初号機と弐号機
「陸斗さん、これ見ました?」
七原自動車のショールームの応接セットで車雑誌を読む陸斗に、向かいに座るまどかがネットニュースの表示されたスマホを見せる。
記事には「深夜の港で走り屋を一斉摘発」というタイトルとともに、F港での違法なレースと賭博行為を取り締まったという内容が記載されていた。
「ああ、知ってる。またこの辺りの取り締まりが厳しくなるな。」
そう言って陸斗は読んでいた雑誌を閉じた。
「それより、ジュンヤさん達が心配です。」
「それならあの人ここ最近、F港ミーティングには参加してないから大丈夫だ。」
「そうだったんですか。・・・でも、またしばらく走れなくなりますね。」
まどかが不安げな顔をする。
「そうだな。ほとぼりが覚めるまでサーキットと遠征でもするかな・・・」
そう言って陸斗は、ソファーの背もたれに身体を預ける。
「お、サーキットならちょっと気になる所があるんですよ。」
待ってましたと言わんばかりにまどかが目を輝かせる。
「ほう。」
「三波モーターランドってとこなんですが・・・」
「ああ、あそこか。」
陸斗はわずかに厄介そうな顔をして頭をかいた。
「え?ダメですか?」
「あまり行きたくないな。あそこは廃道になった峠を利用したサーキットで、とにかくコースが狭い上、道路脇の草が飛び出ててボディーに傷がつきやすい。」
そう言うと陸斗は、手に持ったままの雑誌をテーブルに置いた。
「うーん、傷だらけになるのは困りますね・・・」
「それなら、傷だらけになってもいいような車で行けばいいんじゃない?」
横からぬっと顔を出した紅葉が提案する。
「うわぁ!びっくりしたぁ・・・って、傷だらけになってもいい車ってなんですか?」
突然出現した紅葉に、驚いて上半身を仰け反らせたまどかが、体勢を戻しながら聞く。
「初号機と弐号機のことですか?」
「そのとおり。」
陸斗の問いに、口元に笑みを浮かべた紅葉が親指を立てて答える。
「いやー、最近ほったらかしだったから、なんとかしなきゃって思ってたんだよねー。」
裏の駐車場の片隅に置かれた二台の車のシートを剥いでいく紅葉。
「おお、ハチロク!」
シートの下から姿を現した二台のAE86 COROLLA LEVIN(3ドア)にまどかが目を輝かせる。
「久々に見たな。」
「陸斗君、ちょっとエンジン掛けてみてよ。」
パンダカラーのレビンのドアを開けた紅葉が、そう言ってキーを投げる。
陸斗がキーをキャッチし、目の前の黒いレビンのドアに近づく。
「あ、待った。バッテリー外してたんだった。」
紅葉がそそくさと工場に戻って行く。
「大丈夫か?この車・・・」
「ちゃんと動いてはいるけど、オイル関係は交換した方がいいね。」
アイドリング状態の二台を前に、紅葉が腰に手をあてる。
「オイル交換だけで済めばいいんですけどね・・・」
紅葉の背後で陸斗が呟く。
「まあ、ちゃちゃっと交換だけしちゃうから待っててよ。」
「え?待っててって・・・」
「一度ハチロクには乗ってみたかったんですよ。」
オイル交換後、レビンの試運転を頼まれ、道中立ち寄ったコンビニでまどかが嬉しそうに話す。
「で、感想は?」
陸斗は先ほどまで運転していた黒いレビンの側面によりかかり、聞く。
「乗りやすい車だと思います。」
「確かに、俺もそう思う。」
煙草に火をつけながら陸斗が頷く。
「ところで、お店で言ってた初号機と弐号機って・・・」
「ああ、こっちの黒いのが初号機で、そっちが弐号機だ。」
背後の黒いレビンを手のひらで叩き、目の前のパンダレビンをその手で示す。
「その呼び方の元ネタって・・・」
「まあ、エヴァだろうな。」
陸斗は煙を吐きながらさらりと言う。
「ファンなんですかね?」
「呼びやすいから適当につけたんじゃね?」
「ああ・・・」
まどかは紅葉の性格を思い出し、なんとなく納得した。
「さて、そろそろ戻るか。」
「どうだった?」
試運転から戻った陸斗達に、紅葉が聞く。
「普通に乗った感じは大丈夫でしたが、走るなら一度ちゃんと見た方がいいですね。」
久しぶりのドライブを終え、静かに鎮座する二台を前に、陸斗は淡々と説明した。
「まあ、それはやっとくよ。それで問題なさそうだったらまた連絡するね。」
「・・・念のため言っておきますが、壊れても責任持てませんよ?」
乗り潰すつもりの車に対し、必要以上に手を入れるであろうことを予測した陸斗が念をおす。
「うん、大丈夫。遠慮なく乗っちゃって。」
「すげぇな・・・この間と全然違う。」
サーキット走行当日。愛知県北部の狭い山道を利用したコースにて、試運転のときより飛躍的に向上した安定感に驚く陸斗。
