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一三四.結界の広さは村の広場と


 結界の広さは村の広場と同じくらいだ。あまり広くても面倒であるし、魔獣と戦うのだから狭くてもいけない。

 結界の中に入ったパーシヴァルとグラハムは、それぞれに辺りを見回して、足場などを確かめるように歩き回った。カシムはシャルロッテを連れて、立てた棒杭一つ一つを改めて見て回る。


「……よーし、こっちは大丈夫だぜ。起動していいかい?」

「いいぞ」とパーシヴァルが言った。

「よっしゃ」


 カシムがシャルロッテに頷きかけると、シャルロッテはそっと目を閉じて大きく息を吸い、吐いた。そうして両手の平を上に向けて魔力を集中させる。魔力が渦を巻いて彼女を取り巻き、アルビノの髪が浮かぶようになびいた。


「いいぞ、そのまま棒杭の方に」


 シャルロッテは薄目を開けて、緊張気味に両手を前に出した。魔力が杭の一本に流れると、刻まれた紋様が青白く輝き、先端から光が筋になって飛び出したと思うや、両側の杭に伸びて、立てた棒杭が次々と青白く輝いた。やがてその光が薄い壁のように広がって繋がり、ドームのような半球になって棒杭の内側を覆った。


「よーし、上出来上出来。もういいぜ、シャル」


 シャルロッテは大きく息をついて両腕を降ろした。ミトが嬉しそうに駆け寄ってシャルロッテの手を握った。


「シャル、カッコいい。凄いね」

「えへへ、そう?」


 そう言ってはにかむと、シャルロッテはそっとベルグリフの方を見た。感心したようにこの魔法の行使を眺めていたベルグリフは、もちろん褒め称えるような視線をシャルロッテに送り、シャルロッテは頬を染めて喜んだ。

 カシムは目を細めて結界の様子を眺めた。


「さーて、しかし強度を確かめないとね。パーシー、行けそう?」

「おう。だが離れてろ」


 結界の内側のパーシヴァルが剣を抜いた。相対するグラハムも大剣を抜き放つ。久々の出番に聖剣も大張り切りという風で、空気が振動するような剣気を放った。

 ベルグリフは思わず息を呑む。自分が柄を握った時とは比べ物にならない。

 だが、それに一歩も引かずに対峙するパーシヴァルもやはり只者ではない。軽く笑みさえ浮かべているくらいだ。しかし花冠がやっぱり可笑しい。


「いいかい、グラハムさんよ」

「うむ」


 グラハムは頷き、軽く剣を後ろに引いた。それだけで空気が震える。

 二人はしばらく様子を窺うように対峙したまま動かなかったが、突如として同時に動いた。どちらかが先に動いたのか、それは分からないが、傍から見る分にはまったく同時であったというくらいである。


 互いの剣撃が裂帛の気合と共に繰り出された。

 そうして刀身がぶつかり合うや、とてつもない衝撃波が二人を中心に巻き起こり、結界の中の草や花々が千切れて、渦を巻いて飛び交う。結界が青白く明滅し、大地が震えるようだった。

 数瞬競り合ったと思いきや、刀身が押し合っている部分から、突如として魔力が膨れ上がる。


「あ、やばい」


 カシムが大慌てで前に一歩踏み出した。両手を突き出して何か小さく詠唱する。

 それとほぼ同時に、硝子が割れるような音と共に結界が砕け散った。

 ベルグリフは咄嗟に双子を抱いてマントに隠し、ミトやシャルロッテ、ビャクを庇うように立ちふさがった。

 中で大暴れしていた暴風がたちまち外へと溢れ出し、台風のような荒々しさで平原を撫でて行く。

 植物だけでなく、細かな土や石などが飛んでいたが、こちらには降って来ない。目をやると、砂色の立体魔法陣が明滅しながらそれらを阻んでいた。


「ビャク」

「心配すんな、このくらい魔王の力は要らねえ」


 髪は白いままだ。ベルグリフはホッと胸を撫で下ろした。

 泡を食ったせいか長い時間に感ぜられたが、どうやら短い時間だったらしい、風が止まると、元の通りののどかな春の陽射しが降り注いでいる。


「……ふう」


 ベルグリフは顔を上げて、驚いた顔をしている双子を地面に降ろした。


「大丈夫かい、みんな」

「わたしは平気よ」

「ぼくも大丈夫」


 子供たちは少し驚いたようだが、それでも平気そうな顔をしていた。むしろ楽しかったようで、双子とミトは「すごかったね」と顔を見合わせてはしゃいでいる。カシムだけは頭を抱えていた。


