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冒険者になりたいと都に出て行った娘がSランクになってた 作者:門司柿家

帰って来た娘

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十七.下町は大概人が多く、いつもざわざわ


 下町は大概人が多く、いつもざわざわとごった返している。
 屋上屋を重ねたような無暗に高い建物に挟まれた往来には、今にも壊れそうな露店が幾つも立ち並び、怪しげな品物や食えば腹痛を起こしそうな食品が売られている。
 オルフェンは大きな都だが、大きければ無論目の届かない所も出る。貧乏人の住処、ならず者の巣窟、ストリートチルドレンたち、家のない物乞いの群れ……。そんな連中は自然と寄り集まってスラム街を形成した。

 そんな雑踏の中をライオネルとチェボルグとが連れ立って歩いていた。
 大柄で気迫のあるチェボルグのせいか、時折肩がぶつかって睨み付けて来るチンピラたちも、ギョッとしたように何も言わずに去って行った。
 ライオネルは相変わらずやつれてくたびれた様子である。中央ギルドからの予算が殆ど降りなくなってしまったため、オルフェンに住む貴族たちに融資を頼みに回っているのだが、どの貴族連中も一筋縄では行かず、元々そういった腹芸が得意でないライオネルは心が休まる暇がなかった。今日の交渉だってチェボルグ老が隣で睨みを利かせていたから成立したようなものだ。

 尤も、ライオネルの心労は癒されてはいないものの、ギルドの運営自体はそこそこ上手く回っている。
 冒険者たちが戻って来た事もあり、魔獣の討伐、素材の収集依頼、ダンジョンの探索などは以前と同じように行われるようになった。
 現在は商人たちと提携して素材の仲卸の業務を以前よりも強化し、それでなんとか予算も確保しようと躍起になっている。復帰した老人組やライオネルの元パーティメンバーたちの活躍もあって、それも何とか軌道に乗って来た。

 それでもまだまだ課題は多い。何せ百年以上の歴史を誇る形骸化したシステムに喧嘩を売っているのだ。楽しんでいる者も多いが、全責任を負っているライオネルはここのところ胃痛が止まなかった。
 腹をさすりながら顔をしかめる。

「まさかこんな事になるなんてなあ……中央と地方の間を取り持つ中間管理職で終われてればどんなに良かったか……ストレスで禿げそう……」
「えっ!? 何!? ライオネル、何か言ったかよ!?」
「独り言ですよチェボルグさん……あと声めっちゃでかい」
「がっはっはっは!! なぁに落ち込んでんだよ!! 折よく融資の約束させられたじゃねえの! もっと元気出せっつーの!!」
「融資してもらってからが大変なんですよ……」

 ライオネルは嘆息した。融資したからとあれこれ方針に口を出されるに相違ない。その無茶振りを冒険者の実績と舌先三寸で上手くかわし続けなければならないのだ。それを思うとライオネルは憂鬱になった。

「はあ……ま、アンジェさんが戻って来てくれれば実績は十分だけどな……アンジェさんは無事にお父さんに会えましたかねえ?」
「あいつが途中でくたばるわけねえだろうがよ!! 今頃親父と仲良くやってるに決まってるじゃないの!!」
「だといいですけどね……しっかしアンジェさんが実力を絶賛するようなお父さんが辺境の村に籠ってるなんてなあ……どうせなら一緒に帰って来て復帰して欲しい……」
「がはははは!! そいつはいいじゃないの!! アンジェが一太刀も当てられねえってのは気になって仕様がねえ!! “赤鬼”ベルグリフ!! 一度手合わせしてみてえもんだなオイ!!」
「もし実現したら町の外でやってくださいね? ……けどなあ、“赤鬼”ってのもベルグリフって名前も聞いた事ないんだよなあ……外国で名を上げた人なのかなあ」

 ライオネルはぼりぼりと頭を掻き、遅い昼食を取ろうかと店を探して辺りを見回す。

 ふと、少し先の広い所に人ごみが出来ていて、何やらざわめいていた。誰かが何か演説しているらしく、聴衆がその言葉に一々大騒ぎする。
 二人は首を傾げて近くに行ってみた。
 人ごみの中心に箱を逆さにした台があって、その上に黒い僧服のようなものを着た少女が立っている。
 年の頃はまだ十歳そこそこといったところだ。黒い衣服と対照的に、さらさらと長い髪の毛は真っ白である。その頭にこれまた黒いファー帽子を被っている。非情に整った目鼻立ちをしているが、アルビノなのだろうか、肌は病的に白く、瞳の色は赤黒い。
 その傍らにはフード付きのマントを目深にかぶった少年が一人、旗竿を持って控えていた。フードに隠れて顔は分からないが、背格好からして十五、六歳くらいだろう。