「それにまどかの奴、初めての割にだいぶ攻めてるな・・・」
前を走る弐号機は、陸斗の乗る初号機を振り切る勢いで、タイトなラインを攻めていた。
「今日はだいぶ思いきった走りだな。」
山道入り口に設けられたピットで弐号機のエンジンルームを眺めるまどかに、陸斗が声を掛ける。
「いやぁ、自分の車じゃないせいか、結構気が楽なんですよ。」
「お前、意外とひどい奴なんだな。」
まどかの発言に陸斗がドン引きする。
「え?そうですか?・・・それより、ここに来る途中、なんか凄い看板をいくつか見かけたんですけど、あれって何なんですか?」
まどかはサーキットの入り口付近で見かけた、サーキット反対を唱った看板のことを思い出し、質問する。
「ここ作るときに地元の人と相当揉めたらしいよ。」
同じ走行枠で走っている若い女性ドライバーが、長い黒髪を揺らしながら近づいてきた。
「そうだったんですか。」
「それでああいう看板が立って、コース自体のクセの強さも相まって私みたいな物好きしか寄りつかなくなったってわけ。」
今日は週末で時間も人が最も集まる午後一番にも関わらず、走っているのはここにいる三人だけであることから、この女性の言う通り、他のドライバーから相当敬遠されているらしい。
「ああ、やっぱり常連か。どうりで速いわけだ。」
そう言って陸斗が女性の背後でクーリング中の黒いカプチーノを見やる。
「一応ここの下りのレコード持ってるから、受付に烏丸凛子って名前が貼ってあるよ。」
烏丸凛子とさりげなく名乗った女性がニヤリと笑う。
「あ、そうだ。ちょっと次の下り、彼女さんと走ってみたいんで、お兄さん最後尾走ってもらってもいいですか?」
「それはいいけど、そいつは彼女じゃなくて後輩だ。」
ぐいぐい来る凛子にやや押され気味の陸斗が交際を否定する。
「お揃いのレビンに乗ってるのに?」
「これは借り物です。」
「オーナーに長いこと乗ってなかったから、動かしてきてくれって頼まれたんだ。」
まどかの答えに陸斗が説明をつけ加える。
「それにしては思いきった走りだったけど・・・」
「それは自分の車じゃないからです。」
まどかが胸を張る。
「意外と酷いこと言うね。この娘。」
そんなまどかを横目で見ながら凛子が、陸斗に耳打ちする。
「だろ?いやぁ、こんなこと言う奴じゃなかったんだが・・・」
陸斗は口元に手をあて、凛子に返す。
「あの、丸聞こえなんですけど・・・」
まどかがじっとりとした目でヒソヒソと話す二人を見つめる。
「ああ、ごめんごめん。とりあえず、上に上がろうか。」
上りでウォーミングアップをした三台は、下りのスタートラインでまどかの乗る弐号機を先頭に一列に並び、スタートの合図を待っていた。
「さて、実力を見せてもらおうか。」
凛子が嬉々としてフロントガラス越しの弐号機を見つめる。
「・・・ちょっと緊張してきた。」
まどかはミラーに映るカプチーノを見て身震いをし、視線を狭い二車線の道路に移す。視界の端では道路脇に立つシグナルが赤く灯っていた。
そして、シグナルが消滅し、青いシグナルに変わる。
「どうだった?」
夜。七原自動車に車を返しに来た陸斗達に紅葉が聞く。
「二台とも絶好調でしたよ。」
「そりゃあ、きっちり整備したからね。」
紅葉がふふんと鼻を鳴らす。
「それで、走りの方はどうだった?」
「まあ、俺はいつも通りでしたけど、まどかがすごかったですね。」
「ほう。」
紅葉の目がキラリと光る。
「コース上にはみ出してる草木をものともせずに、常連のカプチーノと熱いバトルを繰り広げてましたよ。」
「傷だらけにしてすみません。」
まどかが申し訳なさそうに頭を下げる。
「いいよいいよ。そのつもりで貸したんだし。」
紅葉がにこりと笑う。
「それにしても、ハチロクって良い車ですね。」
そう言ってまどかは弐号機のボンネットを撫でた。
「すっかり気に入ったみたいだね。いっそのことレビンに乗り換えちゃう?」
「いや、それはちょっと・・・」
「安くしとくよー?弐号機なら五万円でどう?」
口ごもるまどかを紅葉が破格の値段で畳み掛ける。
「は?安っ!・・・どうしようかな、買っちゃおうかな・・・」
そして、揺らぐまどか。
「維持出来ねぇだろ。」
「あ、そうか。」
陸斗の的確な一言がまどかを引き戻す。
「まあ、気が変わったらいつでもどうぞ。・・・それじゃ、私は家に引っ込むから、二人とも遅くならないようにね。」
紅葉はそう言い残すと、道路の向かいに建つ自宅へすたすたと歩いていった。
「俺たちも帰るか。」
「そうしましょう。」
そして、二人はそれぞれFDとS15に乗り込み、帰路についた。




