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屋上は立入禁止になっていた。
黄色いテープが風に揺れ、フェンスの向こうには夕焼けに染まる街並みが広がっている。
正美は先生に見つからないように、少し苦労して屋上へ上がってきた。
片手にはスーパーで買った小さな花束。
もう片方には、家の仏壇から一本だけもらってきた線香とライター。
「ここ、か。」
フェンスの近く。
花が何束も供えられている。
ジュース。
手紙。
ぬいぐるみ。
正美はしゃがみ込み、自分の花もそっと並べた。
「スーパーの仏花コーナーって割と安いのにかわいい花あるよね。」
一本一本向きを整える。
「これなら鈴木さんにも似合うかな。」
線香に火をつける。
細い煙が空へ昇っていく。
その瞬間。
ぞわり。
空気が変わった。
夕焼けだった空が、一瞬だけ色を失う。
風が止む。
耳鳴り。
背後から、湿ったような気配。
正美はゆっくり振り返った。
制服姿の少女。
長い髪。
青白い顔。
首には痛々しい痕。
鈴木が立っていた。
普通なら悲鳴を上げてもおかしくない。
だが正美は。
「あ、鈴木さん。こんにちは。」
普通に挨拶した。
鈴木は少し目を丸くする。
「……こんにちは。」
律儀に返してしまった。
数秒の沈黙。
「あのさ。」
正美が頭をかいた。
「無知は罪っていうのは知ってるけど、マジで知らなかったんだって。」
苦笑する。
「気付けなかったんだよぉ。ゴメンね。」
少し肩を落とす。
「でも命乞いくらいさせて。」
鈴木は首を横に振った。
「別にもともと殺す気はなかったよ。」
「え?」
「斎藤さん、イジメても見て見ぬふりもしてなかったのは覚えてる。」
少しだけ柔らかい表情になる。
「無関係の人は巻き込まないよ。」
「あ、そうなの?」
正美は胸を撫で下ろした。
「良かったぁ。」
心底安心した顔だ。
「お供えに来たよ。」
花を指差す。
「可愛くない? このお花。」
鈴木も視線を落とす。
白と紫を基調にした小さな花束。
「スーパーの仏花コーナーって割と安くてかわいいお花あるよね。」
「……うん。」
鈴木は小さく笑った。
生きていた頃からこんなふうに笑えただろうか。
「ねぇねぇ。」
正美が顔を上げる。
「鈴木さん、好きなお菓子ある?」
「え?」
「私仏教徒だからね。」
なぜか少し得意げ。
「お供えのルールくらいはちゃんと知ってるよ。」
線香を見つめる。
「死者は匂いを食べるから、袋を開けてお供えするとか。」
「……。」
「だから今度持ってくる。」
鈴木は呆然としていた。
「あとジュースもいいよ!」
正美は続ける。
「私飲まないからスタバとか言われたら困るけど。」
肩をすくめる。
「甘い飲み物そんな好きじゃないから詳しくない。」
鈴木は思わず吹き出した。
「私がそんなキラキラしたもの飲むわけないでしょ。」
少し照れたように笑う。
「陰キャなんだから。」
「そう?」
正美は本当に不思議そうな顔をした。
「別に好きな物を食べればいいと思うけどね。」
「……。」
鈴木は返事ができなかった。
そんなことを言われたのは初めてだった。
「みんな、『陰キャだから』『似合わない』って決めつけるから。」
「えー。」
正美は首を傾げる。
「意味分かんない。」
「好きなら好きでいいじゃん。」
「……。」
沈黙。
風が二人の間を通り抜ける。
「私はね。」
正美がフェンスにもたれた。
「単純に友達つくるのが下手だったってだけ。」
笑う。
「あと一人がそんなに苦じゃなかったってのもある。」
「うん。」
「あと鈴木さんが死んで、みんなのこと殺してから知ったんだけど。」
さらっと恐ろしいことを言う。
「この学校クズしかいないね?」
鈴木は苦笑した。
「ビックリしたよ。」
正美は本気で驚いた顔をする。
「絶対に今後近寄らない。」
「あはは……。」
「いや、本当に。」
「先生までアレとは思わないじゃん。」
「確かに。」
「他のクラスにもいい人はいるんだろうけど、少なくともあの教室はもう無理。」
正美は空を見上げる。
「まーだからね。」
少しだけ寂しそうに笑った。
「ちょっと後悔してるんだー。」
「……後悔?」
「うん。」
「他のみんなとは友達にならなくて正解だったっぽいけど。」
一拍置いて。
「生きてる間に、もうちょい君と話せたらなって。」
鈴木の瞳が揺れる。
「せめて名前ぐらいは覚えたかったよね。」
その言葉は、取り繕った慰めではなかった。
「『もっと早く助ければよかった』じゃなくて、『もっと話せばよかった』か。」
鈴木はぽつりとつぶやく。
「だって、助けるにはまず気付かなきゃいけないし。」
正美は苦笑する。
「私は気付けなかった。」
「でも、話すくらいならできたかもしれない。」
「結果論だけどね。」
屋上に静かな風が吹く。
鈴木はしばらく何も言わなかった。
誰も彼女にこんな後悔を口にしたことはなかった。
「助けられなくてごめん」でも、「復讐はやめて」でもない。
「もっと君を知りたかった」。
その一言が、不思議なくらい胸に染みた。
鈴木は供えられた花を見つめ、小さく笑う。
「……ありがとう。」
その笑顔は、教室で誰にも見せられなかった、年相応の穏やかな笑顔だった。




