一一六.水の中を揺蕩っている
水の中を揺蕩っているようだった。
周囲は闇に包まれていたが、目を凝らすと変な細かい模様がひっきりなしに明滅しているらしい事が分かった。
両手を見ればしっかりと見える。ただ輪郭が何となくぼんやりと曖昧な気がして、意識をしっかり持っていないと急に体が溶けて霧散してしまいそうな、そんな嫌な予感がずっと頭にあった。
アンジェリンはしっかと両足に力を込めたまま、しかしそのままの恰好で少しずつ下の方に沈んでいた。
確かに下に向かっているらしい事は感覚で分かった。
吸い込む息が妙に粘つくような気がして、鼻から少し吸って、口から少し出し、深呼吸する事は避ける。パニックになってもおかしくない状況だが、流石にそこはSランク冒険者である、無暗に取り乱すような事はない。
時間の感覚すら曖昧になりそうだったが、やがて周囲が少しずつ明るくなって来たと思ったら、水から浮かび上がるような感覚があった。
「うっ、わ!」
下に沈んでいた筈なのに、突然頭から落ちそうになったからアンジェリンは仰天した。それでも咄嗟に手を付き、受け身を取って転がる。
状況を掴むのに数瞬手間取ったが、どうやら自分が地面から逆さまに浮かび上がって来たらしい事が分かった。地面から投げ出された途端に重力が働いて、地面に向かって転げたようだ。
まだ曖昧な靄がかかったようだった頭をぶんぶんと振って覚醒させた。
妙な空間だった。
どうやら真四角な一つの部屋らしかった。壁も天井も床も、白と黒のチェック模様で覆われていた。
材質は木でも石でもなく、靴で打つと鈍い音を立てたが、それなりに広い部屋なのにちっとも響く気配はなかった。
部屋の真ん中の天井に近い所には赤い球体が浮かんでいた。一部の歪みもない、完璧な球体である。白と黒の無機質な部屋の中で、その球体の赤色は実に鮮やかに見えた。
アンジェリンは注意深く周囲を見回した。敵意のようなものは感じないが、視線は感じた。ベンジャミンの仲間が監視でもしているのだろうか。
そっと腰の剣の柄を握りながら、アンジェリンは壁際まで歩いて行った。チェック模様の正方形は、一つがアンジェリンの頭と同じくらいだった。
壁に手の平を付ける。熱くもなく、冷たくもない。押してみると、少しばかりの柔らかさと硬さを感じた。
げしっ、と蹴ってみた。びくともしない。
剣を抜いて先端で軽く突いてみる。刺さるどころか傷すらつかなかった。かなり丈夫な壁のようである。
周囲からの視線に侮蔑が混じったように思われた。何処からともなく、嘲笑するような忍び笑いが微かに聞こえる。
「……よし」
しばらく黙って突っ立っていたアンジェリンだが、やにわに剣を抜き放ち、魔力を刃に通わせると壁に向かって袈裟に斬りつけた。剣はすんなりと壁を斜めに切り裂いた。
つんざくような悲鳴が部屋中に響き渡った。
振り返ると、赤い球体が暴れるように形をぐにゃぐにゃと変えていた。苦しみに悶えているようにも見えた。アンジェリンはふんと鼻を鳴らす。
「さっさと出さないともっと斬ってやる……」
アンジェリンは剣を振りかざす。すると、慌てたように目の前の壁に扉が現れた。錆びだらけの鉄の扉である。アンジェリンは剣を鞘に収めて、脅すように赤い球体を睨んだ。
「わたしを閉じ込めようなんて思うからこうなる……二度目はないぞ」
赤い球体は恐縮したように縮んでしまった。
鉄の扉は軋んだ音を立てて開き、アンジェリンがくぐると背後で消え失せた。靴底で踏む地面の感触が、また違ったものになったのを感じた。
「……ふぅん」
ミルク色の霧がそこいらじゅうに漂っていた。地面はあるんだかないんだか、ともかく妙にふわふわとした踏み心地である。
アンジェリンは顔を上げて、ぐるりを見回した。
霧にも濃淡があって、薄い所の向こうに妙な幾何学模様が明滅しながら浮かんでいた。模様は生き物のようにぐねぐねとのたくって一時も同じ形になろうとしない。立体魔法陣のようにも見える。
ひとまず歩き出した。足元の感触が釈然としない。見ただけでは地面があるかどうかも分からないが、確かに足はしっかと地面を踏み締めている。それで歩きはじめは手間取った。
ふと、向こうに人影が見えた。上下が逆さまになって、空中を踏むようにして歩いている。アンジェリンは足を速めて近づいた。だが、それは霧が集まって人のような形をとっているだけらしかった。それでも人間のような足取りで歩いている。
「おい!」
とアンジェリンは大きな声を出した。
霧人間は何の反応もせずにアンジェリンの頭上を逆さまのまま歩いて行った。あれは単なる人形だ、とアンジェリンはそれを見送った。