 少女は大仰な身振りをしながら、何やら大きな声でまくし立てていた。

「皆さんッ! これだけの多くの人が貧しく苦しんでいるというのに! 果たして救済はあり得るのでしょうかッ? ヴィエナ教の司祭たちは言います! 主神の慈愛は天に広がり地に満つると! しかし! それならばなぜこのスラムには貧しく苦しんでいる人が一向に救済されないのか!」

 聴衆がそうだそうだと大声で同調する。少女は得意気な顔でなおも続ける。

「最早ヴィエナ教、そしてそれに帰依するローデシア帝国の時代は終わるのです! 人を救うのは神ではない! 人自身なのです! 導師ソロモンの説いた道こそ唯一の救済の道! 彼の御方の帰還を待ち望みましょう! 魔王を配下に従え、魔獣すら支配した彼の御方を! 導師ソロモンによって統治されれば、魔獣におびえる事もなく! 不当に富を得、権力をみだりに振りかざす者たちは滅ぼされ、貧しき者は救われるでしょう!」

 聴衆は歓声を上げた。
 傍らに控える少年の持つ旗には、大きな目を象った魔法陣が描かれている。異端の大魔導ソロモンの紋章である。
 少女は満足げに笑いながら、肩から下げた鞄から妙な札を取り出した。ソロモンの紋章が描かれている。少女はそれを高々と掲げて言った。

「さあ! これは導師ソロモンのお札です! これを持ってさえいれば、彼の御方が帰還なされた際にも滅びを恐れる事はありません! 本来ならば門外不出のこのお札! 金貨を積まれても売る事など出来ませんが、わたしは皆さんを救いたいッ! 特別に銅貨二十枚でお譲りしましょう! さー、買った買った!」

 聴衆たちはおくれおくれと手を伸ばす。札は飛ぶように売れて行く。
 これが噂の邪教とやらか、とライオネルは嘆息した。飛んだ与太話だ。大陸を手中に納めた末、狂気にとらわれて時空の彼方に消え去ったという男が、良い統治者になる筈がない。第一、あんな魔力も感じない札など何の役に立つというのか。単なる宗教詐欺ではないか。
 それでも、現状に不満を抱く多くの者たちはこういった言説にも共鳴してしまうのだ、とライオネルは何ともやるせない気分になった。チェボルグはにやにやしている。

「随分混沌とした世の中になって来たじゃねえの!! だらしねえな!!」
「また揉め事とか勘弁ですよお……」

 そこに、何やらけたたましく警笛を鳴らしながら兵士の一隊が駆けて来た。隊長格らしいのが怒鳴った。

「何をやっている! 怪しげな言説で蒙昧な大衆を惑わせよってからに!」

 演説していた少女はふんと鼻を鳴らした。

「真実を語っているだけです。皆さん! 皆さんを蒙昧などと揶揄するのがこの国のやり方ですよ! 我々は無知で愚かでいなくてはならないと権力者たちは思っているのです! それが果たして正しいのでしょうか!?」

 少女の言葉に同調して、聴衆がぶうぶうと兵隊たちに文句を言う。ものを投げつける者もある。兵士たちはうろたえたが、隊長格がサーベルを抜いて大きな声を出した。

「黙れ黙れ、秩序を乱す無法者めが! こいつをひっ捕らえろ!」

 兵士たちは手に手に武器を構えて少女の方に殺到する。聴衆が悲鳴を上げて逃げ惑った。しかし少女はその幼い見た目に反して泰然としたものである。やれやれといった様子で首を振った。

「愚か者に付ける薬はありませんね……」

 そうしてさっと手を上げて、何かぶつぶつと唱えた。途端、兵士たちの動きが止まった。体を動かそうにも動かせないといった様子である。
 唖然とする聴衆たちの前で、兵士たちはもがきながら空中に浮かび上がった。息が出来ないのか、ひどく苦しげである。少女は冷ややかな目でそれを眺めている。

