夜の終わり
「島田さん、大丈夫ですか」
口を押さえてしゃがみ込んだ島田に三鷹が声を掛けた。
「しぃちゃん、席を外して休んでなよ。これは聞いてるだけで削られちまう」
島田は高木を見上げて首を振ると「平気」と言って立ち上がった。足元がふらついて、よろけた肩を抱きとめた高木は「ほら、無理すんなよ」と言って椅子に座らせた。
「今井加奈さんの最期を、草森ギンさんの無念を、一人でも多く知ってあげなくちゃいけないと思うの」
「分かった。でも無理な時は我慢するな」高木はそう言うと「千早さん、穴の話。あれマジか」と振り向いた。
「そうですよ、いきなり驚きました」
三鷹も千早に視線を向けると、そう言った。向けた眼差しは、少年のような憧れを秘めたように見えた。
「思考に気をつけなさい、それはいつか言葉になるから。言葉に気をつけなさい、それはいつか行動になるから。行動に気をつけなさい、それはいつか習慣になるから。習慣に気をつけなさい、それはいつか性格になるから。性格に気をつけなさい、それはいつか運命になるから」千早はそう言うとお茶を一口飲むと、喉を潤して続けた。
「世間ではマザーテレサの言葉として知られています。身についた習慣というのは、切羽詰まった状況ほど、ごく自然に行動に出るのだと思うのです」
「木全にとって、それが穴に埋めるということか」高木は納得したように顎に触れた。
「でも、湯島は従来埋めていた穴を覚えていないんですよ。どうするんですか?」三鷹は当然の疑問を口にして、千早に答えを求めた。
「湯島さんが覚えていないなら、木全に教えてもらうだけです」
千早は当然のようにそう言うと「そろそろ再開ですね」と、三鷹を席に促した。
再び湯島の顔がモニターに映し出された。幾分か顔色は良くなったように見えた。
「湯島さん、再開出来そうですか?」
三鷹の言葉に『はい、ご迷惑をおかけしました』と湯島は深く頭を下げた。
「では、続きをお願いします」
『木全の道案内で、深夜の笠木市を走りました。運転席に私、助手席に木全、その真ん中に鈴木が乗りました』
右折をすると、荷台の今井加奈がゴロゴロと転がるのが分かった。木全が国道を避けた道を指示するせいで、今井加奈の振動が何度も何度も車体を通して伝わって来た。
「国道を通った方が近いんじゃ?」私がそう言うと「ゆっちぃ、Nシステムって知ってるか?ナンバーの記録が残っちまうんだよ」と、木全は言った。
街の中を縫うように、太い通り避けて案内されたのは森林公園を越えた先の建設現場だった。
高い仮囲いの向こうの様子は全く見えなかった。
「これはゴミ処理場の建設現場じゃないか。まさかここに?」
「いや、ここは警備が厳しい。この先で西野が待ってるから、あとはついて行けばいい」
木全はそう言うと、大きく欠伸をして興味なさげに外を見ていた。
路肩に停車する車のテールランプが見えた。車高が極端に落ちたそのセダンのナンバーは折り曲げていて、読むことは出来なかった。
「西野の車だ。あっちに乗るから止めてくれ」
西野の車に木全が移ると、真ん中で縮こまっていた鈴木が、助手席で四肢を伸ばして寛ぎ始めた。
「いやぁ、俺初めて人を殺したけど、木全くんはスゲっすわ。全然ビビってないっつーか、マジで落ち着いてるっつーか」
隣に座っている男が、私には生徒にも人間にも思えなかった。
人として生きる為に必要な物を持ち合わせていないケダモノ。
そして今、私はそのケダモノたちの従順な飼い犬だった。
西野のセダンのウィンカーが点滅した。車から降りた木全が仮囲いの門扉の鍵を外した。
西野が入るのに倣って、車を仮囲いの中に入れた。
ロダンの地獄の門を見たことがある。
ダンテの神曲に出てくる、あの地獄の門だ。
だが、本物とは存外このようなもので、気付けば誰しもが潜ってているのかもしれない。
少なくとも私は潜り、踏み入れてしまった。
「ここは排熱を利用した温水プールになるんだ」
西野はそう言うと、パワーショベルに乗り込んでバケットをトラックに寄せた。 私と鈴木は今井加奈を抱き上げるとバケットに彼女を放りこんだ。
顔見るのが嫌で脚の方を持ったが、鉛を持ち上げるように重たかった。
「ここは西野くんのオヤジさんの会社の現場なんだ」
どうしてこの男はこんなにも屈託なく話せるのだろう。私は鈴木の顔をまじまじと見ながら「あの深い穴はプールになるのか?」と尋ねた。
「プールの底なら一生見つからないって、西野くんが言ってたよ」と、鈴木は大きく頷いた。
彼らの余裕は、この隠蔽工作の周到さにあるのだろう。逆らえば穴がもうひとつ増えるような気がして、蒸し暑ささえある夏の夜に寒気を覚えた。
今井加奈を穴の底に下ろすと、全員で梯子を降りた。
固まりかけた捨コンを斫ると転圧された砕石の層が現れた。
ここを掘り返す作業を終えると、粘土層に当たった。慣れない作業で既に豆が出来かけていた。
「西野くん、ダメだ。スコップが入らない」剣先が入って行かない粘土層に鈴木が根を上げた。
「不味いな、ダラダラしてたら夜が明けちまう」
木全もそう言うと、腕時計に目をやった。
「型枠を外す訳にもいかないからユンボ(パワーショベル)は使えないぞ。十分交代でとにかく掘り進める。出来なきゃ全員終わる」
西野はそう言って鈴木の手からスコップをひったくると「手だけで掘るな。体重と腕、膝を使うんだ」と身体を使って見せた。
突き立てたスコップを足で差し込み、膝と腕の動きで土を掘り返す。それをバケットに入れてまた掘り返した。
頭が隠れるくらいまで掘った穴から天を仰ぐと、月が真上に見えた。
「もう埋めちまおう」
西野も時計を気にし始めた。
まだ午前三時を過ぎた頃だった。
「五時には人が来る。木全は下にいてくれ。死体を下ろす」
私は上にあがるよう言われて、西野と一緒に今井加奈を運んだ。
「足から下ろせ」
木全はそう言って両手を伸ばした。
「下ろすぞ、お前は両脇を持て」
私は言われるがままに今井加奈に覆い被さるようにして腕を掴んだ。木全が下に引いて行く途中、開いたままの彼女の目を覗き込んでしまった。「ひぃ」と声が漏れた。開いたままの瞳孔は深い穴のようで、私が堕ちて行く先のように見えた。
「気色悪いな」
穴の下で木全はそう呟くと、今井加奈の遺体を踏み台にして這い上がって来た。
「ヤニ」木全が手を出すと鈴木が煙草のケースをトントンと叩いて、一本差し出した。
木全はそれをくわえると、胸ポケットからキャッシュカードを取り出して火を着けた。
プラスチックの燃える臭いが漂う中、三人はその炎に照らされながらくわえタバコに火を着けた。
木全は小さな炎を上げるカードを指で弾くと、穴に投げ入れて捨てた。
炎は穴の内壁の掘り跡を仄明るく照らすと、ふっと消えた。
月明かりだけが残る中、私たちは再び穴を埋め戻した。最後に西野が捨コンを仕上げて、私たちの夜は終わった。
湯島は長い独白を終えると、深く息を吐いた。
『この夜の出来事が強烈な記憶として残る代わりに、木全が以前に使っていた捨て場所を失念してしまったのです』
湯島はそこでようやく質問に答えると、白濁した瞳から涙の粒を幾つも落とした。




