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一〇一.フィンデールの町は帝都ローデシアに


 フィンデールの町は帝都ローデシアに近い事もあって大変な賑わいだ。世界各国から帝都を目指す商人たちの中継地点として機能しており、物品も様々、出入りが多い分だけ活気もひとしおである。

 通りの両側には切れ目なく種々の商店が立ち並び、何もない壁の前には露店が構える。それさえもなければ流浪の民の大道芸や演奏隊が立って通行人を楽しませ、いくばくかの投げ銭を得るのである。


 そんな下町の商店街を一人の女が足取りも軽く歩いて行く。癖のある明るい金髪を束ね、手には籠を持っている。籠からはパンや野菜が覗き、買い物の最中といった様子だ。

 女が魚屋の前に立ち止まると、女将らしい中年女性が額の汗を拭き拭き笑いかけた。


「あら、メイベル。今日も買い物かい?」


 メイベルと呼ばれた女はにっこりと笑って頷いた。


「ええ、この小魚ひと籠もらえるかしら? あとこっちの塩漬けも」

「はいよ! あんたはいっつも沢山買ってくれるから助かるよ。食堂の方は順調かい?」

「おかげさまでね」

「あたしも暇ができれば行ってみたいんだけどねえ、悪いねえ」

「いいの、いいの。お店の方が大事よ」


 楽し気な二人の背後から、ざっざっと地面を乱暴に踏む音がした。一人ではない。砂埃を立てながら、帝国の軍服を着た兵士らしい一団が現れた。


「おい」

「え?」


 メイベルが振り向いた。

 エストガル大公家の三男、フランソワが立っていた。後ろには黒いコートを着た長身の男、その後ろには帝国の兵士たちが控えている。

 黒いコートの男は異様な風貌だった。ひっつめて後ろで束ねられたうねりのある長い髪の毛は、元は茶色かったのだろう、しかし年を経たせいなのか色が薄くなり、所々筋になって白髪が走っていた。

 皺は深い。しかしまだ老年には至らぬ容姿である。五十の前半、あるいは四十後半といった顔立ちだ。右の目から顎にかけて刀のものらしい一筋の古傷があった。


 魚屋の女将が恐縮したようにぺこぺこと頭を下げる。


「て、帝都のお役人様がこんな所に……ど、どういったご用事でございましょう?」


 しかしフランソワは女将を一瞥もせずに、メイベルをじろじろと上から下へと見て、口を開いた。


「若草亭のメイベルというのはお前で間違いないな?」

「は、はい、そうですが……あの、わたしが何か?」

「そうか。帝国に対する反逆罪で処刑する」


 フランソワが顎で示すと、後ろに控えていた兵士の一人が素早く前に出、腰の剣を引き抜くと、メイベルを袈裟に斬り裂いた。

 鮮血が舞い、魚屋の女将が悲鳴を上げる。

 メイベルは声を発する暇もなく背中から地面に倒れ伏した。通行人たちが驚いて足を止め、この惨劇を覗き込みながらざわめいた。


「さて……?」


 息絶えたメイベルをフランソワは見下ろした。斬り裂かれた胸から血が溢れ、服に滲んで地面に広がる。

 魚屋の女将がおびえたように身をすくませ、後ずさった。


「お、お役人さま……この、この子が何を?」

「言っただろう、反逆者だ。若草亭などという店は存在しない」

「え、え、それじゃあ……」

「黙れ。貴様には関係ない事、余計な口を出さずに引っ込んでいろ」


 女将は蒼白になって店の奥に駆け込んだ。ムッと鼻を突く血の臭いが漂い始め、周囲のざわめきが大きくなる。フランソワは目を細めた。


「……外れか」

「いや、待て」


 踵を返しかけたフランソワを、長身の男が止めた。

 メイベルの死骸がまるで糸に吊られるようにして起き上った。その輪郭が霧のように溶け始めたと思うや、風に飛ばされるようにしてそれが吹き払われ、そこには一人のエルフの女が立っていた。

 腰まである美しい銀髪を下の方で束ね、麻布でできた東方風の前合わせの着物の上から、ベージュ色のローブを羽織っている。顔立ちはエルフらしい美しさだが、眉は無骨に太くて野暮ったく、それが強気な印象を与えた。