何となくじれったい気分でアンジェリンはしばらく歩き回っていた。途中、どうやら明確な地面というものが存在しないらしく、歩こうと思えば下にも上にも歩いて行けるらしい事が分かった。
「……これじゃ埒が明かない」
ベルグリフに昔教わった事を思い出す。
闇雲に歩き回っていても駄目だ。ダンジョンでもそれは同じ事。目に見えない感覚をもっと研ぎ澄ませれば分かる事もある筈だ。
アンジェリンはそっと目を伏せた。大きく息を吸って心を落ち着ける。感覚を研ぎ澄まして自分の魔力のアンテナを立てる。
魔力は周囲で乱気流のように吹き荒れていた。どうして気付かなかったのかというくらいに強い。
だがそれらは一定ではなく、右から来たと思えば左から来て、その上ぐるぐると渦を巻いて上や下へと行き、また別方向から来たそれぞれの魔力がぶつかり合ってもいた。
冷静に考えてみれば、こんなおかしな場所はベンジャミンによって造られた特殊な空間なのだろうと見当はつく。
魔法で作られた空間ならば、魔力が漂っているのが普通だ。強制転移で別の時空へ閉じ込める腹積もりだったのだろうがそうはいかない、とアンジェリンは鼻を鳴らし、目を開いた。
「上等な手品……でもわたしを甘く見過ぎ」
アンジェリンは剣を抜いた。乱れ吹く魔力の中で、ほんのわずかに指向性を持って流れている魔力を、彼女は感じ取っていた。それを辿って迷いなく足を進める。
やがて立ち止まった。周囲と何ら変わりのない場所だが、微かな魔力の流れは確かにこの空間で断ち消えていた。
アンジェリンは剣を構えてさっと振り抜く。
ミルク色の霧が裂けたと思うや、急に渦を巻いて穴を穿ち、見る見るうちに広がった。そのまっ黒な穴にアンジェリンは戸惑う事なく素早く飛び込んだ。
靴底が柔らかなものを間に挟んで硬い床を打った。ほんのわずかに体の周囲にまとわり付いていた霧が溶けるように消えた。
アンジェリンは目を細めて周囲を確認した。
細長い廊下だった。右を見ても左を見ても、延々と向こうまで続いている。
壁と天井は石造りだ。床には紫色の絨毯が敷き詰めてある。等間隔に壁に下げられたランプが、辺りを薄ぼんやりと照らしていた。
「次から次へと……」
閉じ込める、というならば確かに気が滅入る造りだ。
しかし、こんな事でわたしがへこたれると思うのか、とアンジェリンは苛立たし気に踵で絨毯を何度も踏んで、ひとまず廊下の一方向を決めて歩き出した。
空気はしんしんとして、下の方に溜まっているように思われた。
魔力も同様で、さっきの霧の立ち込めていた場所とは違い、劇的な流れは感じられない。石の壁や天井と同じく、無機質で冷たく、動きそうには思われなかった。
絨毯が敷いてあるから足音はしない。ずんずんと大股で歩いて行って、ふと足を止めた。アンジェリンは顔をしかめて足元を見る。絨毯がけば立って、足跡のようになっている。さっき自分が踵で蹴り付けた跡に相違ない。
「……そういう事か」
この廊下の向こうとこっちはつながっているわけだな、とアンジェリンは納得した。それならその方が楽でいい。無限に広がる空間よりも、閉鎖された空間の方がまだやりようはある。
アンジェリンはそっと壁に手を付けて、ゆっくりと歩き始めた。
歩きながら、壁を撫でておかしな部分がないか確認する。石造りの壁は石の大きさや形もまちまちなのに、石と石の隙間に紙一枚入りそうもないくらいぴっちりと積まれている。硝子のランプは壁に埋め込まれていて、中には光の玉が入っていた。
ゆっくりと元の場所に戻って来るまで調べ、そうしたら反対の壁だ。うんざりするような作業なのだが、アンジェリンは根気強く、ペースを崩さずにそれを行った。
「……壁じゃない?」
どちらの壁も変な所はない。すると床か天井だ。アンジェリンは天井を見上げた。そのまま目を凝らして歩いて行く。
「……違うな」
床の絨毯を剥がしてもみたが、冷たい石の床があるばかりで妙な所は見受けられなかった。少しでも隙間があるとか、風が抜けて来るとか、そんな事があればすぐに気付く。Sランク冒険者として培った洞察力は伊達ではない。だが異常がなければそれを活かすわけにもいかない。
試しに最初の部屋のように壁を切りつけてみたが、傷こそ付いたものの何の変化も現れなかった。
アンジェリンは腕組みして少し考え込んだ。
こういった他の空間を作り出す魔法は、完全な密室状態にしてしまうと外からの干渉すら受け付けなくなってしまい、術者が制御できなくなる。だから何かしらの仕掛けで外とつながるようにしなくてはいけない。
