既視感
病室に吹き込んだ風が、島田の髪を揺らした。話の区切りに合わせて「音尾さんは、その時に既に何かを感じ取っていたのですか?」と聞くと、音尾は静かに首を振った。
「ですがあの日の彼との時間が、先日の既視感を生んだのだと思います」
そう言って病室の外に目を遣った。
三人が釧路に発った日、私はもう一人の容疑者であり、標的の木全を張り込みを始めた。あの日の木全の午前最後の公務は、例のゴミ処理場の視察。木全の予定は市役所のホームページに詳細が記載されていた。
私自身は木全の警備にあたる命令も受けていなかった。そもそも市長に付くSPなどは存在しない。私は離れた位置から様子を窺うことにした。
ゴミ処理場での木全の機微も見ておきたい気持ちもあった。
木全の立ち居振る舞いは、後援会の移転反対派、推進派、職員を前に堂々としたものだった。
本当は無関係なのではと、自信が揺らぎかけたくらいだった。
でもよくよく考えればおかしな話。
移転反対派の最大支持団体が西野建設で、推進派の多くは他の建設事業者の息のかかった団体。
この歪さは高校の後輩という絆では説明出来ない不気味さがあった。
もっと深く、仄かな光さえ許さない闇を抱えたような——
そう思い至ったその時、目の前を白い車が行き過ぎた。
反射的にナンバーを見たが、全く違うナンバーの軽四輪だった。
だが妙な既視感が、そこで生まれた。
記憶の断片の縁に、どこかで見ていた気がした。そしてそれ以上に、ハンドルを握る男に覚えがあった。
安田実——
そうか、職員駐車場だ。
次の瞬間、車は中央分離帯の切れ間で転回を始めた。
「走れ!」私は木全と群衆に向かって叫びながら駆け出していた。
軽四輪はその小さなエンジンを甲高く唸らせて加速をすると、パイロンや撮影用の三脚を薙ぎ倒して人の群れの中へと向かって行った。
蜘蛛の子を散らすように群衆が逃げ去った先に、立ち尽くす木全が居た。
「走れ!」私は再び叫んだが、木全は情けない顔で振り向くだけだった。
頼む、間に合ってくれ。
私は自分の脚に懇願しながら、騎手が馬にそうするように、強く手のひらで鞭を打つと石畳風の歩道を蹴った。
最後はもつれるように、倒れるように木全を突き飛ばして——耳の横を、悲鳴のようなエンジン音が通り過ぎた。
「何か、大きな衝撃を受けたのは身体が覚えているんですがね。気がついた時にはこの病室でしたよ」
再び病室に顔を向けた音尾は、苦笑いを浮かべた。
「なぁ、なんで『逃げろ』じゃなくて『走れ』なんだ?」高木が不思議そうに尋ねた。
「喫緊の危険は具体的な指示をした方が、人は動けるんです。逃げろだと、選択肢が多いんですよ」
「一番ダメな掛け声が『危ない』でしたね」
千早がそう言うと「アンタそんなことまで知ってんのかよ」と感心を通り越した呆れ顔で高木は言った。
「結局、木全は動けませんでしたが」
音尾がそう自嘲気味に言うと「でも、お陰で集まった人達は無傷だったんですよね」と島田が労いの言葉を掛けた。
「やっぱ、ヒーローだな」
からかうように高木が言うと、音尾の頬が赤く染った。