「術式一から組み直しじゃないかよー……魔獣が出る前に冒険者が結界壊してどうすんだって、もー」

「おいカシム! テメエ、適当な術式組みやがって、やる気あんのか!」


 パーシヴァルが怒鳴った。カシムが怒鳴り返す。


「うるせー! そりゃこっちの落ち度もあるけど、限度ってもんがあるだろーッ!」

「ぐたぐた言ってねえで、さっさと組み直せ! これじゃ百年経っても魔獣なんぞ呼び出せねえぞ!」

「わーってるよ! くそー、ちょっと甘く見過ぎてた……みんな、棒杭回収するぞー」


 カシムが手をひらひらさせて歩き出すと、シャルロッテとミトが「はーい」と付いて行く。今度は双子も面白がって駆けて行き、それを追いかけるように早足でビャクが付いて行った。

 ベルグリフが、さてどうしようかと思っていると、入れ替わりにパーシヴァルとグラハムがやって来た。


「脆い結界張りやがって。龍種でも出て来たらどうするつもりだったんだか」

「……パーシー、わざとやったんじゃないか?」

「……ちょっとだけな。ま、俺とグラハムさんの本気の剣がぶつかりゃ、ああなるのは何となく分かってはいたけどよ」


 パーシヴァルは抜身の剣をくるくる回した。黒っぽい金属でできた片刃の剣で、刀身には幾重もの波模様が走っている。グラハムの大剣と打ち合ったにもかかわらず、刀身には傷一つついていない。これもかなりの業物なのだろう。

 パーシヴァルはじろりとグラハムの大剣を見た。


「にしても、容赦なく俺の剣を折りに来やがったな。とんだじゃじゃ馬だ」

「……すまぬな」


 グラハムが困ったように目を伏せた。パーシヴァルは声を上げて笑う。


「なぁに、あんたは抑えてくれたんだからいいんだよ。こっちも簡単に折られりゃしねえしな。ま、そのせいで魔力が膨れて結界が弾けたんだろうが」


 大剣は唸りもせずに黙っている。怒られて拗ねているようにも見えて、ベルグリフも思わず笑ってしまった。


 その時、村の方角から誰かが駆けて来る気配がしたと思ったら、「ししょおー!」と元気のいい声が聞こえて来た。見るまでもなく誰だか分かる。

 サーシャ・ボルドーは疾風のような身のこなしで駆けて来ると、ベルグリフの手を両手で握ってぶんぶんと振った。目が輝いている。


「ご無沙汰しております! この度はご結婚とギルドマスター就任、おめでとうございます!」

「ははは、ありがとうございます、サーシャ殿。ギルドマスターはまだ先の話ですが……サーシャ殿もお元気そうで何よりです」

「元気だけが取り柄のようなものですから! アンジェ殿から話を聞きまして、これはお祝いに伺わねばと飛んでまいりました! グラハム殿もお変わりなく……むむ? そちらのお方はもしや」


