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教室の空気は、昨日までとはまるで違っていた。
誰も大きな声を出さない。
誰も笑わない。
それなのに、小さな声だけは、あちこちから漏れていた。
「おい、やべぇぞ……!」
「昨日は佐藤が死んだって。」
「は?」
「階段から落ちたんだって。でもさ……首に手形があったらしい。」
「やっぱり、アンタが鈴木に虫食わせたからでしょ!」
「はぁ!? お前だって水ぶっかけて笑ってたじゃねぇか!」
「私は止めようとした!」
「嘘つけ!」
「お前も見てただろ!」
責任の押し付け合い。
昨日まで一緒になって笑っていた連中が、今日は互いを指差している。
「先生だって何もしなかったじゃないですか!」
「わ、私は証拠が……」
「相談してたよね!?」
「…………。」
担任が青ざめる。
教室中が疑心暗鬼。
誰が次に死ぬのか。
その恐怖だけが支配していた。
そんな中。
窓際、一番後ろ。
イヤホンを片耳だけ外し、本を閉じた少女が一人。
斎藤正美。
彼女は一連の会話を聞き終え――
(うちのクラスってイジメあったの!?)
心の中で盛大に驚いた。
(初耳なんだけど!?)
本当に知らなかった。
いや、知らないというより。
「関わりがなかった」が正しい。
彼女は基本、一人でいる。
昼休みは図書室。
移動教室も一人。
班決めは最後まで残る。
体育祭は空気。
文化祭も裏方。
友達は……ゼロではない。
他クラスに二人くらいいる。
つまり、このクラスでの人間関係はほぼ皆無だった。
だから。
(鈴木さん……って誰だっけ。)
最初は本気で分からなかった。
ニュースで、
『○○高校二年、鈴木さんが自宅で死亡』
と流れた瞬間。
(えっ、うちのクラス!?)
となり、出席番号表を見てようやく
(ああ、あの前から三番目くらいの子か。)
と一致した。
「なんか鈍臭い人だなぁ。」
その程度の認識しかなかった。
話したこともない。
名前も覚えていなかった。
クラスメイトなのに。
(自殺したってニュース見て、一発で名前覚えたんだよね……。)
なんとも言えない気持ちになる。
そして今。
教室中から飛び出す衝撃の事実。
虫を食わせた。
机を蹴った。
水をかけた。
ノートを捨てた。
靴を隠した。
陰口。
無視。
教師は見て見ぬふり。
(えぇ……。)
正美は引いた。
(みんな性格悪すぎじゃない?)
ドン引きである。
(絶対に近寄らないでおこう。)
心の距離がぐいっと離れた。
元々近くもなかったが。
(先生まで!?)
さらに衝撃。
(最低すぎるだろ、この人たち……。)
彼女は小さくため息をつく。
(気付けなかったなぁ。)
少しだけ申し訳なく思う。
自分は何もしていない。
けれど、何も知らなかった。
(お菓子でも買って供えようかな。)
スーパーで鈴木さんが好きそうなお菓子を買って。
線香も一本くらいあげよう。
それくらいしかできないけど。
そう考えていた。
「……。」
周囲ではまだ責任の押し付け合いが続いている。
「お前のせいだ!」
「違う!」
「先生!」
「俺じゃない!」
(いや、今さら言い合ってもなぁ。)
正美は冷静だった。
(その時止めればよかったじゃん。)
至極もっともな感想である。
すると、
ガタン。
誰も触れていない椅子が倒れた。
教室が静まり返る。
ギシ……
ギシ……
誰かが歩くような音。
なのに誰もいない。
「ひっ……。」
女子が悲鳴を上げる。
黒板に。
キィ……
キィ……
白い文字が浮かび始めた。
『みてたよ』
一瞬で教室が悲鳴に包まれる。
「うわああああ!!」
「鈴木だ!!」
「来るな!!」
皆が逃げ惑う。
正美も驚いた。
(うわ、怪奇現象だ。)
だが。
その次に思ったことは。
(……私、大丈夫じゃない?)
だった。
話したこともない。
いじめてもいない。
見てもいない。
そもそも知らなかった。
(え、私まで襲われたら理不尽じゃない?)
と真剣に考える。
その直後。
教室の隅。
誰にも見えない場所に、制服姿の少女が立っていた。
長い髪。
青白い顔。
首には縄の痕。
鈴木だった。
彼女は教室中を見回し。
怯える加害者たちを見つめ。
最後に。
窓際で一人、
「放課後、お供え用にプリンでも買うか……。プリン好きだったかな。知らないけど。」
などと真面目に考えている正美を見た。
「……。」
鈴木は少しだけ首を傾げた。
(この人……。)
記憶を探る。
(いた……よね?)
いた。
確かにいた。
でも。
話したことがない。
笑われた記憶もない。
殴られた記憶もない。
見て見ぬふりをされた記憶も……ない。
というより。
存在感が薄すぎて、本当に自分の世界にいなかった。
鈴木はしばらく正美を見つめたあと、何もせず、すっと姿を消した。
一方の正美は、その視線に気付くこともなく。
(帰りにお花屋さん寄ろう。)
そんなことを考えながら、静かに教科書を閉じるのだった。