術者自身が入って利用するならば簡単な話だが、こうやって他者を閉じ込めておくための空間であるならば、その鍵はなるべく分かり辛く、またばれたところで容易に突破出来ないようにしておかなければいけないだろう。
すると、考え付くような所に鍵は置かないだろうし、また、考え付いても臆して実行できないような事にするべきなのである。
お父さんならどうするかな、とアンジェリンは考えた。
「……ランプ、かな?」
薄い硝子のランプを見る。中には魔法で作られているらしい光の玉が入っている。この廊下の光源は、等間隔に並ぶあれらだけだ。もし消えたら、真っ暗闇に包まれるだろう。
「普通はそんなの怖くてやりたくない……だからこそ」
アンジェリンは剣を振りかざしてランプを叩き割った。中から光の玉が飛び出してしゅるしゅるとらせん状に宙を舞ってしぼむように消えて行った。
アンジェリンは廊下を走りながら、次々と両側の壁のランプを叩き割る。光の玉が飛び出して消えて行く度に、廊下はどんどん暗闇に包まれて行く。さながら、アンジェリンの後ろから闇が追っかけて来るようだ。
最後のランプを叩き割ると、光の玉がしばらく宙を舞って、それからまったくの闇が辺りに充満した。どれだけ目を凝らしても何も見えない。
アンジェリンは剣を手に突っ立っていた。間違ったか、と思わないでもない。しかしこれでいいという確信めいたものもあった。
暗闇の中というのは時間の感覚がおかしくなる。妙に長い時間が経ったように感ぜられた頃、不意に足元がぐらりと揺らいだ。壁や天井の石の継ぎ目から青白い光が漏れて来た。それらが少しずつ広がって行く。石が崩れているらしい。
そうしてとうとう地面まで崩れて、アンジェリンは大小の石と共に落下した。
アンジェリンは一緒に落ちて行く石を蹴って、崩れ落ちる石たちの一番上まで行った。これで頭を打つ事はあるまい。
周囲は青白い光で満ちていた。魔力が靄のようになってあちこちに漂っていた。
どれくらい落ちていたのか分からなかったが、気づくと一緒に落ちていた筈の石が消え去っていた。そうして段々と落ちる速度が緩やかになり、何の心構えもできていないうちに、ぽふんと布団の上に落っこちたような感触がして、アンジェリンは地面に転がった。
「ひゃわわっ」
慌てて受け身を取る。地面が嫌に柔らかくてバランスが取り辛い。
何とか立ち上がった。足が地面にふかふかとめり込んでいる。くるぶしくらいまでは埋まってしまっている。
エストガル大公の屋敷に泊まった時のベッドの感触に似ている、とアンジェリンは片付かない表情で辺りを見回した。そうして眉をひそめた。
アンジェリンが立っているのはベッドの上だった。それも巨人が寝るような大きなベッドだ。
その脇にはいくつもの大きな枕が無造作に積み上げられている。
「……海?」
向こうに水平線が見える。凪いだ海面に、顔の付いた太陽の光が反射してきらきらしている。
ベッドは砂浜に無造作に置いてあった。砂浜から陸地の方に目をやると、緑の防風林が整然と並んでいた。しかし目を凝らせばそれは木ではなくてパセリである。
海に岬が突き出している。だがよくよく見ると岬ではない。トマトソースと一緒に炒めた米の上に焼いた卵をかけた料理、オムライスが岬のように海にせり出して、その先端に傾いだ灯台のように巨大なスプーンが突き刺さっている。
唖然として見ていると、不意に海面が泡立って、大きな魚が顔を出した。
魚には人間の腕が付いていて、それがオムライスに突き立ったスプーンを握るや、オムライスをすくってむしゃむしゃ食べ出した。太陽がそれをにやにや笑いながら見ている。
こんな荒唐無稽な風景はあったものではない。まるで子供が見る悪夢だ。
今までとはまったく趣の違う様相にアンジェリンはやや困惑したが、冷静さを失うのはまずいと深呼吸した。潮の匂いが胸いっぱいに満ちた。
ひとまずベッドから枕を伝って砂浜に降りた。靴に砂粒が付く。海辺を歩くなんてエルブレンに行った以来だろうかなどとのんきな事を考える。
気候が暖かで穏やかなせいか、妙にリラックスした気分になってしまう。これじゃいけないなと思いながら、砂浜を横切って巨大なパセリの林の中に入り込んだ。鼻に抜ける爽やかな匂いがした。
ここから出るにはどうしたらいいだろう、と思って歩いて行くと、林を抜けた途端に地面の様子が変わった。赤と白のチェック模様の平坦な地面が続いている。その向こうの方に白いレンガを積み上げた壁が見えた。
アンジェリンが首を傾げながら歩いて行くと、壁には鉄格子が付いている事が分かった。
まるで監獄のように、壁には等間隔に牢獄が並んでいるが、中には誰も入っていない。鎖や寝床、便所などが使われた形跡もないままに冷たく動かずに黙っている。
