いをした飯尾がトレスを呼んで隣に来させる。

「今日から仲間の……、レイだ」

「……トレスです」と、小声で訂正すると飯尾が面倒臭そうに彼を一瞥した。

「細かいこと言うな!!」

 何が可笑しいのか豪快に笑うとまたトレスの背中を力任せに叩いた。


 ー細かいって名前たった三文字だぞ。しかも『レ』しか合ってないし!!


「詳しいことはこいつらから聞け。以上、解散!!」

 一方的に話を畳んだ飯尾がいなくなると、一同はある一定の距離を保って彼に近付くどころか後ずさりさえしている。

 藍色の髪と瞳のせいかと考えたが、自分より派手な髪の色は結構いるではないか。

「あ、あのさ……。飯尾さんに十字固め決めたって本当か?」

「ジュウジガタメ?」

「ほら、腕を伸ばした関節技だよ」


 ーあれがジュウジガダメというのか。


 向こうの世界では技に呼び名が付いていなかったので記憶のメモに書き止めておく。

 トレスが黙って頷くとあちらこちらからどよめきが起きた。

「だから言っただろうが」

「そりゃ見事な決め技だったぞ」

 どうやら、飯尾を負かしたので一目置かれた存在になっていたらしい。



 今日の空の昼食は、友人三人で学食となった。

「珍しいね。空が学食に行くなんて」

  玲奈が忙しく箸を動かしながら言った。

 ほとんど弁当を持参するのだが、今朝はトレスの特大弁当に悪戦苦闘していたので自分のは作る余裕がなかったのである。


 ー美味しく食べてくれたらいいなあ。



 その頃、トレス達も昼食時間となり職場の食堂で各々弁当を広げる。

 今朝は空が頑張って弁当を用意してくれたのに素っ気ない態度を取って申し訳なかったと反省しながら蓋を開けた瞬間、トレスの目が点になりまた蓋を閉めてしまった。


 ー今、ブタが笑っていなかったか……?


 もう一度そっと蓋を開けて弁当を覗き込むと、そこには空渾身の作『ゆで卵ブタさん』が中央に鎮座しているではないか。

 よく見るとゆで卵をブタに見立てて耳はハム、目は黒ゴマで大きく笑った口は紅ショウガで模っている。他にもミートボールが動物だったりと思わぬキャラ弁にトレスは言葉を失い茫然としていると飯尾がやって来た。

「おっ!! 久恵さん特製弁当か」

 空と同居していると知ったら飯尾がうるさいということで住所は杉本家になっているのを思い出して頷いた。

「どれどれ、見せてみろ」

「あ、いや、その……」

 悩んだ末に見られる前に証拠隠滅とばかりに弁当を急いでかきこむ羽目となった。



 午後五時、長かったような短かったような出勤初日がようやく終わりを告げた。今日は、教育係の青山の案内で事務所を回ったり仕事の説明を受けたりして現場に出ることはなかった。

 途中、青山とはちょっとした会話を交わしたが、トレスの身の上を聞くことはなかったので内心ほっとする。

 実は、飯尾が彼の身上を考慮して職場の人々に緘口令を引いていた。元々、この会社も深い事情を抱えている社員が多いのでその辺りは皆心得ているらしい。何はともあれやり易い職場には違いない。

 会社を出ると、また空のメモの通りにバス停で待っていると女子高生がこちらを見ながらひそひそと話し始めたのでワークキャップを目深に被りやり過ごした。



 部屋に帰ると空は『ふくちゃん』のバイトの為いなかったので弁当箱をキッチンへ置いた。

 残念ながら、彼女が丹精込めて作った弁当は飯尾の登場で味わう暇がなかったが味覚と量は満たされた。

 慣れない環境と気の遣いすぎか、軽い頭痛がしたので横になると脳裏には故郷の緑豊かな大地が浮かんでくる。

 剣士として戦場を駆け巡っていた頃はあまり感じなかった故郷の良さがここにきて実感するとはなんたる皮肉だろうか。


 ー俺はこの先、やっていけるんだろうか……。


 どうやら、飯尾とのタイマン勝負で封印していた剣士の血が騒ぎ出してしまったようだ。


 バイトから帰った空は部屋が静かなのでそっと入ってみると、先に戻っていたトレスが横になっているのを発見した。

 寝ているのかと素通りしようとしたが、出逢った頃を思い出して顔が青くなる。

「トレス!! トレス!!」

 名前を連呼して彼の肩を大きく揺らすとうっすらと目が開いたので、空は胸を撫で下ろした。

「もう!! びっくりさせないでよ!!」

 寝起きで反応が鈍いトレスの横に座った。

「いつの間にか寝てたんだな」

「疲れた?」

「少しな」

「無理ないよ。全然、違う世界だもん」

「お前も初めて仕事した時も戸惑ったか?」

「うん。でも、皆よくしてくれたから」


 ーそれは、お前の人柄だよ。


 独りでも強く明るい笑顔を絶やさない空をじっと見つめていた。トレスの藍色の瞳に久し振りに見つめられた空は顔が上気する。


 ーやだ、何見てんだろ? ひょっとしてまた口に付いてる!?


 先程『ふくちゃん』で、新メニューの試作品を食べたのを思い出して慌てて手で口の周りを拭った。

「何やってんだ」

「また顔に付いてる!?」

「いや。先に風呂入れよ」

「あ、うん……」

 なんで私を見つめていたの?、とは訊けず立ち上がるとトレスが腕を掴んできた。

「空……」

「なに?」

 しばらく間が空いてトレスが口を開いた。

「弁当、有り難う」

 今までに見せたことのない自然な笑顔に空の心臓は人生の中で一番速くなっていた。




 

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