「導師ソロモンに逆らう愚か者よ、後悔するがいい」

 ライオネルは咄嗟に腰に手を伸ばした。しかし貴族の所に行くだけだったから得物はない。眉をひそめ、即座にチェボルグに目線をやった。

「止めましょう」
「がっはっはっは!! 兵隊どもはだらしねえな!!」

 二人は跳躍し、人ごみを飛び越え、少女の前に着地した。チェボルグが手を伸ばして少女の腕を掴み、強引に引き下ろした。兵士たちがどさどさと地面に落ち、ぜえぜえと呼吸を整える。
 少女の目が驚きに見開かれた。

「ひっ……! な、なに!?」
「ちーとばかしおいたが過ぎるじゃねえの!! お子様は家に帰って大人しくしてろっつーの!!」

 チェボルグは手刀を振り上げる。当て身で気絶させるつもりだ。
 少女は恐怖に引きつった顔で傍らに立つ少年の方を見やり、叫んだ。

「ビャク! 助けて!」

 途端に、チェボルグの振り上げた腕が見えない力に弾かれた。チェボルグは驚いて眉をひそめる。
 少女の傍らに立っている少年がチェボルグに指を向けている。同時に体中を弾丸が叩くような猛烈な衝撃が襲った。事実、目には見えない小さな魔力の塊が次々とぶち当たっているようで、チェボルグの肌は凹凸に揺れた。

「うおおおおおおッ!?」

 予想外の猛攻に、流石のチェボルグも少女から手を離した。体を後ろに引き、両腕を体の前で組んで防御の姿勢を取る。それを見るや、少年は後ろに振りかぶった両手を一気に前に突き出した。さらに大きな魔力の塊がチェボルグを遠くに吹き飛ばす。
 吹っ飛ばされながらもチェボルグは大声で笑った。

「どわーッ!! はっはっは!! やるじゃねえの!!」
「魔弾……? それにしては……」

 ライオネルは怪訝そうに目を細めた。
 魔弾という魔法は通常色の付いた魔力の塊を撃ち出すものだ。しかしこれは全くの透明である。拳を振った時の衝撃波を魔力と腕の術式刺青で増幅させているチェボルグの技とも違う。こんな魔法は聞いた事がない。
 ライオネルは考えながらも素早く少年の背後に回り込んだ。そうして押さえつけようと飛びかかる。
 しかしその手は少年に届く前に阻まれた。手の止まった所に半透明の幾何学模様が明滅している。驚きに目を見開いた。

「魔術式自動障壁か!?」

 動きの止まったライオネルに向けて掌底を撃ち出すように少年が手の平を突き出す。透明な魔力の塊が放たれ、ライオネルは弾かれたように吹き飛んだ。驚いたが、威力が強いわけではない、ダメージはほとんどなく、数度空中で回転してから、落ち着いて上手く着地する。
 しかし距離がかなり空いてしまった。ライオネルは即座に距離を詰めようと地面を蹴る。チェボルグも駆けて来た。

 少年は地面にへたり込んだ少女に近づき、ぼつりと呟いた。

「……おい、大丈夫か聖女様」
「馬鹿! この馬鹿ッ! ビャク! お前は何のためにいるの! わたしにあんな連中を近づけないでッ!」
「フン……どっちにしても引き上げだ。元Sランク二人相手とか冗談じゃねえ……」

 少年はうんざりしたように、喚き散らす少女を抱き寄せると、素早く何かを詠唱して手を振った。
 瞬間、二人の姿が陽炎のように揺らめき、元から誰もいなかったかのように消え失せた。
 目前まで迫っていたライオネルは唖然とした。

「て……転移魔法、だと? 帝国でも数えるほどの魔法師にしか使えない超高等魔法……その上、見えない魔弾に魔術式自動障壁……な、何者なんだあ……?」
「がっはっはっは!! 面白れえガキどもじゃねえの!! 逃げられるとは俺もだらしねえな!! 次は油断しねえぞ!!」