 サーシャはグラハムを見てから、パーシヴァルに視線を留めて目を細めた。パーシヴァルは怪訝な顔をしてサーシャを見返した。


「誰だ?」

「この方はサーシャ・ボルドー殿。ほら、先日来たヘルベチカ殿とセレン殿の姉妹で……サーシャ殿、こいつはパーシヴァルといいます。私の昔の冒険者仲間で」


 サーシャは頬を上気させてパーシヴァルの手を取った。


「お噂はかねがね聞き及んでおります。音に聞こえた“覇王剣”のパーシヴァル殿と会えるとは……このサーシャ・ボルドー、感動の極みです!」

「大げさだぜ、そいつは……賑やかな姉ちゃんだな、おい」


 パーシヴァルは苦笑しながらベルグリフの方を見た。

 サーシャがいると一度に場が賑やかになる。しかし決して悪い気はしない。

 グラハムが呆れたような笑みを浮かべた。


「そなたは少し落ち着きを身につけるべきだと思うが」

「うっ……」


 サーシャは恥ずかしそうに頬を染めて俯いた。


「あれあれ、もう終わっちゃったの?」


 また別の声がした。サーシャが来たのと同じ方から、サティとダンカンが一緒に来るのが見えた。


「サーシャちゃん、足速過ぎるよ。若い子は元気だねえ」

「はっはっは、サティ殿もそうではありませんか。某が一番年寄りに見えますわい」


 ダンカンは戦斧を携えており、サティは四角い藤籠を両手に一つずつぶら下げていた。


「家の方はもういいのかい?」とベルグリフは言った。

「うん。こっちを見物しようと思って急いで終わらせたの。でももう終わっちゃったのかな? さっき物凄い突風が吹いたから、急いで来たんだけど」

「いや、結界の強度を確かめたんだが、パーシーとグラハムが壊しちゃってね。もう一度張り直す事になった」

「Sランク魔獣よりも物騒だね、そこの二人は」


 サティがそう言ってくすくす笑った。グラハムはバツが悪そうに頭を掻いた。パーシヴァルはにやにやしている。

 ダンカンが戦斧にもたれた。


「ではしばし時間がかかる、という事でしょうかな?」

「そうだな。今カシムと子供たちが直してるけど……」


 遠くに目をやると、子供たちを引き連れたカシムが棒杭を回収しながら移動しているのが見えた。刻んだ術式を新しくするつもりなのだろう。

 サーシャがうずうずした様子で言った。


「あの、あの、サティ殿から聞いたのですが、高位ランク魔獣を呼び出して討伐なさるとか!」


 サーシャはトルネラに着いて真っ先にベルグリフの家に向かったが、サティがいるだけで留守だった。それでサティと話をして、ここまで一緒に来たようである。


「ええ、その為の結界を張っているのですよ。グラハムやパーシーがいるとはいえ、絶対という事はありませんから」

「むむう、どんなに有利に思える状況でも気を抜かず……流石は師匠、思慮深い」

「い、いや、そんな大層な話ではなくて」

「お時間があればまた手合わせをと思っていたのですが、すぐには無理そうですね……」

「面白いなあ、サーシャちゃんは。どっちみち、結界が再構築されるまでは待ちって事だよね? お弁当、食べる?」


 サティはそう言って藤籠を掲げた。

 ベルグリフは太陽の位置を見た。まだ昼には少し早いかも知れない。腹具合も何とも言えないところである。


「まだいいかな。俺たちよりも子供たちの方が食べたいんじゃないか?」

「そうね。どれ、わたしも加勢に行こうかな。終わったらお昼だね」

「わたしもご一緒します! 折角来たのですし、黙って見学というのも味気ないので!」


 そうしてサティとサーシャは連れ立って歩いて行った。パーシヴァルが肩をすくめた。


「あの家の姉妹は揃って強烈だな、おい」

「うん、まあ……うん」


 ベルグリフは苦笑して顎鬚を捻じった。そう改めて言われると、確かに三人とも個性的だ。


 いずれにせよ、もう少し待たねばなるまい。カシムの事だからそう長い時間はかからないだろうけれど、瞬く間にというわけにもいかない。

 ベルグリフはゆっくりと腰を下ろした。服越しにくしゃくしゃした草の感触がした。

 ここは緩やかな傾斜地を上った所だ。結界の張られる場所はやや低く、ここから眺めると棒杭を回収する面々がよく見えた。


「ピクニックのようなのどかさですな」


 ダンカンが笑いながら隣に腰を下ろした。ベルグリフも笑う。


「子供が多いからね。確かに、これから高位ランク魔獣が出て来るなんて信じられないな」

「……しかし魔王とは何なのでしょうな。ミトや、あの双子を見ていると、某は何だか分からなくなります」


 ダンカンの言葉に、ベルグリフは考えるように目を伏せた。本当にその通りだと思う。

 伝承によれば、魔王はソロモンの作り出した人工生命体だ。ソロモンが消え去った後に暴走し、世界中を破壊した。その魔力が魔獣を作り出したとも言われている。

 だが、今目の前で歩き回っている魔王の子供たちは、まったく無邪気そのものだ。ミトはもちろん、ハルとマルの双子、ビャクもそうだし、アンジェリンだってそうなのだ。しかしその誰もが言い伝えられている魔王の像とはかけ離れている。


 しかしその一方で、アンジェリンがオルフェンで討伐したという魔王や、マルグリットやグラハムが各地で倒したという魔王は、やはり恐ろしい存在だったようだ。そこがどうしても線でつながらない。


「グラハム、君が相対したという魔王は、どんな感じだった?」

「……強力な相手ではあったが、しかし心ここにあらずという風だった。あれらの暴力の振るい方は、さながら子供が悪意もなく虫を潰すようなそれに近い。故に加減がなく、危険だった。だから私はあれらを討伐して回ったのだ」