 エルフの女はまるで今起きたというような表情で額に手をやり、ふるふると頭を振った。袈裟に斬られていた筈の傷はない。地面に広がっていた筈の血も消え去っている。

 ぽつりと呟いた。


「……参ったなあ」


 フランソワがにやりと笑った。


「見つけたぞ。大人しく来てもらおうか」


 たちまち兵士たちが周囲を取り巻いて剣や槍を突きつけた。

 エルフはぎろりとそれらを一瞥すると、小さく手を動かした。途端、兵士たちが悲鳴を上げて倒れ伏す。手や腕、足から血を流し、武器を取り落して呻いた。野次馬たちが悲鳴を上げて逃げ散って行く。

 フランソワは目を細めて腰の剣に手をやった。


「一筋縄ではいかんか……」

「待て、私の仕事だ」


 長身の男がフランソワを押しのけて前に出た。

 エルフ女は男を睨みつけた。


「……あなたたちは初めてだね。あいつらの仲間?」

「答える義務はない」


 男は剣を引き抜いた。長く、幅の広いカットラスである。しかし先端が欠けている。エルフ女は大きく息をついて男を見据えた。


「右目の傷に欠けたカットラス……“処刑人”ヘクターがあんなやつらに尻尾振るなんてね。Sランク冒険者の名が泣くよ?」

「問答は無用だ。大人しく来るか、手足を失くすか選べ」

「どっちもお断り!」


 エルフ女が手を振った。“処刑人”ヘクターの構えたカットラスに、斬撃の如き鋭い衝撃が走った。ヘクターは目を見開き、それを押し返すように強く前へと踏み込んだ。カットラスが振り抜かれる。

 だがエルフ女はそれをかわし、軽く地面を蹴ってふわりと宙に舞い上がると、張り出した店の軒に足を付けて突っ立った。

 フランソワが慌てたように叫んだ。


「いかん、逃げるぞ!」

「逃さん!」


 ヘクターはカットラスを地面に突き立てた。先端が欠けているにもかかわらず、剣は易々と地面に突き立った。

 途端に、彼の影が水面のように揺れ、そこから鎧を着、武器を持った骸骨が三体、飛び出したと思うや壁を駆け上がってエルフに殺到した。剣が振り下ろされる。


「くぬっ!」


 エルフの女は腕を突き出した。剣はその体に触れる前に、見えない刃に阻まれたかのように止まる。

 エルフはそのまま剣を振るうかのように両腕を交差させた。骸骨たちは鎧ごとまとめて斬り裂かれ、霧のように溶けて消えた。

 その後ろから跳び上がって来たヘクターが上段から斬りかかる。エルフは咄嗟に両腕を出して、見えない刃でカットラスを受け止めた。足の下の軒がぎいぎいと音を立て、腕の関節が軋んだ。


「重っ……!」

「甘いッ!」


 身を翻したヘクターの蹴りがエルフの脇腹に突き刺さった。エルフ女は体勢を崩し、軒から真っ逆さまに落ちる。しかしすんでの所で受け身を取って地面を転がった。魚屋の台にぶつかり、置いてあった籠がひっくり返り、魚が地面に散らばる。


