トラブルメーカー 2
なんの覚悟か分からないまま、取り敢えず不測の事態に備えてトレスは飯尾に神経を集中させた。
福太郎も勢いでついてきたはいいがこれから起こる出来事は知る由もない。
「いくぞ」と飯尾が叫んだ瞬間、凄まじい衝撃と共にトレスの体は二メートルほど吹き飛ばされた。
「あーあ。また、監督のアレが始まったよ」
騒ぎを聞き付けた作業員達が集まってきた。
「アレってなんだ。飯尾は何をする気だ!?」
福太郎が訊くと、一人の男が面倒臭そうに説明する。
「監督流の面接ってやつで、最後まで耐えられたら合格なんですが、しばらくは使い物になりませんね」
「なんて無茶苦茶な……」
飯尾の無茶ぶりは高校時代から知っていたが、大人になっても変わっていないとは嬉しいやら嘆かわしいやら。
吹き飛ばされつつも、トレスは咄嗟に受け身を取って態勢を整えた。
口の中を切ったらしく、血の嫌な味にたまらず地面に吐き出して手の甲でそれを拭う。
「ほお! 俺のタックルを喰らってすぐ起き上がるとはな」
「……そういうことか」
不意打ちとはいえいとも簡単に直撃を受けたトレスは悔しさを滲ませて低く呟いた。
ー俺も平和ボケしたものだな。
どうやらこの世界にも体術に長けた者がいるようで、瞬時に剣士としての冷静な分析がトレスの頭の中で始まった。
この手の相手とはオバジーンでも幾度となく対戦しているので、その記憶を辿り勝算を探る。
出た答えはー!?
ー大男は横の動きに弱い!!
ふん、と鼻を鳴らして見下ろしている飯尾にトレスの剣士としての血が滾る。
トレスは突進して掴みかかろうとする飯尾の横をすり抜けて真横から押し倒しに行くと、今度は飯尾が虚を突かれて呆気なくバランスを崩した。地面に倒れたところへすかさず飯尾の右上腕部を自分の両腕を挟み固定して、飯尾の太い手首を掴んで胸に抱え込むと一気に相手の肘を伸ばしに掛かる。
トレスの一連の動作は、あまりにも素早く鮮やかなもので一同は茫然と見ているだけだったが一人の作業員が呟いた。
「あいつ。飯尾さん相手に腕挫十字固め、決めやがった……」
腕挫十字固めとは、相手が肘を曲げて逃れようとしても一度腕が伸びてしまえば体格差があろうが技を外すが難しい有名な関節技である。
大抵の者ならとっくに根を上げているが、さすがに飯尾は激痛に顔を歪ませながらもまだ耐えている。
トレスは乱れた藍色の髪を気にする様子もなく更に腕を反らすと、これには参ったのか片方の手を地面に何度も叩いてギブアップを示した。
トレスがそっと力を抜いて技を外すと、飯尾は仰向けのまま荒い息を整えた。
もし彼が本気で技を決めたなら靱帯損傷、最悪の場合断裂もあり得る状況に背中から冷や汗が流れた。
ーこいつ、手加減しやがったな。
それにしてもこの若者は戦い慣れていると感じた。飯尾も若い頃はよく喧嘩をしたものだが、トレスの動きは少し違う。どちらかといったら実践に近い軍隊のそれである。
「ふははは!!」
いきなり飯尾が大声で笑いながら立ち上がったので、福太郎達は気が触れたかと怪訝な表情だ。
「合格だ。腕っぷしも強いし俺とタイマン張る根性もある」
飯尾が契約の意を込めた握手を求めてきたので、それに応じるトレスの姿に福太郎は大きく息を吐く。
「やれやれ。一時はどうなるかと思ったぞ」
砂埃にまみれたトレスの背中をはたきながら福太郎は飯尾に文句を言った。
「安心して俺に任せろ。早速だが、明日から来れるか?」
ここにきて仕事の内容を把握していないトレスが少し困った顔をしているので、代わりに福太郎が質問する。
「制服はあるのか?」