この中に何か鍵があるかも知れない、とアンジェリンが壁に沿って歩いて行くと、唐突に誰かの声がした。
「おい! 誰かいるのか!」
アンジェリンは驚いて辺りを見回した。
「誰……?」
「お、女か? 誰でもいい、助けてくれ!」
声のする方に行ってみると、牢獄の一つに誰かが閉じ込められていた。
男だ。黄色に近い金髪は伸び放題に伸び、顔も鬚に覆われている。元は質が良かったらしい服は色あせて破け、足は鎖につながれていた。
男は鎖をじゃらじゃらいわせながら牢獄の格子にすがり付いた。ぼろぼろと涙をこぼした。
「ああ! ああ! あいつら以外の人の声を聴いたのなんていつぶりだろう……頼む、僕をここから出してくれ!」
アンジェリンは怪訝な顔をして男をじろじろと見た。
「出すも何も……あなたは誰なの?」
牢の中の男は荒い息を整えながら喘ぐように言った。
「僕は、僕はベンジャミン。ローデシア帝国第一王子のベンジャミン・ローデシアだ」
「……はあっ!?」
アンジェリンは思わず素っ頓狂な声を上げてしまった。
○
すっかり土砂降りだった。早く大公家に行きたかったベルグリフたちだったが、この雨で足止めを食らった。あまりひどい雨だと町馬車も走りたがらないようで、王城方面に向かっていた馬車から降ろされて、閉まった店の軒先で雨宿りしている最中である。
パーシヴァルが苛立ったようにつま先で地面を蹴った。
「くそ、こんな時に……」
ベルグリフは目を細めて雨の向こうを見ようと試みた。しかし大粒の雨がひっきりなしに落ちて来るから、遠くまで見通しは立たない。ただでさえ不案内な帝都で視界がこれでは、下手に動いて迷うのが怖かった。
「ここはどの辺だろう」
「まだ下町の辺りだろうよ」
風まで吹いて来て、軒先にも細かな雨が吹き込んで来る。さっきからマイトレーヤが右往左往して、今はパーシヴァルの陰に隠れて雨をしのいでいた。
「うう、みじめ……この“つづれ織りの黒”マイトレーヤがこんな……」
「嫌だったら転移魔法でも何でも使え」
パーシヴァルが言うと、マイトレーヤはとんでもないと言うように首を横に振った。
「それでシュバイツ達に見つかったらどうするの。そんな危ない事できない」
「もうとっくに気付かれてるっつーの。ったく、臆病モンが……」
こんな所で便々としている法はないのだが、土砂降りでは止むを得ない。このまましばらく足止めか思われたが、ふと雨脚が弱まった。ベルグリフはマントのフードをかぶった。
「行こう。今のうちに少しでも進まなくちゃ」
「おう」
さっさと歩き出した二人の少し後を、マイトレーヤが焦ったように追いかけた。
しばらく歩くとまた雨が強まって来た。濡れても行けない事はないが、道が分かりづらくなるのが辛い。町というのは似たような風景が続く。初めて来た町であればなおさら同じにしか見えない。雨の中では地図を広げるわけにもいかない。
また店の軒先に逃げ込んだ。喫茶店の前である。分厚い硝子の向こうに朱色の明かりが瞬いて、お客が詰まっているらしかった。
同じような雨宿りの連中に交ざって、地面を叩く雨を眺めていると、また雨脚が弱まる。雲の分厚い所と薄い所とがまだらになって、それが流れているから雨に強弱があるらしい。
「弱まった。行くぞ」
「ああ。こっちでよかったか……」
とベルグリフたちが歩きかけた時、喫茶店の扉が開いて誰かが出て来た。
「あれっ、ベルさん? パーシーさんも」
突然後ろから声をかけられて、ベルグリフは驚いて振り返る。アネッサが立っていた。開いた扉からトーヤとモーリンも続いて出て来る。パーシヴァルが目をしばたかせた。
「アーネ? トーヤにモーリンもいるじゃねえか、何やってんだこんな所で」
「ギルドに情報収集をと思って……」
「そうだったのか。アンジェたちは別行動かい?」
ベルグリフが言うと、アネッサは首肯した。
「はい、大公家でベルさんたちを待ってますけど、こっちが先に合流するとは思わなかった……あ、こちら副支部長のアイリーンさん」
アネッサが体を避けて、後ろのぼさぼさ髪の女性を紹介した。ベルグリフたちも頭を下げて自己紹介する。アイリーンは「ほえー」と目を丸くした。
「どうも、アイリーンと申しますー。こりゃまた随分腕が立ちそうな……さぞ名のある冒険者さんなんでしょうねえ」
「立つなんてもんじゃないよ。ねえ、モーリン」トーヤが言った。
「ですね。パーシーさんは“覇王剣”っていう方が分かりやすいんじゃないですか?」
モーリンが言った。パーシヴァルは困ったように頬を掻いた。
「別に言いふらすような事じゃねえだろ」
「え? え、“覇王剣”? ……え、マジですか? 同名ってわけじゃなく?」