「いたた……ごめん、魚屋さん……」


 休む間もなく、上から更なる剣撃が迫った。エルフは咄嗟に跳び退る。しかし左の肩から二の腕にかけて鋭い傷が走り、鮮血が舞った。


「次は足だッ」


 後ろ跳びに引くエルフを追って、ヘクターも地面を蹴った。足を狙ってカットラスが振られる。

 エルフ女は腕を突き出した。見えない刃がカットラスの刀身を受け止めた。だが苦痛に顔が歪む。肩の傷から血が溢れる。


 エルフの動きが硬直したと見るや、ヘクターは跳び上がってその肩を蹴り飛ばした。


「あぐっ!」


 たまらずエルフ女は膝を突いた。

 その首筋にカットラスが突きつけられた。ヘクターが冷たい視線でエルフを見下ろしていた。詰まらなそうな表情である。


「拍子抜けだ」

「ハァ……流石は“処刑人”……簡単に逃がしちゃくれないね」

「無駄な事はするな、私からは逃げられん。殺されないだけ有難く思え」

「あはは、怖い怖い……それならぶっ飛ばす事にしようかな」


 不意に空気が変わった。先ほどとは比較にならぬほどの殺気を持った見えない刃が周囲から迫るのを感じ、ヘクターは目を見開いて身をかわした。

 空間が震える。確かに見えない剣が通り過ぎたのを感じた。


 ヘクターは追撃が来るかと身構えたが、即座にそれが間違いであったと悟る。


「しまった……!」

「ごきげんよう、極悪人ども!」


 ほんの数瞬で数歩向こうへ距離を空けていたエルフは、いたずら気な笑みを浮かべて胸に手を当てた。するとその姿が陽炎のように揺れて、瞬く間に消え去った。

 ヘクターは舌打ちしてカットラスを鞘に収めた。しかし口元には残忍な笑みが浮かんでいる。


「……爪を隠していたか。一瞬とはいえ私が気圧されるとは」


 フランソワは憤懣やるかたないという顔でヘクターを睨み付けた。


「貴様……」

「くく……本当に空間転移まで使うとはな。久々に面白い獲物だ」

「悠長な事を……ようやく見つけ出したというのに、これでは水の泡ではないか。奴も警戒するに決まっているぞ」

「だが籠りきりではいられまい。焦るな」


 ヘクターはコートを翻し、踵を返した。フランソワは苦々し気に周囲を見回し、呆然と地面に座ったままの兵士たちに怒鳴った。


「いつまでそうしているつもりだ! さっさと立て!」


 兵士たちは慌てて立ち上がり、取り落とした武器を拾い上げた。



  ○



 『大地のヘソ』からイスタフに下る頃には、もうすっかり秋といった気配だった。

 しかし流石は南の地である、陽の射しているうちはまだまだ暑く、昼間はとても外套を着てはいられない。しかし暦の上では、もうトルネラでは短い夏が終わりを告げ、辺りの山々は紅葉して冬支度で忙しくなっているだろう。

 ヤクモが懐手をして眉をひそめた。


「根雪が降ると北部には行けまい。トルネラを目指すならば急がねばならんのう」

「ん……ごめんね、急かすみたいで」

「なぁに、それも仕事のうちじゃて、構わん構わん」


 ヤクモはからからと笑って煙管を口に咥えた。アンジェリンはふうと息をついてコップのジュースを飲んだ。

 『大地のヘソ』からの帰路は来た時の面子に加え、パーシヴァル、ヤクモにルシール、それにトーヤとモーリンまで加わっての大所帯になった上、同じタイミングで戻る冒険者たちと同じ道を辿る事になった為、周囲の警戒なども持ち回りで行う事ができ、左程の苦労もなく終える事ができた。


 来る時は指揮官兼警戒索敵他諸々を取り仕切って疲弊してしまったベルグリフも、帰りは腕利きに囲まれて、それほど気を張らずに済んだようである。何よりもパーシヴァルというリーダーがいた。

 それでも山から下りて宿に落ち着いた時にはすっかり力が抜けてしまったらしく、今は部屋で休んでいる。もう旅も長くなって来たものの、やはり元は農民である、移動を続ける生活は中々に疲れるようだ。


 煙草に火を点けたヤクモが辺りを見回した。宿の食堂だ。客がたくさん詰まっていて、がやがやと賑わっている。

 エルフのマルグリットに目を付けて声をかけて来る者がいくらかいたが、パーシヴァルのひと睨みでそそくさと立ち去った。


「それで、おんしたちはどうするつもりじゃ?」

「確か、帝国に手がかりがありそうなんだったかな?」

「あの小僧の言う事が本当ならな」


 パーシヴァルがそう言ってコップを口に運んだ。


「いや、本当だと思うぜ。“蛇の目”サラザールならオイラも知ってるからね」

「知り合いなの?」

「うんにゃ、随分昔に少し話した事があるだけ。大魔導同士だったからね。ただまあ、頭は相当いいけど、人に何かしてやる事に一切価値を感じてない感じだったし、助けてくれるかねえ……」

「そういうタイプか。厄介だな」


 パーシヴァルが椅子の背もたれに寄り掛かった。カシムは頷いた。


「うん。もし人捜しに協力してくれるような奴だったら、昔のオイラなら間違いなくベルを捜してもらったからね。そもそも話が噛み合わなくなったりするんだよ、途中から自分の思考に入り込んじゃってさ」