「ああ。仕事に必要な物は会社で貸すから心配ない。おい、久保田!!」
飯尾が大声で名前を呼ぶと、事務所から眼鏡を掛けて髪を七三に分けている線の細い男が現れた。
「物品は久保田が管理しているから、何か足りない物があったらこいつに言え」
「よろしく」
小声で挨拶してきたので飯尾の大音量の声に慣れてしまったトレスはうっかり聞き流すところだった。
「後は杉本に伝えておくから今日はもう帰んな」
「お言葉に甘えて失礼します」
一礼して帰ろうとする彼の背中を二、三回バシバシと力任せに叩いてきたのでつい前のめりになってよろける。
ーこの人も、ただ者ではないな。
『この人も』ということはまだ誰かがいるわけだが、真っ先に浮かんだのはにこやか笑顔で情報をあっさりと聞き出す久恵だった。
飯尾の運転で『ふくちゃん』の前まで送ってもらったトレスを待っていたのはその久恵である。
「お帰りなさい。どうだった?」
「明日から来てもらう。亭主は手続きで遅くなるからまた後で送ってくよ」
「まあ!! よかったじゃない!! 」
「そういうことで空ちゃんにもよろしく伝えてくれ」
「あの子、喜ぶわよ」
既に話は空中心で、彼女の名前が挙がると直接自分の口から伝えたくなった。
飯尾が帰るとトレスは久恵に向き直った。
「空には俺から話します」
「その方がいいわ。ところで、どうしたの? 服が汚れているし血が出ているじゃない!?」
久恵に指摘されて慌てて口の端を手で拭ったが、口の中が切れていたので痛さに顔をしかめる。
応急処置と、奥の部屋から薬を持ってきた久恵が傷につけてくれた。
「詳しい内容は旦那から聞くとして、今日は色々と大変だったろうから家でゆっくりしなさいな」
確かに心身ともに軽い脱力感に見舞われている。
開店準備に忙しくなった久恵に丁重に礼を言うと空の部屋へ戻って行った。
一方、空は学校でもトレスの面接が気になり、弁当の味すらよく分からない。
-なんか高校受験を思い出した。懐かしいなあ。
合格を祈願して女子同志で手作りのお守りを交換したところまで思い出して、「あー!!」と、急に大声を挙げた。
「ちょ、ちょっとなに!? びっくりするなあ」
隣で特大弁当を食べていた玲奈がひどく驚いた様子で空を見た。
「ごめん。忘れ物に気付いたもんだから」
「何忘れたの?」
と、智美がまた一足先に弁当箱をしまいながら訊く。
「大した物じゃないから」
ートレスにもお守り、作ってあげればよかった。でも、あまり大袈裟にすると嫌がるしなあ。
仏頂面でピンク色のお守りを受け取るトレスを想像すると、あまりの不釣り合いな両者に失笑してしまう。
ただ今、といつもより控えめな声で部屋に入ってきた空は、トレスの姿を見つけるとわざとらしいほど明るく振舞った。
「ねえ。今日ね、帰る途中可愛い猫がいたんだよ」
「それ、三日前にも聞いたぞ」
「そうだっけ? じゃあ、新しくオープンした……」
「それは四日前だ」
よく覚えているな、と感心しながら次の話題を探していると、トレスが軽く息を吐いた。
「お前が聞きたいのは別のことだろう?」
「……うん」
「明日から仕事、行くことになった」
「ほんと!? よかった。気になって仕方なかったんだ」
自分のことのように喜ぶ空につい頬が緩む。
「じゃあ、乾杯しよう!!」
冷蔵庫から缶ジュースを二本持ってくると、その内の一本をトレスに手渡した。
「かんぱーい!!」
かちんと互いのジュースを当てて飲み始めたが……。
「つっ!!」
ざっくり切れている口の中の傷に沁みて顔をしかめた。
この後トレスは傷が癒えるまでの三週間、まともな食事が出来なかった。