「確かにそうだな」パーシヴァルも頷いた。「あいつらは不気味だった。ただ、どこかに帰りたがっていた。しかし帰る手段が分からない……だからかつて命じられた行動をそのままなぞっている、そんな感じだった」


 そういえば、パーシヴァルも魔王を倒した事があるという。ベルグリフは顎鬚を捻じった。


「子供、か。確かにそうなのかも知れないな……ソロモンは、本当にただの兵器として彼らを作り出したんだろうか?」

「分からん……が、もしそうであれば、感情は邪魔な筈だ。自らを主人として慕わせるというにしては、あまりに人間臭すぎる」グラハムが言った。

「……家族でも欲しかったのかね」


 パーシヴァルが言った。彼の言葉は冗談を交えるような調子だったが、ベルグリフは、案外それは的を射た考えかも知れないと思った。


「魔王について、見て見ぬふりはできないだろうな」


 ぽつりと呟くと、グラハムが頷いた。


「調べねばなるまい。子供たちが憂いなく過ごせるようにな」



  ○



 アネッサとミリアムが並んで座っていた。ギルドの建物の前にはベンチが並んでいて、中に入らずとも腰を下ろす事ができる。


 アンジェリンはマルグリットを連れてライオネルたちと会っている。マルグリットの高位ランク昇格に関しての手続きやらがあるらしい。

 皆で押しかけても手持無沙汰だろうし、ごたごたしても迷惑そうだから、二人はこうして待っていた。その手続きが済んだら、四人揃って近場のダンジョンに行ってみる予定である。

 人が行き交ってやや埃っぽい。空から射す光で、舞う埃がくっきりと見える。しかしまだ夏には早く、全身に浴びて気持ちがいいくらいだ。トルネラ程の清々しさはないけれど、もちろん不快ではない。


「あー、昼寝がしたい感じになって来たねえ」

「そうだな。あったかくて、いい気分だ」


 アネッサはそう言って伸びをする。わずかに背骨がくきくきとなって、体がほぐれるような心持である。

 オルフェンに戻って来ただけで、妙に騒々しい気分だ。人や物が多いのもあるし、長らく留守にしていた家を掃除するのに少しかかった。消費し損ねてそのままになっていた野菜がからからに乾いてしなびて、何だか分からないものになっていたのは辟易したけれど、片付けてしまえばもちろんすっきりする。


 家事をしながら、トルネラのベルグリフ宅での生活を思い出した。一気に人数が減って、ようやくあの家も少し賑やかさが落ち着くのかな、とアネッサは何ともなしにミリアムの方を見た。


「なぁに?」

「いや、これで長い休暇も本格的に終わりだなあ、と思ってさ」

「そうだねー。いやあ、大冒険でしたにゃー」


 ミリアムはそう言ってくすくす笑った。

 そう、思い起こせばまるで全力疾走のような日々であった。アンジェリンの仲間になっていなければ経験できなかった事ばかりだろう。そればかりかベルグリフやその旧友たちと知己になる機会すらなかっただろう。トルネラにだって行く事はなかった筈だ。

 アネッサはぽつりと呟いた。


「……あの時ギルドから、アンジェのパーティにって勧誘がなければ、トルネラの人たちとは誰とも知り合ってないんだよな」

「確かに。最初はアンジェの事ちょっと怖いって思ってたもんね。受けてよかったよねー」


 自分たちもかなり若くしてAAAになったという自負こそあったものの、その上を行く天才少女相手には、妙に委縮する気持ちがあったのも確かだ。最初はそれこそ腫れ物に触るような慎重さで接していた事も否めない。後になって、アンジェリンの方もそうだったと聞いて三人で大いに笑ったのだったが。


 ともあれ、オルフェンに帰った以上、また元通りの日常だ。

 依頼を受けて、出掛けて、戦って、素材を集めて、そうして装備や持ち物を点検して手入れして、また新しい仕事に行く。

 アンジェリン曰くまた東に旅に出たいという。もちろん付いて行くつもりだが、それが終わってからはまた日常が戻って来るだろう。そうなったら、またどこか遠くへ旅に出る事はあるのだろうか。