「なんだよ、大魔導ってそんなのばっかしなのか?」

「ちげーよ馬鹿。オイラを見ろ、オイラを。まともだろ?」

「まともねえ……?」


 マルグリットはにやにやしながら指先でテーブルをこつこつ鳴らした。

 カシムはにやりと笑って指先をくるくる回した。マルグリットの髪の毛が浮き上がってくるくると捻じれてもつれる。マルグリットは慌てたように暴れる髪の毛を引っ掴んだ。


「うわあ、何すんだ馬鹿!」

「へっへっへ、もっと年上を敬えよぉ」

「……まあ、まともかどうかで言えばまともじゃねえな、カシムは」

「あ、パーシーまでそんな事を! ま、大魔導に偏屈が多いのは否定しないけどさ。なあ、ミリィ?」

「だね! うちのクソババアも偏屈で困っちゃう!」

「あのなあ……マリアさんに言いつけるぞ、お前」

「いいもーん、事実だもーん」


 ミリアムは泰然としたものである。アネッサはやれやれと首を振った。

 アンジェリンはジュースを一口飲んだ。


「……だからトーヤたちに紹介してもらう?」

「だな。上手く行けばいいけど、あいつらそんなにサラザールと仲良しなのかねえ……へっへっへ、けどあいつを初めて見ると驚くぜ。見るだけでも価値あると思うね」

「えー、どんなの、どんなの?」

「そいつは秘密。その方が楽しいだろ?」


 好奇心に目を輝かせるミリアムを手で制してカシムはからから笑った。マルグリットが嬉しそうに笑った。


「じゃあ次の目的地は帝都か! へへ、楽しみだなあ」

「イスタフからだとどれくらいかな?」


 アネッサが地図を広げる。

 イスタフはティルディス領だが、ダダン帝国やルクレシアにも近い。ひとまずは山脈沿いに西進し、ルクレシアとローデシア帝国の接する町を目指すのがよさそうである。

 広い街道であるし、行商人たちの行き来も盛んであるから、おおよそひと月もせずに国境までは辿り付けそうだ。そこからは町をいくつか経由して帝都へと向かう。


 ダンカンが空いた皿を重ねながら言った。


「東からの商人の往来のおかげで帝都までの道は整っておりますし、それほど旅路に苦労はありますまいな、イシュメール殿?」

「そうですね、乗合の馬車も多く出てますし、隊商や行商人の護衛の仕事も多い筈です」

「イシュメールさんも帝都に帰るんですよね?」


 アネッサの問いにイシュメールは笑って頷いた。


「ええ。皆さんが一緒だと旅も安心ですよ」

「昔の人は言いました。旅は道連れ、世は情け容赦なし。つらい」

「おんしは黙っとれ」


 サラザールに会うならば、トーヤとモーリンの紹介も要るだろう。となれば二人も一緒という事になる。大所帯の旅になりそうだな、とアンジェリンは思った。

 カシムが伸びをして山高帽子をかぶった。


「さーて……ギルドに行こうかね、アンジェ」

「そだね」


 ギルドマスターのオリバーに会わねばならない。受けた依頼の清算も必要だし、サラザールという手がかりを得た今も、ひとまずサティに関する情報を尋ねておきたいと思う。


 心のもやもやは、目の前の出来事に集中する事で紛らわしている。

 何だかんだといって、ベルグリフと話すのは嬉しいし、パーシヴァルやカシムと話している所に混ざるのも面白くはある。

 違う、と声を上げる引っ掛かりを、楽しく思う心で塗り潰した。その為に、無駄にベルグリフに甘えてみたりもした。しかし明るく塗られたその後ろで、そうじゃない、という声はずっと呟き続けている。


 空元気だろうかと思う。

 けれど、他にどんなやりようがあるだろう?