 チェボルグは愉快そうに笑っている。
 ライオネルはまた何か面倒な事が起ころうとしている気配をひしひしと感じ、ますます胃が痛くなるような気がした。


  ○


 畑の土起こしがすっかり済み、あちこちで野菜の種まきが始まった。麦踏みも一段落し、もうじき春告祭がやって来る。
 春告祭は秋祭りと違って外から大勢人の来る祭りではない。厳しい冬をつつがなく越す事が出来た感謝を主神である女神ヴィエナに捧げ、暖かな春の到来を飲み食いして祝う。
 冬の後だから食材が豊富にあるわけではないが、それでも酒樽を開け、肉や麦粥、山菜などのうまい食事を取る事が出来る。

 そんな春告祭を明日に控えた暖かなある日、アンジェリンが頭を押さえて庭先でうずくまっている。またベルグリフにぽかりとやられたのである。ベルグリフは眉をひそめて嘆息した。

「アンジェ……何度言ったら分かるんだ? 動く前に目線をやるな。今のお前なら十分に出来る筈だろう?」
「うう……けど、お父さん以外で避けた人いないもん……」
「これから先避ける人や魔獣が出て来ないと言い切れるか? そうなった時にどうする。言い訳をしたって相手は待ってくれないぞ? 慢心はいけない、冒険者は命あっての物種だと何度も言っただろう?」
「だって……」

 アンジェリンはいじけたように頬を膨らました。そして不機嫌そうにぷいっと視線を逸らす。まるで駄々っ子だ。

 アンジェリンが帰郷してから二週間ばかり、日に日に春の陽気を増すトルネラ村で、彼女は村の周りや山を歩き回って遊び、畑仕事や家事を手伝い、毎日ベルグリフと稽古をした。
 まるで童心に戻ったようで、自分の実力を高めたいというよりは稽古そのものが楽しくなっていて、一向に一太刀当てられないのも、ベルグリフの実力の高さを歓迎する姿勢のアンジェリンとしては気にならなくなっていた。むしろ負け慣れしてしまっていて、勝とうという姿勢すら希薄になって来たようだ。

 一方のベルグリフは稽古の度に苦い顔をしていた。アンジェリンはけらけら笑っているが、父親としては釈然としない。
 成る程、アンジェリンは強いかも知れない。しかし自分程度に負けているようでは、かならずいずれ勝てない相手が出て来るに相違ない。

 しかし、何度もそう言ってもアンジェリンは真面目に取らない。
 十七歳という年頃から来る根拠のない自信と、事実、これまで冒険者として打ち立てて来た実績とが彼女に慢心を抱かせているのは確かなようだ。
 ベルグリフは目を伏せて顎鬚を撫でた。甘やかしすぎた自分も悪いと思っているだけに、どうにも強く言う事が出来ない。
 しかし、ここで癖を直しておかなければ親として、師匠として、再び冒険者として死線に立たせるのはあまりにも不安に思えた。

「お二人さーん、ご飯できたよお」

 ミリアムが家の中から顔を出して呼ぶ。アネッサもひょいと顔をのぞかせた。

「野兎の肉に麦粥だけど、いいですよね?」
「ん、ああ、ありがとう。ごめんね、二人に任せてしまって……」
「いえいえ、こっちも楽しんでやってますんで……」

 二人ともトルネラでの田舎暮らしがすっかり楽しくなっているらしく、今では畑仕事や家事、朝の散歩や鍛錬まで一緒にやっている。こうやって食事の支度をする事も増えた。
 今日こそはアンジェリンの動きを直そうと思ったベルグリフは二人に家事を任せたのだが、任せただけの成果は未だ出ていない。
 ベルグリフはバツが悪そうにぼりぼりと頭を掻き、アンジェリンに立つように促した。
 アンジェリンはさっきまでの不機嫌さが嘘のように立ち上がり、軽い足取りで家に入る。そうして振り向いていたずら気に笑う。

「お父さん、ご飯!」
「……アンジェ」
「なあに?」
「お前は……まだ冒険者を続けるつもりなのかい?」
「うん! だって、楽しいもん……きっとわたしに一番合ってる……」

 ベルグリフは額に手を当てて大きくため息を突いた。このままではいけない。どうにかしなくては。

 テーブルにはもう食事の支度がしてあった。野兎の焼肉と麦粥が湯気を立て、乾燥させた山羊のチーズが添えてある。
 アネッサもミリアムも孤児院での経験があり、また自分たちで自炊もしないわけではないから、料理も中々うまい。麦粥にも、オルフェンから持って来たスパイスが入っていて、香りが違っていて新鮮である。
 ベルグリフは野兎の焼肉を食い、麦粥をすすった。少女三人もうまそうに食べている。