「まあ、一応な」
パーシヴァルがSランク冒険者のプレートを見せると、アイリーンは興奮気味に頬を染めた。
「ほぁああ、本物!? お、お、お会いできて光栄ですよぉ、ファンなんです、わたし!」
アイリーンはパーシヴァルの手を握ってぶんぶんと振った。トーヤが目を丸くしている。
「……こんなアイリーンさん初めて見た」
「意外にミーハーですねえ」
モーリンがからから笑った。
扉の前でもそもそしていたから、出入りができないと怒られた。また雨が強くなったように思われて、ベルグリフは困ったように首をひねったが、モーリンが鼻歌交じりに指をちょいちょいと動かした。
「さ、行きましょー。アンジェさんたちもお待ちかねですよ」
そう言ってモーリンはひょいと軒の下から出る。見れば、雨は彼女の頭の少し上で、見えない膜に弾かれるようになっている。魔法で雨除けを作ったらしい。
それで一行も軒先を出る。頭上で弾かれる雨粒を見て、パーシヴァルが感心したように言った。
「やるな。そういうのは細かな魔力制御が必要だろ?」
「ええ、まあ。これくらいなんて事ないですけどね」
「だとさ。おいチビ、お前はできねえのか?」
パーシヴァルに小突かれて、マイトレーヤは口を尖らした。
「わたしはそういう低俗な魔法は使わない」
「その子は……?」
アネッサが怪訝な顔をしてマイトレーヤを見た。アイリーンが「あれ」と言って、身をかがめてマイトレーヤの顔を覗き込んだ。
「マイちゃんじゃなーい。最近見ないと思ったら、何やってるの?」
マイトレーヤはびくりと体を震わせて、フードを深くかぶって口元で指を立てた。
「秘密」
「えー? まあいいけど」
アイリーンはコートの裾を合わせて、首元をうずめた。ベルグリフはくつくつと笑った。
「彼女はマイトレーヤ。フィンデールで会ってね、協力してくれる事になったんだ」
トーヤが驚いたように言った。
「マイトレーヤって……噂に聞く“つづれ織りの黒”の?」
「え、この短い間に? 流石はベルさんというか何というか……」
アネッサは感心したようにマイトレーヤを見た。マイトレーヤは身を縮めて視線を逸らした。パーシヴァルが面白そうな顔をしている。
トーヤとモーリンは帝都の道に明るいから、もう迷う心配はない。雨も気にならなくなったので、ベルグリフはホッと胸を撫で下ろした。いたずらに時間ばかり浪費している状態が一番精神的に来る。
足元だけは悪いけれど、それくらいは何という事もない。こんな下町も石畳なのは流石に帝都といったところであろう、ぬかるみがない分、滑る事にさえ気を付ければまだ歩きやすい。
歩きながらアイリーンが言った。
「事情はお聞きしましたよ。何だか凄い事になってるみたいですね」
「ええ、困った事に……アーネたちとはどういう話を?」
「皇太子周辺で不審な動きがないか、あるいは帝都で妙な事は起こっていないかって事を。ね、アーネちゃん」
「そうですね」
「実際どうだ? 尻尾が掴めりゃいいんだが」
アイリーンは肩をすくめた。
「あからさまに怪しい、って事はありませんねえ。偽者でも今の所表面的にはいい方に変わってますから、一々追及しようって人はいません。ただ、昔の放蕩者だった頃に比べて、あまり周囲に人を近づけなくなったとは聞きますよ」
「わたしたちが大公家の屋敷に行った時に現れたんですよ。でも確かに皇太子なのに護衛の一人も連れていませんでした」
尤も、見えない所にいたのかも知れませんけど、とアネッサが言った。ベルグリフは顔をしかめた。
「そうか……うーん、これはどう取るべきか……」
「ベルグリフさん、どういう意図で帝国内部の情報を?」
トーヤが言った。ベルグリフは腕を組んだ。
「皇太子が偽者だという事は分かった。そこから突き崩すには、偽者だという事を糾弾できる人が必要だと思ってね。リーゼロッテ殿と話したかったのも、その辺りに詳しい人を紹介してもらえるかと思ったからで」
「へえ、もしかして他に継承権のある奴を焚きつけて継承争いでも起こすつもりだったか? ベル、お前意外にえげつねえな」
「結果的にそういう事になってしまうか……いずれにせよ、善政の裏側で何か非人道的な事を企んでいるのは確かみたいだからね、それを何とか暴ければと思うんだ。何か材料があれば、皇太子の事を糾弾できる人が協力してくれるかも知れない。いずれにせよ、色々と情報が入らないと動けないが……」
「でも上手く行きますかねえ、向こうも中々用心深いみたいですし」
モーリンが言った。アイリーンが首肯する。
「根回しといい抜かりないよ。それに国民からの人気も高いもんねー」