「……いつまで続くやら、だな。はあ」


 どうにもため息ばかりでて困るな、とアネッサは膝に肘を突いて頬を乗せた。大きな冒険を終えてしまったというのが、何だか一つの区切りになったようで、それが妙に寂しいような気がした。要するに気抜けしてしまった感があるのだ。


 ベルグリフとその旧友たちを見ていると、何だか自分たちも過去に思いを馳せる。出会った時や、ぎこちなかった頃、打ち解けた時の思い出などが自然と浮かんで来る。

 だが、彼らはある意味自分たちの未来の姿だ。四十代になったとしたら自分は何をしているだろう、と考えは過去から将来へと転がって行く。

 四十代だけではない。もっと年を取って、体が一層自由に動かなくなって来た時、冒険者でいる事はできるのだろうか。


 もちろん、パーシヴァルやカシムは四十代でも元気で、現役の冒険者として十分に通用する。サティは体が衰えない限り実年齢は関係ないだろうし、ベルグリフだって、本人にその気があれば復帰する事も容易いだろう。ああいう姿を見ていると、自分たちだってそうなれるという気にもなる。


 だが、同時に心に刺激を受け続け、戦いの緊張感が日常と化した生活に疲労感を覚えるような気がするのも確かだ。ああいった事がマンネリ化して来ると、物事に対する色彩が失われるように思われた。

 トルネラでの穏やかな生活の中、冒険など縁がないまま、日々の農作業や家事を丁寧にこなしている村の女たちと交流する度に、こんな生き方も十分にあり得るな、と思ってしまった。


 不意にぺけぺけと六弦の音がした。見るとルシールがヤクモと連れ立って歩いて来るところだった。ルシールがへろへろした声で歌っている。


「てれれてーてー、てれれてー、うぇなぁいしくすてぃふぉう」

「おーい、お二人さーん」


 ミリアムが手を振ると、二人はやって来た。


「おう、何をしとるんじゃ? アンジェを待っとるのか?」

「そうでーす」

「マリーの昇格の手続きをしに行ってるんですよ。あいつもパーティに加入する事になったんで」


 ヤクモは頷きながら煙管を叩いて中の灰を落とした。


「仲が良くてええのう。アンジェとマリーで前衛二人か。後ろに射手と魔法師。盤石の態勢じゃな」

「ですね。前よりも気楽に戦えそうです」

「ますます稼げるというわけか。まったく、羨ましい話じゃわい」


 マルグリットの剣の腕は自分たちも認めるところだ。経験の差か、まだアンジェリンにやや及ばない部分はあるものの、その剣筋は高位ランク冒険者にふさわしい鋭さがある。性格も不器用者の可愛さがあって、アネッサもミリアムも好きだ。四人でもきっと上手くやれるだろうという確信はある。

 しかしマルグリットはエルフだ。二十年経ってもその容姿は変わらないだろう。サティを見ればそれは容易に想像がつく。自分たち人間が着実に衰えて行くうちに、彼女だけ冒険者を続けているという未来もあるかも知れない。そうなった時、自分たちはどんな感情を胸に抱いているだろう。

