春葉山にでも行くか?
一般車は愚か走り屋すらいない、平日深夜の社峠。闇と静寂が支配するその峠を、白いワンエイティーが鋭い光と低音を振りまきながら走っていた。
「誰かいないかな~♪」
車内では鼻歌まじりのパチ文が、淡い期待を胸にステアリングを握っていた。
「誰もいないな・・・今日はこのまま帰るかな・・・」
あっさり期待を裏切られたパチ文は、軽く意気消沈しながらゴール地点であるY字路でUターンをし、峠を下ろうとしていた。
「ん?」
スタートをしようとしていたところで、背後から近づいてくるヘッドライトの光にパチ文が気づく。そして、そのヘッドライトは真後ろに停車すると、パッシングを数回してきた。
「・・・おもしれぇ。」
挑発行為によって闘争心に火がついたパチ文は、シフトダウンをしてアクセルをあおり、ワンエイティーを発進させた。それに引っ張られるかのように後続車も走り出す。
序盤から一進一退の激しい攻防戦を繰り広げる二台。
「車種はなんだ?」
相手を判別するため、チラチラとルームミラーを見やるが、映るのは獲物を追う獣の眼のようなヘッドライトの光だけである。
「・・・あれ?」
緩やかな左コーナーの手前で、突然ミラーから煌々とした光が消え、パチ文の思考が一瞬止まる。そして、何の前触れもなく、フロントガラスの向こうに右から二つの赤い光が滑り込み、パチ文が反射的にブレーキを踏みつける。
ここでパチ文は相手の車種がDC2型インテグラタイプRであることと、そのインテRが強引に割り込んできたことをさとった。
「こいつ・・・っ!」
相手の行為に対し、パチ文は怒りを露わにするも、インテRは滑り込んだ勢いのまま、左側のガードレールの下を潜りぬけて斜面に落ちてしまった。
「・・・あのバカ!」
目を見開いたままパチ文はそう漏らすと、サイドブレーキを引っ張りあげ、エンジンも切らずにワンエイティーを飛び出してインテRの救助に向かった。
パチ文とインテRの一件から数日後の週末夜。陸斗は、峠入り口にあるコンビニの喫煙スペースで煙草を吸っていた。
「ちょっといいかな?」
紺色の制服に身を包んだ二人の警官が、陸斗に声を掛ける。
「はい、何か?」
不意をつかれた陸斗が、わずかに体をピクリとさせ、顔を上げる。
「あれ、君の車だよね?」
警官の一人が、広めの駐車場の真ん中に停められた陸斗のFDを手で示す。その隣には、パトカー仕様のスイフトが停まっていた。
「そうですけど。」
視線を警官に戻し、陸斗が答える。
「今からどこ行くの?」
「F市のファミレスです。」
疑わしそうな目をした警官から放たれる質問に、淡々と対応する陸斗。
「ああ、そう。・・・ちょっと車見せてもらってもいい?」
「いいですよ。」
陸斗は煙草を消し、灰皿に放り込むと、FDに向う警官のあとを追った。
警官達はFDの傍によると、一人はポケットからメジャーを取り出し、車高の計測などの点検を始め、もう一人は陸斗に対して職務質問を始めた。
「最近、社峠で走り屋が事故を起こしたから、気をつけてね。」
点検と質問を一通り終え、異状なしと判断した二人はそう言うと、パトカーに乗って去っていった。それを見送った陸斗は、やれやれとため息をつき、FDに乗り込んだ。
「お疲れ様です。陸斗さん。」
先にレストランの店内でテーブルについていたまどか達が、陸斗を迎える。
「随分遅かったッスね。」
まどかの隣に座っていた笹端が、陸斗を見上げる。
「ああ、コンビニで職質されたんだわ。なんか事故の影響で、警戒を強化してるんだと。」
陸斗は、腰を下ろしながら先ほどまでのことを簡単に説明した。
「ああ、私も職質されたけど、インテRが無茶してガードレール潜ったらしいよ。」
芳文の隣でアイリはそう言って、煙草に火をつけた。
「ふーん、ドライバーは大丈夫だったのか?」