「だね。少なくとも悪い風には聞かないし、悪口だって完璧すぎるからやっかみで何か言われる程度の事ぐらいかな」トーヤが言った。
「だよねー。そりゃ昔より少し老けたように見えるけど、やっぱり美男子である事に変わりはないから、女の子からの支持は絶大だし。むしろ大人っぽくなって色気が増したような」
「もー、アイリーンちゃんそんな事ばっかですねえ」
「いやー、顔の良さは大事だよお、あればっかりは偽者でも変わんないねえ」
アイリーンとモーリンはきゃっきゃとはしゃいでいる。
ベルグリフは何か考えるように眉をひそめた。
「……? 老けた? しかしまだ若いのでは」
「え? はい、そりゃ若いですけど、年くらい取るでしょう。顔つきも大人びて来たように思いますけどね」
「……今の性格に変わってから、数年は経っている筈、ですよね?」
「そうですねえ、四、五年くらいは経ってるかと。変わった頃は美少年って感じでしたけど、今はすっかり青年ですし」
「……盲点だったな」
「何かおかしなところでも?」
アネッサが不思議そうな顔をして言った。ベルグリフは頷いてモーリンの方を見た。
「皇太子は見た目にも明らかに年を取っている。擬態の魔法としては……不自然じゃないかな? モーリンさん」
「…………あー、確かに変ですね。何で気付かなかったかな、わたし……」
モーリンはいつの間にか取り出していた干し林檎をかじりながら言った。アネッサが首を傾げる。
「不自然? どういう事ですか?」
「俺も聞きかじりだから詳しくはないんだけど、擬態の魔法は長期間の使用には向いていないらしいんだよ。加齢まで再現できる新しい術式だとしたらお手上げだけど……」
ベルグリフはそう言いながらモーリンを見た。モーリンはからから笑う。
「よくご存じですねえ、わたし、忘れかけてましたよ、それ」
「……! そうか、確かに」
トーヤも納得したように頷いている。マイトレーヤも目をぱちくりさせていた。パーシヴァルが怪訝な顔をする。
「魔法使いどもは納得してるが、どういう事だ?」
「えっとですねえ、擬態の魔法にも何種類かありまして、一つは対象の死体に入り込む。ただ、これは時間の経過によって肉体が腐敗しますんであまり使う人はいません。むしろ死霊術でアンデッドとして動かす方が多いですね」
モーリンが指を立てて続ける。
「それから生きている相手の肉体に入り込むというのもありますが、これは対象の意識とせめぎ合うので安定性がありません。魔法薬を使って肉体を変化させる方法は薬の効果が切れれば元に戻っちゃいます。一番ポピュラーなのが、対象の肉体の情報をトレースして自分の姿を変える事ですが、これはトレースした時の姿しかできないんですよ」
「それが何か問題あるのか?」
「つまり変化しないって事。髪も髭も爪も伸びない、成長もしないし年を取らない。そんな事も想像できないの?」
「ああ?」
「ひい」
パーシヴァルに睨まれたマイトレーヤは小さくなってベルグリフの陰に隠れた。アイリーンがくすくす笑う。
「マイちゃん、なんか丸くなっちゃって……すると、もしかして皇太子の本物が生きているのではないかと?」
ベルグリフは頷く。パーシヴァルは余計に分からないというように首をひねった。
「どういう事だ? どうして本物が生きている話に繋がる?」
「魔法はある種のリスクを負う事によって効果が高まる場合もあるんですよ。それに、対象が生きていれば、常にその情報をトレースできます。擬態の質が飛躍的に高まるんです」
モーリンが説明した。パーシヴァルは眉をひそめた。
「……なるほど、つまり本物を生かさず殺さずにしておいて、その肉体の情報を逐一トレースしておけば擬態も自然になるって事か」
「ああ。そうなると本物の皇太子を殺すわけにはいかない……パーシー、抜け道が見つかるかも知れないぞ」
ベルグリフはそう言って顎鬚を捻じった。パーシヴァルが感心したようにその肩を叩く。
「しかし驚いたな。なんでお前そんな事知ってるんだ?」
「いや、昔読んだ本にそんな事が書いてあって……」
「それでもよく覚えてますよね……」
アネッサが脱力したように笑った。ベルグリフは苦笑した。
「……いずれにしても、これはまだ仮説の段階だよ。だがまあ、少し方向性は見えてきたかな。継承争いを煽らなくても済みそうだ」
アイリーンが何だか感動したような面持ちで言った。
「老けたってだけでそこまで……ベルグリフさん、凄いですねえ」
「いや、その話題が出なければ恐らく気付かなかったでしょう。おかげさまで……」
「面白くなって来ましたねえ。わたしもそれ方面で少し探り入れてみよっと」
「や、そこまで迷惑は」
