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屋上に吹く風は、先ほどまでより少し穏やかだった。
花の香りと線香の煙がゆっくり空へ溶けていく。
鈴木は、供えられた花を眺めながら小さく笑っていた。
その笑顔を見て、正美もなんとなく安心する。
「……ところで。」
鈴木がふと顔を上げた。
「名前を覚えておけばよかったって、どういうこと?」
「あ。」
正美の表情が固まる。
「あ、やっべ。」
目が泳ぐ。
「……ねえ。」
鈴木がじっと見る。
「いつ覚えたの?」
「エットー。」
正美は視線を逸らした。
「鈴木サンガー。」
棒読みになる。
「自殺シテカラ?」
「……。」
沈黙。
風だけが吹く。
「……嘘でしょう?」
鈴木がぽかんとした。
「私たち二年間同じクラスだったじゃない?!」
「顔は覚えてたよ!?」
正美は慌てて弁解した。
「顔は!」
「あと、どういう人だったかも覚えてた!」
「ただ名前が覚えられなかっただけで!」
「そこが一番大事じゃない!?」
「うっ。」
痛いところを突かれた。
「いやだって……。」
正美はもじもじする。
「私、人の名前覚えるの苦手で……。」
「苦手ってレベルじゃないでしょ。」
「ちなみに。」
正美は人差し指を立てた。
「まだ覚えてないクラスメイト、あと十人くらいいる。」
「多い!」
鈴木が思わずツッコんだ。
「三十人ちょっとのクラスで!?」
「いや、顔は分かるんだよ?」
「だからそこじゃないって!」
「『あ、この人いつも寝てる人。』『この人サッカー部。』『この人よく廊下走って怒られてる人。』みたいな覚え方してる。」
「特徴で覚えてる……。」
「名前が一致しない。」
「なんで!?」
「興味が薄いと記憶容量から弾かれる。」
「そんなスマホのストレージみたいな。」
正美は少し考え込んだ。
「例えば。」
「うん。」
「山田くん。」
「いるね。」
「どの山田?」
「え。」
「え。」
「……。」
「……。」
「うちのクラス、山田二人いたよ。」
「えっ。」
「えっ!?」
「マジ?」
「マジ。」
正美は頭を抱えた。
「増えた。」
「増えてない。」
「私の中では今増えた。」
鈴木はとうとう吹き出した。
「ふふっ……。」
笑ってしまう。
「ご、ごめん。」
「いや、ごめんじゃなくて。」
「普通、自殺したクラスメイトの名前で初めて覚える?」
「インパクトが。」
「そこなの!?」
「ニュース見て『えっ、うちのクラス!?』って。」
「最低ではないけど、なんとも言えない。」
「その日に出席番号表見た。」
「そこで確認したんだ。」
「『あ、この人鈴木さんっていうんだ。』って。」
鈴木は額に手を当てた。
「……私ってそんな存在感なかった?」
「いや。」
正美は首を横に振る。
「存在感はあったよ。」
「え?」
「『なんかいつも静かな人だなぁ。』って。」
「……。」
「『あんまり人と喋らない人なんだなぁ。』って。」
「……。」
「『勉強頑張ってる人かな。』とか。」
鈴木は少し驚いた。
「そんなふうに見えてたんだ。」
「うん。」
「ただ。」
「ただ?」
「名前が。」
「そこ!」
またツッコミが飛ぶ。
「もう!」
鈴木は呆れたように笑った。
「斎藤さんって本当に変。」
「よく言われる。」
「普通なら私の幽霊見た時点で逃げるのに。」
「逃げても追いつかれそうだし。」
「現実的。」
「あと、殺す気ないって言われたし。」
「それで安心する?」
「する。」
即答だった。
「それに。」
正美は少しだけ照れ臭そうに笑う。
「今はちゃんと覚えてるよ。」
「鈴木さん。」
「もう忘れない。」
その一言に、鈴木は静かに目を伏せた。
生きている間、一度でもこんなふうに自分の名前を穏やかに呼んでくれる人がいたなら。
そんな「もし」を考えてしまう。
「……遅いよ。」
鈴木は苦笑しながら言った。
「うん。」
正美も苦笑する。
「ほんと、遅かった。」
その言葉には、言い訳ではなく、取り返せないことへの素直な悔しさだけが込められていた。