「アンジェ、行くぞー」


 ぼーっとしてしまったらしい、カシムに呼ばれてアンジェリンはハッとして頬を軽く叩いた。立ち上がって首を回す。


「……お父さんの事よろしくね、パーシーさん」

「別に病気じゃねえからな。ま、何か元気の付くもん食わしてやりゃいいだろ。にしてもベルめ、一人だけ年寄り気取りやがって……俺と同い年だぞ、あいつは」

「おじさん、何歳?」ルシールが目をぱちくりさせた。

「あん? あー……四十……忘れた」

「あらら、忘れるくらいのお歳ですかにゃー?」


 ミリアムがくすくす笑った。パーシヴァルは眉をひそめ、数えながら指を折る。


「……四十は過ぎてる筈だが……四だったか五だったか……まあいいや。俺は市場に行く」

「買い物か!? おれも行く、おれも行く!」


 マルグリットが足をぱたぱたさせた。


「分かった分かった、うるせえな」


 騒がしい姪っ子でも相手にするかのようなパーシヴァルの口ぶりに、アンジェリンはくすくす笑った。


 イスタフのギルドは賑わっていた。大海嘯後の希少な素材が持ち込まれているのだろう、裏事情を知る商人や関係筋が押しかけて大変な騒ぎだ。公にはされていないが、イスタフの経済は『大地のヘソ』に依る部分も大きいのであろう。

 尤も、わざわざここで売らずに普段の拠点に持ち帰ってより高値を付けようという連中も多いようで、『穴』に集まっていた冒険者の数にしては、素材の数は少ないように思われた。その少ない素材の争奪戦が起こっているようだ。