「いいんですいいんです、好きでやってますから。それに憧れの“覇王剣”さんの力になれるなら嬉しいですし……」
アイリーンはそう言ってパーシヴァルにウインクした。パーシヴァルは肩をすくめる。ベルグリフはくつくつと笑った。
「色男は得だな」
「何言ってやがる。ま、助かる。ありがとよ、アイリーン」
「きゃーん♡」
アイリーンは朱に染まった頬に手を当ててやんやんと頭を振った。
ギルドに戻るというアイリーンと別れ、ベルグリフたちは大公家の帝都屋敷に向かった。足止めを食らった事もあって、もう夕方近い時刻である。
分厚い雲がかぶさっている分、まだ陽は落ちていない筈なのに辺りはすっかり暗くなりかけていた。
玄関で案内を乞うと、ほんの少しの間を置いてスーティが駆けて来た。
「お待ちしてました」
「ああ、スーティさん、すみませんこんな格好で……」
「いいんです。早く来てください」
何やら深刻そうな顔をしている。ベルグリフたちは顔を見合わせ、早足でスーティの後に付いて屋敷の中に入った。
案内された部屋に入ると、ミリアムがソファに腰かけて手をこすり合わせており、その向かいにはカシムが座っていた。両手で顔を覆っている。マルグリットは苛立った様子で壁際を行ったり来たりしていた。
カシムが顔を上げた。
「あ、ベル……」
アネッサが不思議そうな顔をして部屋の中を見回した。
「アンジェは? リゼもいないみたいだけど……」
「うぅー、それが……」
ミリアムがしょぼくれたような様子で事情を説明した。途中途中でマルグリットやカシムも口を挟んで補足する。
そうして、フランソワが現れてアンジェリンが皇太子の所に行った事と、さらにカシムがサラザールから聞いた話とが統合されて、どうやらアンジェリンは敵に捕らえられてしまったらしいという事が分かった。
パーシヴァルが眉を吊り上げてカシムを小突いた。
「ちゃんと見とけっつったろうが! お前がいながら何やってんだ!」
「ごめんよう、オイラも油断しちゃって……」
カシムは小さくなってうなだれた。マルグリットが舌を打つ。
「ったく、アンジェの奴情けねえ。やっぱりおれも付いて行きゃよかった」
「過ぎた事を言っても仕様がないよ。ほらカシム、いつまでも落ち込むな」
ベルグリフは淡々とした様子で濡れたマントを注意深く丸め、鞄からタオルを出して頭を拭いた。そうしてパーシヴァルに差し出す。
「パーシー、拭いとかないと風邪引くぞ」
「……嫌に冷静だな。アンジェが心配じゃねえのか?」
「そりゃ心配は心配だよ。でも何も考えずにやられっぱなしって事はないさ。あの子は強い」
パーシヴァルは大声で笑って、どっかりとソファに腰を下ろした。
「確かにそうだ! そんならこっちもしっかりしなくちゃいけねえな。どのみち、これでベンジャミンどもとぶつかるのは確実だぞ」
「そっちの方が分かりやすくていいじゃねえか。へへ、腕が鳴るぜ」
マルグリットがぱしんと手のひらと拳を打ち合わした。ベルグリフは腕組みした。
「だが正面からぶつかるわけにはいかない。そうなればこっちは犯罪者だからな」
「向こうがどう出るか、ですよね。搦め手で来るか、もしくは時間をかけずに一気に攻めて来るか」
トーヤが言った。ベルグリフは頷く。
「アンジェに何かしたくらいだ、あちらも本腰を入れて来るだろうね……ギルドでは他に何か気になる情報はあったかい? 皇太子関連でなくても、帝都での不審な出来事でも何でもいいんだが……」
アネッサが考えるように腕を組んだ。
「……皇太子と関連があるかは分かりませんが、ここ最近帝都で魔獣の発生が確認されてるみたいです」
「帝都で? 町中って事か?」
パーシヴァルが言った。トーヤが頷く。
「そんなに頻度はありませんけどね。俺たちは請け負った事はないんですが、出て来るのも下位ランクの魔獣ばかりだそうで、被害もほとんどないとか」
帝都は他の町と同じく、魔獣を寄せ付けない為の結界に囲まれている。帝国の中枢部ともなればその結界はより強力な筈だ。それにもかかわらず下位ランクの魔獣が急に町中に発生するというのはおかしい。
黙っていたカシムが口を開いた。
「怪しいね。ベンジャミンとシュバイツが手を付けてるのは魔王関連の研究だろ? 魔王は魔獣の発生源だぜ」
「え、帝都に研究施設があるかもって事?」
ミリアムが目を丸くする。パーシヴァルが目を細める。
「木を隠すなら森の中か。ふぅむ……よし、俺はそれを当たってみるか」
「ギルドに行くのか?」
「ああ。アイリーンも協力してくれるだろうよ。トーヤ、モーリン、ちょっと顔つなぎしろ。俺だけじゃ話がややこしくなる」