 平和な光景だ。こんな生活をこれからずっと続けるならば、別に剣の癖など直さなくたって構わない。
 しかし、アンジェリンはまだ冒険者を続けるつもりだ。自分の力をまだまだ振るいたいと思っているようだし、冒険者が天職だと思っている節もある。やめようとしてもやめられないだろう。
 なればこそ、可能な限り弱点をなくしておかなくてはなるまい。一瞬の違いが生死を分ける事も多い。それが出来なかったから自分は右足を失ったのだ。

 右足ならばまだいい。しかし命を失ってはおしまいだ。こうやって家族や親しい友人と食卓を囲む事も、談笑する事も、夏の暑さや冬の寒さを感じる事も、喜んだり悲しんだりする事も、何もかも出来なくなってしまう。
 娘が魔獣に殺される事を喜ぶ親などある筈がない。今この瞬間だけの甘やかしが何の意味を持つだろう。

 こうなっては、自分は本当に鬼になる他あるまい。ベルグリフは大きく息を吸った。

 ずっと顔をしかめているベルグリフを見て、肉を取り分けたり、お茶を淹れたりと甲斐甲斐しく世話を焼いていたアンジェリンも流石に不安になって来たらしい、おずおずとした口調で話しかけた。

「お父さん……どうしたの? 怒ってるの……?」

 ベルグリフは黙ったまま立ち上がり、剣を手に取った。そうして顎で外に出るようにアンジェリンを促す。
 アンジェリンはびくびくした様子で立ち上がり、剣を持ってベルグリフに続いて外に出る。アネッサとミリアムも不安そうに顔を見合わせ、そっと二人の後を追った。

 庭に出たベルグリフはしばらく義足で地面をこつこつと蹴っていたが、やがてアンジェリンの方を向いた。普段の優し気な雰囲気は消え去り、その表情からは何の感情も読み取れない。冷ややかな視線だ。

「アンジェ」
「は、はい、お父さん……」
「お前が冒険者を続けたいのなら、この立ち合いでお父さんを倒しなさい」
「えっ……で、でも……」
「生半可な覚悟と腕前で冒険者を続けさせるわけにはいかない。もし、お父さんに勝てないのに冒険者を続けると言うのなら……」

 ベルグリフはぎろりとアンジェリンを睨んだ。

「もうお前の事は娘と思わない」

 アンジェリンは凍り付いた。持っていた剣を取り落し、この世の終わりが来たかのような顔をして、呆然と立ち尽くしている。ぽろぽろと目から涙がこぼれた。

「嘘……だよね、お父さん? そんな事……言う筈、ないよね……?」

 ズキリ、とベルグリフの胸は痛んだ。
 しかし、こうでもしなければアンジェリンはいつまでも成長できまい。子供はいずれ巣立って行くものだ。
 今すぐにでも撤回して抱きしめてやりたい気持ちを無理矢理抑え込み、鋭い目つきでアンジェリンを見据える。

「構えなさい」
「……やだ」アンジェリンは服の裾をぎゅうと握りしめて、涙をたたえた目でベルグリフをジッと見た。「やだやだやだ! こんなのやだよう……」
「魔獣に嫌だと言って聞いてくれるのか! 甘ったれるのもいい加減にしなさい!」

 自らの感情を誤魔化す為か、つい語気が荒くなった。アンジェリンはびくりと体を震わせると、虚ろな目のまま剣を拾い上げた。しかし構えらしい構えは取らない。ゆらゆらと小さく左右に揺れながら、何かぶつぶつと呟いている。

「嘘だ……こんなの……お父さんがそんな事言う筈ない……」

 心ここにあらず、といった様相である。ベルグリフはカッと目を見開き、怒鳴った。

「アンジェリンッ!!」
「――ッ!」

 同時に、ベルグリフは義足とは思えぬ凄まじい速度でアンジェリンに肉薄した。今まで後の先を取る戦法ばかり取っていたベルグリフのこの先制に、アンジェリンも目を剥いて反応する。
 振り下ろされた剣を受け止めた。
 今までにない恐ろしい剣気だ。鞘に納められている筈なのに、触れれば斬り裂かれそうである。こんなベルグリフは見た事がない。否、一度だけ、まだ自分が幼い時、冬の雪の中でこんな父親を見た。