陸斗はポケットから取り出した煙草とスマホをテーブルに置き、アイリに質問する。
「さあ?でも、死んだって話は聞かないけど。」
煙草の煙を吐きながらアイリが答える。
「まったく、迷惑な話ですよね。」
まどかがむくれる。
「いや、明日は我が身だから・・・」
芳文が苦笑いしてまどかを諭す。
「そうそう。結局のところ、俺らもやってることは、そのインテと同じだからな。今回はたまたまそいつが事故っただけだ。」
「・・・。」
正論を突きつけられ、まどかが沈黙する。
「そういえばパチ文君、今日はなんか静かだね。」
アイリが話題を変え、パチ文を見るが、当のパチ文はまるで「俺は空気です。」と言わんばかりに、席のすみで影を薄くしている。
「・・・え?そ、そう?」
ハッとしてパチ文がぎこちなく答える。
「どうした?顔色悪いぞ?」
向かいに座る笹端が聞く。
「え、えーと・・・じ、実はその事故、俺とバトルしてるときに起こったんだけど・・・」
パチ文が、今にも消え入りそうな声で告白する。
「てめぇ!なんてことしてくれてんだ!」
笹端がパチ文を通路に引きずり出し、コブラツイストを掛ける。
「痛い痛い痛い!違うんだ!俺は悪くない!」
脇腹を痛めつけられたパチ文が悲鳴をあげる。
「やめろって笹端。」
陸斗が止めに入る。深夜とはいえ、店内には数組の客がいる。
「・・・で、どういうこと?」
「いたたたた!なんでアイアンクロウしながら言うんですか!?」
パチ文が陸斗の腕をバンバンバンと激しくタップする。
そして、陸斗のアイアンクロウから解放されたパチ文が、事の成り行きを説明する。
「なるほど、それは災難だったね。・・・それで、どうする?この調子だと、しばらく社は走れないよ。」
芳文が納得し、全員の顔を伺う。
「・・・じゃあ、春葉山でドリフトでもするか?」
少しの間を置いて陸斗が提案する。
陸斗達がミーティングをした翌週の夜。春葉山の曲がりくねった山道の中間地点にある展望台に、内田と高林はいた。
「今夜こっちに来るみたいですよ。」
陸斗からのメッセージをスマホで確認した内田が、煙草の煙を吐きながら言う。
「まあ、あの様子じゃ当分社は走れないからねぇ。」
眉を八の字にした高林が哀れむように返す。
「・・・お、来たみたい。」
周囲に響く複数のエキゾーストを聞いて内田が呟き、高林とともに音の発生源である真っ暗な山に顔を向ける。
すると、山の中腹から白と赤の光の点がポツポツと現れ、乱立する木々の向こうを、カメラのフラッシュのように明滅しながら右から左へ滑っていく。そして、光の点は四台分のヘッドライトとテールランプになり、こちらへ向かっていた。
それを確認した内田は、LEDライトを取り出すと、四台に向けてライトで大きく円を描き、合図を送る。
先頭を走るFDがパッシングを三回して合図に答え、ヘアピンカーブの頂点にある展望台の前を、S15と二台のワンエイティーを引き連れて通りすぎていった。
「よし。」
内田からドリフト可能の合図を受け、展望台を通過した陸斗は、シフトダウンをし、前方に迫るコーナー入り口を睨む。
そして、陸斗はブレーキペダルを踏み込み、減速をしながらコーナーへ進入し、ステアリングとアクセルを調整しながらグリップ走行でコーナーを抜けていく。
それに対し、後に続く三台は陸斗に引き離されつつも、ヘアピンをドリフト走行で抜けていく。
「よっしゃ。決まった!」
ドリフト状態から立ち直ったまどかが、小さくガッツポーズをする。
「さて、次は流しっぱなしで行くかな・・・」
ヘアピンの余韻に浸る間もなく、さらに迫る二連続ヘアピンに備え、サイドブレーキに手を添える。前方では既に陸斗がFDを横に向けてドリフトをしていた。
「よーし・・・」
まどかが陸斗の消えたコーナーを睨む。
「ここ!」