 そんな騒ぎを尻目に、アンジェリンはカシムと連れ立ってギルドマスターの部屋に行った。

 オリバーは執務机に座って書類に目を通していた。

 二人が案内されて部屋に入ると、オリバーは顔を上げておやという風に微笑んだ。


「これはこれは……無事で何よりです」

「こんにちは、オリバーさん……これ、ありがと」


 アンジェリンは机に歩み寄って、オリバーから借りた魔水晶錐を置いた。オリバーはにっこり笑ってそれを指でつまみ上げた。


「役に立ったなら何よりですよ。それで、素材の方は……」

「ここの副長に預けてあるよ。査定してもらってる。全部ある筈だけどね」

「や、ありがとうございます、これで結界用の魔導球が増やせます……代金は査定額が確定したらすぐにお支払いしますよ」

「うん……あのね、ちょっと聞きたい事があるの。いい?」

「ふむ? 構いませんが、何を?」

「人をね、捜してるの」


 オリバーは目を細め、二人に来客用の椅子に座るよう促した。


「人捜しですか。どのような方ですか?」

「エルフなんだよ。サティって名前の女」

「エルフ……」


 オリバーは眉をひそめて腕組みした。


「エルフの女性なら……少し前に少年との二人組の方が」

「あ、そいつらじゃないんだよ」


 トーヤとモーリンの事だろう。『大地のヘソ』で邂逅し、帰途も一緒だったと言うとオリバーは肩をすくめた。


「成る程、もうお知り合いだったわけですね……」

「他には情報なし?」


 オリバーは少し考えるように視線を泳がしたが、やがて目を伏せて首を横に振った。


「お力になれず申し訳ありません」

「ううん、ありがと……とっても助かりました」


 アンジェリンはぺこりと頭を下げた。カシムが「へえ」と感心したような顔をして見ている。



  ○



 深く息を吸い、吐く。

 ベッドに腰かけて軽く瞑想をしていると、こんこんとドアがノックされたので、ベルグリフは目を開けた。ドアの向こうから声がした。


「ベルさん、起きてますか?」

「アーネかい? 起きてるよ」


 ドアが開いてアネッサが入って来た。


「調子はどうですか?」

「ゆっくり休ませてもらったから大丈夫だよ。ありがとう」

「そっか、よかった……」


 アネッサはホッとしたような顔をして、手近な椅子に腰を下ろした。


「皆、市場に買い物に行きました。アンジェとカシムさんはギルドに」

「ふむ? 君は行かなかったのかい?」

「あ、はい。ベルさんの具合が悪かったら困るなって思って留守番です」


 そう言ってアネッサはいたずら気に笑った。ベルグリフは苦笑して頭を掻いた。


「すまんなあ、気を使わせちゃって」

「いえいえ……あ、お茶、淹れますね」


 アネッサは木のボトルから冷たいお茶をコップに注いだ。


「帝都に行く事になりそうですね」

「そうだね。いやはや、長旅だ……」

「あはは、ベルさん丈夫そうなのに、やっぱり旅だと疲れ方が違うんですかね?」

「そうかもな……違う寝床ってだけでも落ち着かなかったりするからね」


 アネッサはくすくす笑って、コップをベルグリフに手渡した。


「パーシーさんが不満そうにしてましたよ。同い年の癖に年寄りぶりやがってって」

「あいつと比べられちゃたまらないよ。まったく、皆して俺を変に持ち上げるんだから……」


 ベルグリフは困ったように笑い、お茶を一口すすった。冷たくて胸に染み入るようだ。

 互いにお茶を飲んで、しばらく黙っていたが、やがてベルグリフが顔を上げた。


「アンジェの様子が変なんだ」


 アネッサがどきりとしたように表情を強張らせた。


「変、ですか? どんな風に?」

「妙によそよそしいというか、少し距離を取ろうとしているというか……かと思ったら突然べたべたして来たりして……不安定な感じがするんだよ」

「ん、む……」


 アネッサはもじもじとつま先を擦り合わせながら、コップを口に付けた。


「……あの子が親離れの時を迎えているのなら構わないんだが、もし他の、何か変に思いつめている行動だとしたら、苦しいだろうと思う。アーネ、何か知らないかい?」

「……ベルさんは何でもお見通しですね」


 アネッサは困ったように笑って頬を掻いた。


「ただ、わたしから話すべき事なのか、それは分からないです。あいつもあいつなりに色々悩んでるみたいで……」

「そう、だな。あの子も考える事があるんだろうが……俺も過保護で困ったもんだな」

「ふふっ……でも、アンジェがベルさんの事が大好きなのは変わってませんよ。だからこそ、環境の変化に戸惑ってる、そんな感じがします」

「……俺もあの子も狭い世界で生きていたからな。正直、カシムやパーシーともう一度会えたのが信じられないよ。この二年ばかりで世界が随分広がった」

「不思議ですよね、人の縁は……でも、アンジェにはそれが戸惑いになってるというか……あ、いや、すみません、なんでも……」


 口が滑った、というようにアネッサはわたわたと取り繕った。何となく察したベルグリフは小さく笑った。アンジェリンの親ではなく、カシムとパーシヴァルの友人としての自分というのは、確かにアンジェリンには馴染みがないだろう。


「……慣れ親しんだものが変わって行くのは、確かに怖い時もあるな」

「あ……う……」


 アネッサはしゅんとして小さくなった。結局ばらしてしまったと思っているらしい。

 ベルグリフは手を伸ばし、アネッサの肩をぽんぽんと叩いた。


「親ってのはさ、思った以上に子供にしてやれる事は少ないんだ。悩んだ時、辛い時は友達が支えてくれる事の方が多い……まあ、恋人がいればそれに越した事はないんだが」

「あはは……」

「アーネ。君やミリィのおかげでアンジェの世界も広がったんだと思うよ。これからもあの子の友達でいてやってくれな」

「……もちろんですよ」


 アネッサは照れ臭そうに頬を染めて微笑んだ。


 ベルグリフは自分の過去に思いを馳せた。

 両親とも早くに亡くし、村の大人たちが親代わりだった。優しくしてもらったが、寂しさを埋め、気兼ねなく接してくれたのはケリー達友人だった。

 そして冒険者になろうとオルフェンに出て、数々のパーティを渡り歩き、いよいよパーシヴァルたちに出会った。自分の価値を認められなかったベルグリフを認めてくれたのは、やはり友人たちだった。


 アンジェリンも少しずつ自分の手から離れて行こうとしている。彼女の周りには尊敬できる大人も頼れる友人もいる。支えてくれる大勢の人に囲まれているのは、親としてもありがたい事だ。


 そんな親離れの時期を迎えている子供に、親が何をしてやれるだろう?

 考えてみたが、分からない。何をしたって余計なお世話だろう。

 アンジェリンの悩みが、自分にまで伝染して来るようで、ベルグリフは眉をひそめて考え込んだ。


 だが、アンジェリンが少しずつ、親の考えに依存するのではなくて、自分の考えや感情を自覚して来た事は、ベルグリフにも好ましいように思えた。それを邪魔するつもりはない。


 しかしそれでもやはり少し寂しいような気がする。

 親ってのはな面倒だな、とベルグリフは苦笑して髭を捻じった。


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