パーシヴァルはそう言って立ち上がる。トーヤとモーリンは顔を見合わせた。
「いいんですか? 全員揃ってから話をするんじゃ……」
「アンジェが捕まったのにそんな悠長な事言ってられるか。細かい事はベルに任せる。いつまでも受け身でいるのは俺の性に合わん。いいな、ベル?」
「そうだな。向こうが先手を打って来たなら、こっちものんびりしているわけにはいかない。頼むよ、パーシー」
カシムも立ち上がった。
「オイラももう一度サラザールの所に行って来る。あいつはアンジェが捕まった事を即座に認識したから、多分何か知ってる」
「話通じんのかよ。お前帝都来てからいいトコなしじゃん、サラザールからは一向に情報引き出せないしよ」
マルグリットがそう言ってけらけら笑う。カシムはムスッと顔をしかめた。
「うるせー、オイラだって上手く行かない事くらいあらぁ」
「……カシム、この子を連れて行ってくれ」
「んあ?」
ベルグリフに押し出されたマイトレーヤを見て、カシムは怪訝な顔をした。
「なんだい、そのちっこいのは」
「あ、そいつ通信の時に見たぞ、誰なんだ?」
マルグリットも目をぱちくりさせる。マイトレーヤは居心地が悪そうに身じろぎした。
「彼女はマイトレーヤ。フィンデールで知り合ってね、協力してくれることになったんだ。とても優秀な魔法使いで」
マイトレーヤがびっくりしたようにベルグリフを見上げ、それから嬉しそうに口端を緩めた。ベルグリフは続けた。
「それに転移魔法も使える。サラザール殿と協力できれば、何か打開策が見つかると思うんだが……」
「この人は誰なの」
マイトレーヤが不安そうにカシムを見て、ベルグリフの服の裾を引っ張った。
「彼はカシム。俺とパーシーの友達で……ええと、“天蓋砕き”って言った方が分かるかな?」
「“天蓋砕き”……本物? 嘘でしょ?」
「嘘じゃねーよ、偽者だと思う? 試してもいーぜ」
カシムはおどけたように両手を顔の横でひらひらさせた。マイトレーヤはもじもじしながらカシムを見上げた。
「一流は一流を呼ぶ……わたしは“つづれ織りの黒”マイトレーヤ。よろしく」
「……ああ“つづれ織りの黒”? へえ、噂には聞いた事はあったけど、こんなちっこいとは知らなかった」
「……魔法は超一流。安心して」
称賛と名声の広がりを確認したマイトレーヤは、ちょっと自慢げに胸を張った。パーシヴァルがくつくつと笑い、マイトレーヤの頭を小突いた。
「名誉挽回のチャンスだ。頑張って来い」
マイトレーヤは頬を膨らましてカシムの傍に駆け寄った。
「野蛮人は無視。早く行こ」
カシムは噴き出してげらげら笑い出した。
「そうだそうだ、野蛮人は無視して行こうぜ、へっへっへ。んじゃ、ちょっくら行って来るね」
すっかり元気が出たらしいカシムはマイトレーヤを連れて出て行った。ミリアムがぽつりと呟く。
「“天蓋砕き”に“蛇の目”……それに“つづれ織りの黒”って……ドリームチームだ」
「俺たちも行くぞ。ベンジャミンどもに一泡吹かせてやらねえとな」
パーシヴァルもマントを翻して部屋を出て行く。トーヤとモーリンが慌てたようにその後を追っかけた。
残ったベルグリフはふうと息をついて、注意深くソファに腰かけた。アネッサとミリアムは何となくもじもじした様子である。パーティメンバーであるアンジェリンが心配なのだろう。
黙って様子を見ていたスーティが嘆息した。
「凄い事になって来ちゃいましたね……」
「すみません、スーティさん……」
「いえ、構いませんよ。わたしも冒険者の端くれですし。うちのお嬢様が何をしでかすかが心配ですが……ま、お茶でも準備しましょう」
そう言って部屋を出て行った。マルグリットが椅子に腰かけて足を組む。
「で、ベルはどうすんだよ」
「俺は少しリーゼロッテ殿と話がしたい。上手くすれば……皇太子殿下と直接顔を合わす機会を設けてもらえるかも知れないからね」
娘三人は驚いたようにベルグリフを見た。
「ちょ、直接? 危ないですよ、それ」
「そうですよ、アンジェだって捕まっちゃったみたいだし……いくらベルさんでも」
「そうだぞ、お前剣はアンジェとかおれには敵わねえじゃねえか。自殺行為だぜ」
「分かってるさ。でもね、俺はアンジェの父親だから……娘をいたずらにかどわかされて黙って笑っていられるほど優しくはないんだ」
見るときつく拳が握られている。さっきは努めて冷静に振る舞っていたが、内心は怒りが煮えたぎっていたのかも知れない。それを表に出さずぐっと押し込めている分、鋭く砥いだ刃物のような雰囲気が漂っていた。
いつも柔和な態度を崩さず、優しい顔つきのベルグリフが明らかな怒りの面相を現した事に、三人は思わず息を呑んだ。