短く叫び、サイドブレーキを引いてS15を滑らせる。そして、アクセルとステアリングを忙しく操作しながら、最初のコーナーを抜け、ドリフト状態のまま次のコーナーに向かう。
しかし、飛距離が足りず、コーナーの手前で真後ろを向いてしまう。
「うう、ダメだったか・・・」
まどかはため息まじりにスピンターンをし、S15を発進させる。スピンによってドリフトを中断した後続の二台もその後に続く。
コーナーを抜けた先では、陸斗のFDが三台と対面するような形で待っていた。
そして、方向転換をしたまどか達が後方につくと、FDは再び三回パッシングをし、四台が発進する。
「やっぱFDってドリフトしづれぇな。」
三往復ほどした後、展望台の駐車場に降り立った陸斗が苦々しく言う。
「まあ、車もセッティングもドリフト向きじゃないからね。」
芳文が苦笑しながら、ワンエイティーのドアを閉める。
「じゃあ、シルビア系に乗り換えます?」
ニヤニヤと笑いながらまどかが聞く。
「左手が置けないからやだ。」
陸斗が即答する。
ちなみにFDの車内は、運転席と助手席を隔てるように中央が盛り上がっているため、アームレストのように左腕を置くことが出来るのである。
「え?そこ?」
「陸斗さん、お疲れ様です。」
高林とともに展望台から降りてきた内田が、陸斗に挨拶をする。
「おお、お疲れ。悪いな。邪魔して。」
「いやぁ、あんな事故が起こった後じゃしょうがないですよ。」
「ドライバーがガードレールで首飛ばしたってホント?」
高林がショッキングなことを口走る。
「え!?マジ?」
陸斗が驚いてパチ文を見る。
「え!?いや、違いますよ。」
パチ文が首を振って否定する。
「だよな・・・誰から聞いたんですか?」
「いやいや、噂だよ噂。」
高林はそう言って笑うと、煙草を吸い始める。
「そういえば、今日、葵はいないんですか?」
まどかが内田に聞く。
「葵なら今日は下の方でターボのテストしてるけど・・・まあ、気が向いたら来るんじゃない?」
「ターボ?」
気になるワードにまどかが反応する。
「最近、BRZに付けたんだって。」
「ほほう・・・あ、ありがとうございます。」
まどかはニヤリと笑い、内田に礼を言うとS15のもとに歩いていった。
「お?どうした?」
S15のドアの開く音に気づいた陸斗が声を掛ける。
「ちょっと下の方に行ってきます。」
まどかはそう返すとS15に乗り込み、山を下っていった。
「・・・あいつ、何しに行ったんだ?」
S15を見送った陸斗が呟く。
春葉山の麓近くにある道の駅「ふくふく亭」。その広い駐車場にエンジンを止め、静かに駐車する葵のBRZ。
「くぁ・・・っぁあ。」
新装備のテストを一通り終えた葵が運転席で、両手を前に伸ばしながら大きな欠伸をする。
「さて、どうしようかな・・・」
ドリンクホルダーのボトルから取り出したガムを噛み潰しながら、この後の行動を思案する。
「ん?」
山を下るエキゾーストが耳に流れ込んでくる。
「誰か来たのかな・・・」
聞き耳を立て、音の主が存在するであろう方向に視線を向けて葵が呟く。
そして、数分もしないうちに赤いS15が駐車場に進入し、BRZの横に停車した。
「よ!葵ちゃん、ターボ付けたんだって?」
パワーウインドウを下げて、開口一番にまどかが言う。
「あれ?まどか?・・・ああ、そういえば、こっちに来てたんだっけ・・・」
まどかの突然の出現に、葵は一瞬困惑するも、すぐに状況を把握する。
「・・・うん。ターボ付けたよ。」
「どんな感じ?」
まどかが目を輝かせて聞く。
「そうだねぇ・・・加速がすごく良くなった。」
テスト時に実感した愛車の飛躍的な変化を思い出し、満面の笑みで質問に答える。
「ほほう・・・じゃあ、ちょっと私とバトルしない?」
ニヤリと笑ったまどかが唐突に提案する。
