15
休日の午後。
住宅街の一角。
正美は両手いっぱいに荷物を抱えて立っていた。
左手には花束。
右手にはお供え用のお菓子と線香。
そして、その隣には――
「重っ……。」
父親から借りてきた、大きなスーツケース。
「なんでこんなデカいのしかないの……。」
「旅行用だからでしょう。」
隣で鈴木が苦笑する。
「二泊三日どころか海外旅行サイズじゃん。」
「いっぱい入りそうよね。」
「ね。」
正美はガラガラと引きながら家を見上げた。
表札。
『鈴木』
「……。」
「ここなんだ。」
「ええ。」
鈴木は静かに頷いた。
「私の家。」
インターホンを押す。
ピンポーン。
しばらくして。
ガチャ。
ゆっくりと玄関が開いた。
現れたのは、一人の女性。
どこか鈴木によく似た面影。
けれど頬はこけ、目の下には濃い隈ができている。
一目で、眠れていないと分かる顔だった。
「はい……。」
正美は慌てて頭を下げる。
「お邪魔します! 斎藤正美です!」
女性は少し驚いたあと、小さく微笑んだ。
「あら?」
「いらっしゃい。」
「……。」
鈴木も小さく笑う。
「いらっしゃい、斎藤さん。」
「ありがとう。」
正美はぺこりと頭を下げる。
「今日は、その……。」
何と言えばいいか考える。
「娘さんの。」
「あー。」
鈴木は嫌な予感がした。
「えーっと。」
正美の目が泳ぐ。
「……。」
「……。」
「あ。」
「さては名前忘れたわね。」
鈴木が呆れた顔をする。
「ほんとにごめん。」
正美は小声で謝る。
「なんだったっけ。」
「光よ。」
「光さんに会いに来ました!」
鈴木のお母さんは、少しだけ目を丸くした。
「光の……。」
「お友達?」
「えっと。」
正美は少し考えてから答える。
「最近なりました。」
「最近?」
「はい。」
鈴木が思わず吹き出す。
「嘘は言ってないわね。」
確かに最近だ。
「どうぞ。」
母親は玄関を開ける。
「上がって。」
「ありがとうございます。お邪魔します。」
靴を脱ぎ、リビングへ通される。
仏壇の前には、すでに花や果物が供えられていた。
遺影の中の光が、穏やかに笑っている。
鈴木はその写真を見て少し目を細めた。
「こんにちは。」
小さく呟く。
母親はその仏壇を見つめながら、ぽつりと言った。
「……実は。」
「はい?」
「少し前から。」
少し困ったように笑う。
「空気が少し冷たくて。」
「え?」
「もしかしたら。」
遺影を見る。
「光が帰ってきてるんじゃないかって。」
すぐに首を振る。
「あぁ、ごめんなさいね。」
寂しそうに笑う。
「変なことを言ってしまって。」
正美は鈴木を見る。
鈴木も母親を見つめている。
「いえ。」
正美は静かに答えた。
「いますよ。」
「ここに。」
母親の表情が固まる。
「……え?」
「いるわね。」
正美は鈴木の立っている場所を見る。
「顔見せてあげればいいのに。」
鈴木は即答した。
「嫌。」
「えー。」
正美は残念そうな声を出す。
「会わせる顔がないもの。」
鈴木は目を伏せる。
「こんな姿で。」
「こんなことをして。」
「お母さんに。」
首を横に振る。
「会えない。」
その声は、復讐者ではなく、娘のものだった。
正美は少し困ったように笑う。
「本当に光がいるの?」
母親は恐る恐る尋ねる。
正美は頷いた。
「合わせる顔がないから嫌って言ってます。」
母親は息をのむ。
「……そんなこと。」
涙が少し滲む。
「顔なんて。」
「どんな顔でもいいのに。」
鈴木は俯いたまま動かない。
「私は。」
震える声で呟く。
「お母さんに。」
「心配ばっかりかけて。」
「最後まで。」
「助けてって言えなくて。」
「こんな娘。」
「……会えない。」
母親には、その声は聞こえない。
けれど。
理由は分からないまま、玄関を開けたときから感じていた「誰かがいる」気配が、今も確かにそこにある。
母親は仏壇の前へ歩き、遺影を優しく撫でた。
「光。」
静かに呼びかける。
「もし本当にいるなら。」
「お母さんは怒らないから。」
「帰っておいで。」
その言葉に、鈴木は唇を噛んだ。
一歩だけ前へ出ようとして。
それでも、足が止まる。
正美は二人を交互に見つめ、小さくため息をついた。
「……鈴木さん。」
「なに。」
「いつか。」
「うん。」
「会えるといいね。」
鈴木は少しだけ微笑んだ。
「……そうね。」
その笑顔は、どこか泣きそうだった。