 かつて自分を守ろうと振るってくれた剣が、今自分に向けられている。
 何故? どうして?
 次から次へと襲い来る重い剣撃を何とか捌きながら、アンジェリンは考える。わたしがお父さんを怒らせてしまったんだろうか。お父さんはわたしの事を嫌いになったんだろうか。

 違う。

 ベルグリフの剣は苛烈だ。だが、何処か悲しい。
 お父さんは怒ってるんじゃなくて、悲しんでるんだ。わたしが情けないから。

 どん、と強烈な一撃が剣ごとアンジェリンを後方へと弾き飛ばした。
 凄まじい勢いで剣を振るい続けていたベルグリフは少し動きを止めた。慣れない動きをしたせいで息も上がったようだ。大きく息を吐いて呼吸を整え、姿勢を正す。

 弾き飛ばされたアンジェリンは、ゆっくりと顔を上げると、まるで全身の力を抜いたようにだらりと腕を下ろした。
 ベルグリフは目を細める。一見隙だらけなのに、一歩踏み込むと瞬く間に切り伏せられそうな、そんな闘気を発している。

 ぞくり、とベルグリフは震えた。
 それが武者震いであったのか、恐怖から来るものであったのか、それは定かではない。
 だが、その震えが来ると同時にアンジェリンが動いていた。まるで幽鬼の如き足さばきで、滑るように近づいて来る。動きがまるで読めない。

 それでも、剛! と剣を振った。義足の右足を後ろに引き、左足の踏み込みを十全に使った勢いのある一撃である。
 だがアンジェリンはそれを難なくかわした。かわした、というよりは、まるで元からアンジェリンのいない所に剣が振られたかのようだ。

 やられた。

 ベルグリフはそう思った。
 自分はもう剣を振り下ろして隙だらけだ。対してアンジェリンはとうに懐に入っている。
 こんな動きが出来るとは知らなかった。これならば安心出来る。師としては本望だ。

 しかし、強烈な一撃を予想して、固く体を強張らせていたベルグリフの胸元に、柔らかなものが勢いよく飛び込んで来た。あんまり予想外だから、ベルグリフもその勢いのまま背中から地面に倒れ込む。

「……アンジェ?」

 剣を放り出してベルグリフの胸に顔をうずめるアンジェリンは、黙ったまま小さく震えていた。
 その姿を見て、ベルグリフは全身を包んでいた緊張感が抜けるように感じた。一撃こそ受けていないが、自分が負けた事は理解できる。

 ベルグリフはアンジェリンの頭に手をやって、優しく撫でてやった。

「……よくやった。流石はお父さんの娘だ」

 だが、アンジェリンは怒ったような真っ赤な顔を上げて、ベルグリフを睨み付けた。目は涙で潤んでいる。

「……謝って」
「……はっ?」
「ひどい事言ったの謝って! 娘だと思わないだなんて言わないで! そんなの絶対やだ! わたしは何があっても! ずっとずっとお父さんの娘だもん!!」

 そうまくし立てて、アンジェリンはベルグリフの胸に顔を押し付けてぎゃんぎゃんと泣きじゃくった。
 ベルグリフは慌ててアンジェリンを撫でてやった。

「悪かった悪かった。お父さん、お前に本気になってもらおうと思って……」
「やだ! 許さない! 許してほしかったら抱っこして! ぎゅってして!」

 アンジェリンは怒ったままの様子でベルグリフの背中に腕を回してぎゅうと抱き付いた。
 これは娘の何かを悪化させただけなのではあるまいか、とベルグリフは思ったが、先ほどの立ち合いでの動きは見事だった。あれが出来るならば、多少甘えた所で仕方がないか、と思い直し、抱き返して撫でてやった。
 結局のところ、やっぱりベルグリフも親馬鹿なのである。

 泣きじゃくるアンジェリンをあやすように抱いて撫でてやるベルグリフを見て、アネッサとミリアムはホッと胸を撫で下ろした。

「良かった……一時はどうなる事かと……」
「ねー……けどやっぱあの二人は仲良しが似合うねー」

 ミリアムはくすくす笑った。アネッサも頷く。
 それから二人はベルグリフの凄まじい気迫を思い出して身震いし、確かにベルグリフは“赤鬼”なのだとすっかり納得してしまった。
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