 未来の事など誰にも分からないけれど、分からない分だけ思い煩うと長い。


 アネッサはまた一つため息をついた。煙管に煙草を詰めながら、ヤクモが笑った。


「なんじゃ、幸せが逃げるぞ?」


 ミリアムが変な顔をしてアネッサを覗き込んだ。


「アーネ、さっきから、なんか変じゃない? センチメンタル?」

「そういうわけじゃ……いや、そうかもな」

「なんで? やっぱもっとトルネラにいたかった?」

「そうじゃなくてさ、何か気抜けしたというか、何というか……妙に未来の事とか考えちゃうし」

「未来の事?」

「うん。冒険者っていつまでも続けられる仕事じゃないのかな、ってさ」

「なんだあ、年寄りっぽいぞー」

「うるさいな。だってそうだろ。今はいいけど、将来は分かんないし」

「へえー。じゃあ、将来はトルネラのギルドで弓の教官でもする?」


 ミリアムのいたずら気な台詞に、アネッサは思わず吹き出した。トルネラの、というのがミリアムの本音が出ているようで、いい。


「ふふっ、そうだな。それもいいかもなあ……そしたらお前は魔法の教官か?」

「んー、わたしは教えるの苦手だからなー。行くとしたら研究の方か魔道具の方かな」

「魔法使いは結構選択肢ありそうでいいよな。トルネラで魔道具屋始めたら需要はありそうじゃないか?」

「それじゃすぐ引退するような話じゃん。わたしはまだ冒険者するのー」


 ミリアムは耳をぴこぴこ動かして、視線を宙に泳がした。


「……でもわたしもね、あんまし年とっても冒険者やってるかは分かんないなーって思ってた。そのうち疲れちゃうかもだし、もしかしたら大怪我するかも知れないし……」

「なんだよ、人の事からかっといて」

「だってアーネをからかうのはミリィちゃんの義務だもーん」


 アネッサは口を尖らして、ひょいとミリアムの帽子を取ると、猫耳をつまんでぺこんと裏返した。しばらくすると勝手に跳ね返って戻る。それをなんとか戻らないように上手い事調整して、両耳とも裏返ったままになったミリアムを見て、アネッサは満足げに頷いた。


「うん、よし」

「よしじゃないから」


 ミリアムは頬を膨らまして、器用に耳だけ動かして両方ともぴんと伸ばした。ヤクモが口から煙を吐き出した。


「仲良しじゃのう、おんしらは。しかし儂より若い癖にあんまり小さくまとまるもんじゃないぞ」

「ヤクモさんは生涯現役って感じですか?」

「他に何かやれるような性格じゃないからのう。嫁の貰い手があるでなし、あっても炊事洗濯を仕事に暮らすのは性に合わんでな」

「えー、美人なのに勿体ないですにゃー」

「何言うとるんじゃ。大人をからかうんじゃないわい」

「ルシールは? 将来の事とか考える事ある?」

「あいむろけんろーらー」

「つまり?」

「明日は明日の風が吹く……ぶろうぃにんざうぃん」


 それだけ言って、ルシールは六弦をつま弾いている。

 ちっとも要領を得ないので、三人は諦めて肩をすくめた。


「南部語ばっかり話しおって……ま、こやつが意味不明なのは今に始まった事ではないわな」

「まあ、ルシールらしいと言えばらしいけど」


 ルシールは六弦を弾く手を止めて、アネッサとミリアムをジッと見た。


「二人は素敵なお嫁さんになるの?」

「んなっ」


 藪から棒の一言に、アネッサもミリアムも目を白黒させた。


「なんでそんな話になるのさー」

「トルネラの結婚式、素敵だった。サティさん綺麗だった」


 ルシールはそう言ってまた六弦をつま弾いた。アネッサとミリアムは顔を見合わせた。


「そりゃ……ちょっといいなとは思ったけどさ」

「相手がいないもんねー……」

「昔の人は言いました。果報は寝て待て。おっと、寝過ごした」

「んぐ……」


 ミリアムは言葉に詰まった。そりゃ確かに探す努力は最初から放棄していたかも知れないけど、と思った。ヤクモがくつくつ笑いながら煙を吐いた。


「可愛いのに勿体ないのは確かじゃの。切った張ったを続けるよりも、穏やかな家庭に落ち着くのも悪い話ではないかも知れんのう」

「ヤクモんみたいに寝過ごしちゃ駄目だぜ、べいべ」


 ヤクモは無言でルシールの頭に拳骨を落とした。ルシールはきゅうと鳴いた。


 その時、用事を終えたアンジェリンとマルグリットがギルドから出て来た。マルグリットは晴れ晴れとした表情で、腰のベルトから真新しい魔導金のプレートをぶら下げていた。高位ランク冒険者の証である。

 アンジェリンはヤクモたちを見て目をぱちくりさせた。


「あれ、ヤクモさんとルシールも来てたんだ」

「仕事を貰いにな。その様子じゃと首尾よく昇格できたようじゃの」

「おう、AAランクだぜ!」


 マルグリットはそう言って、腰のプレートに手をやった。アンジェリンの口利きがあったとはいえ、一気にAAとは景気が良い。尤も、『大地のヘソ』のような所で戦えるマルグリットには、これくらいでなくては適正な評価とは言えないだろう。


 ヤクモが煙管の灰を落として懐にしまった。


「さーて、儂らも仕事を貰いに行って来るかの。では、またな」

「うん、今度ご飯食べに行こうね……」


 ヤクモとルシールが入って行くのを見送ると、アンジェリンはうんと伸びをした。


「いい天気……行こっか」

「そうだな。準備はできてるし」

「新生パーティの腕試しですにゃー、ふふ」

「よーし、頑張るぞう!」


 マルグリットは目に見えて張り切っている。三人はくすくす笑いながら銘々の荷物を担ぎ直した。


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