「バトル?今から?」
「うん、そう。」
呆気に取られたように聞き返す葵に、まどかが即答する。
「うーん・・・うん、いいよ。」
一瞬考える葵だが、すぐに乗り気になり、答えを出す。
「よーし。それじゃあ、そこの信号からスタートして上のトンネルで折り返しね。」
「わかった。行こう。」
ふくふく亭のすぐ近くにある信号機の前で、S15とBRZは一列に並び、青信号を待っていた。
やがて、交差する道路の信号が黄色になり、一定の間隔を置いて赤に変わる。すると、二台が獣の咆哮のごとくエンジンをふかし始める。
そして、正面の信号が青に変わると、二台は力を開放されたかのように走り出し、山を駆け上がっていった。
「それじゃあ、しっかりついて来てね。」
まどかは口元に笑みを浮かべ、ミラーに映るBRZに語り掛ける。
「さてさて、どんな走りをするか見せてもらおうかな。」
ホームでのバトルに加え、ターボによって上りの戦闘力が向上したため、葵が余裕の表情を浮かべてS15のテールランプを見据える。
「さっすが・・・ぴったりついてくる・・・」
序盤の高速コーナーで引き離そうとしたまどかだったが、わずかに開いた距離はすぐに埋められ、折り返し直前でのBRZとの距離はスタート直後と変わらない状態であった。
「おっと。」
トンネルに入ったところでBRZがパッシングをし、折り返しに備え、減速を開始した。まどかもそれに釣られ、アクセルを緩める。
「予想以上に良い走りだったな・・・」
方向転換を終えた葵は、額の汗をぬぐいながら振り返り、背後についたS15を見た。
「・・・よし。一気に行こ。」
口から息を吐き、身体の力を抜いた葵は左右に一回ずつウインカーを出し、スタートの合図を送ると、アクセルを踏み込み、BRZを発進させた。
「って、速っ!」
BRZのスタートダッシュに驚いたまどかが思わず声を上げる。
驚きながらも離されまいとさらに加速するまどかだったが、一時的に縮まった差は距離を追うごとにゆっくりと開いていった。
「ふふん、おもしろくなってきた・・・」
鼻を鳴らし、わずかに微笑むとまどかの眼の色が変わり、アクセルを踏む足に力がこもる。
「・・・あれ?なんか近づいてない?」
じわじわと背後に接近するS15の圧迫感に、葵の額から再び冷や汗が湧きだす。
「捕まえた!」
S15から逃げようと必死にもがいているBRZを前に、まどかが口角を上げて叫ぶ。
「やっば・・・」
ミラーに反射したS15のヘッドライトが照らし出した葵の顔からは、完全に余裕が消えていた。
スタートをした交差点を一列で通過した二台は、そのまま道の駅の駐車場に入り、停車した。
「引き分けだね。もう一本行こうか。」
パワーウィンドウを下げ、まどかは人指し指を立てて葵を延長戦に誘う。
「いやぁ、ごめん。明日朝早いから。」
葵が申し訳なさそうに笑う。
「えー・・・」
露骨に嫌な顔をし、不満の声を出す。しかし、その声はナビシートに投げ出されたスマホの着信によってかき消される。
「あ、はい、もしもし。」
声色を元に戻し着信に応じる。
「そろそろ帰るけど、お前どうする?」
電話の相手は陸斗だった。
「え?・・・あー、はい。わかりました。私も帰ります。」
渋々といった感じに返事をする。
「?・・・わかった。じゃあ、さっきの展望台で待ってる。」
まどかの態度に疑問を感じつつ、陸斗は要件を伝えると電話を切った。
「はー・・・じゃあ、また今度ね。」
通話を終えたまどかは長いため息をつくと、葵に別れを告げた。
「うん。また。」
葵はにっこり笑うと、パワーウィンドウを上げ、駐車場を出て行った。
「さて、私も行くか・・・」
葵のBRZを見送ったまどかは、両手を組んで前に伸びをすると、S15のギアを入れ、陸斗達の待つ展望台に向かって走り出した。




