第4話 父の決断、次世代への特命
重苦しい空気が支配する円卓の間で、国王ヴァンが下した「次世代の若者たちによる特命部隊の編成」という決断。
その言葉の真意を測りかねたように、宰相ローランが銀縁の眼鏡を押し上げながら静かに問いかけた。
「王よ。特命部隊の編成自体には賛同いたします。魔界の軍勢にフェザーン王国の誇る大軍をぶつければ、世界を巻き込む泥沼の総力戦になるのは明白ですから。しかし、問題はその人選です。……とりわけ、部隊を率いるリーダーについては、極めて慎重に議論すべきかと存じます」
ローランの視線は、感情を排し、冷徹に事実だけを見据えていた。
「私の弟子であるシオンをはじめ、次世代には優秀な若者が育っています。しかし、彼らはまだ実戦の激しい死線を知らない。その未熟な集団をまとめる長には、それ相応の絶対的な武力か、あるいはいかなる絶望にも屈しない強靭な精神力が必要です」
「俺は、そのリーダーにアベルを任命するつもりだ」
ヴァンの短く、一切の迷いがない断言に、円卓を囲む大人たちは一瞬だけ息を呑んだ。
最初に口を開いたのは、近衛隊長のガロだった。顔の傷を太い指で撫でながら、あえて厳しい事実を口にする。
「ヴァンの旦那、身内を庇うつもりはねえが、客観的に見て戦闘能力ならローランの愛弟子であるシオンが頭一つ、いや三つは抜けている。アベルの奴も血の滲むような努力をしているのは知っているが、いかんせん剣術も召喚術も中途半端だ。痛覚がある以上、セリア様のような高位の神々を同化させることもできない。あいつを過酷な戦場の最前線、しかも部隊の要であるリーダーに据えるのは、あまりに荷が重すぎるんじゃねえか」
財務大臣のルミナも、心配そうに目を伏せた。
「アベル様は、優しすぎます。それに、ご両親の偉大な功績を前に、ご自身の力に強いコンプレックスを抱いていらっしゃる。あの張り詰めた心のまま、いつ死ぬともわからない地に送り出せば、取り返しのつかないことになりかねません」
大人たちの懸念は、どれも正論だった。彼らはアベルを幼い頃から見守り、愛しているからこそ、その器用貧乏さと、心の脆さを誰よりも理解し、心配していたのだ。
しかし、ヴァンは円卓に両手をつき、ゆっくりと皆の顔を見渡した。
「お前たちの言う通り、今のアベルには、かつての俺やセリアのように理不尽を強引に叩き潰すだけの絶対的な力はない。シオンのような完璧な天才でもない。だがな……」
ヴァンはそこで言葉を区切り、窓の外に広がる平和な王都の灯りへと視線を向けた。
「俺が二十年前、勇者パーティーを無能だと追放され、泥水の中から這い上がった時。そして、同化召喚という力を気味悪がられ、社会から異端として迫害されていたセリアと出会い、共に世界を変えられたのは……俺たちが最初から強かったからじゃない。自分の弱さを知り、理不尽に踏みにじられる痛みを誰よりも知っていたからだ」
ヴァンの脳裏に、かつてどん底の戦士として蔑まれた自分自身の姿と、誰にも理解されず孤独だったセリアの瞳が蘇る。強者の論理だけで動く世界に、彼らは共に傷だらけになりながら抗い続けたのだ。
「アベルは、自分の弱さに絶望し、打ちのめされながらも、決して剣を捨てようとはしない。天才であるシオンに見下され、己の半端さにどれほど涙を流そうとも、あいつは絶対に他人の痛みを笑ったり見捨てたりしない男だ。欠落を抱えているからこそ、他者の心に寄り添い、仲間を繋ぎ合わせることができる」
ヴァンは再び正面を向き、力強い、確信に満ちた声で言い放った。
「あいつの眼は、かつての俺たちと同じだ。這い上がり、何かを護ろうとする者の眼をしている。完璧な力などなくてもいい。あの優しさと、決して折れない根幹の強さこそが、これからの世界を導く光になる。俺は、俺の息子を誰よりも信じている」
その言葉に、円卓の間に満ちていた懸念の空気は霧散した。
王妃セリアが、ヴァンの隣で静かに微笑んでいる。彼女もまた、不器用な夫が息子に向ける深い愛情と絶対的な信頼を、心から誇りに思っていた。
ローランは小さく息を吐き、口元に微かな笑みを浮かべて頭を下げた。
「……王がそこまで見据えておられるのであれば、もはや私の口出しすることではありませんね。アベル王子を、次世代の希望として送り出しましょう」
ガロもバルガンも、そしてルミナも、ヴァンの揺るぎない決意の前に深く頷いた。
翌日の午前。
そんな大人たちの重い決断など知る由もないアベルは、王城の長い廊下を一人、重い足取りで歩いていた。
昨日のシオンからの屈辱的な言葉が、まだ耳の奥にこびりついている。
どれだけ足掻いても天才には届かない。魔法で遠距離から攻撃することもできず、ただナイフを握って突撃するしかない。自分には王の血という重い飾りしかないのではないか。
そんな暗い思考の渦に沈んでいたアベルの元へ、慌ただしい足音を立てて近衛兵が駆け寄ってきた。
「アベル殿下。国王陛下が、大至急『王の間』へ参るようにと仰っております」
「父さんが……。わかった、すぐに行く」
王の私室や修練場ではなく、公式な謁見の場である王の間への呼び出し。
ただならぬ気配を感じ取ったアベルは、急ぎ足で城の中心部へと向かった。
巨大な両開きの扉を近衛兵が開く。赤い絨毯が敷き詰められた荘厳な空間の奥、玉座にはすでに国王ヴァンが腰を下ろしており、その傍らには王妃セリア、そしてローランやガロといった国の重鎮たちが険しい顔つきで並んでいた。
「アベル、よく来たな。少し前へ出ろ」
ヴァンの声は、普段の父親としてのものではなく、フェザーン王国を統べる絶対的な王としての威厳に満ちていた。
アベルは緊張で喉を鳴らしながら玉座の前に進み出ると、片膝をついて深く臣下の礼をとった。
「面を上げよ。……単刀直入に言う。東の辺境にある人間の防衛都市が、魔界の軍勢によって完全に制圧された。かつて俺たちが塞いだはずの次元の壁がこじ開けられ、大魔王による新たな侵略が始まったのだ」
「なっ……魔界の軍勢が」
アベルは思わず声を上げた。二十年間、おとぎ話の中でしか聞いたことのない世界を滅ぼす絶対悪。それが再び現実に牙を剥いたという事実に、背筋に冷たい汗が伝う。
「父さん、まさか、また父さんたちが最前線へ……」
アベルが顔を上げて叫ぶと、ヴァンは静かに首を横に振った。
「いや、俺たちは王都を動かん。大軍を派遣しての全面戦争も避ける。魔界軍の拠点を叩き、新たな次元の扉を破壊するための少数精鋭の特命部隊を編成する」
ヴァンは玉座からゆっくりと立ち上がり、大股で階段を下りてアベルの目の前まで歩み寄った。
見上げる父の身体は、岩山のように巨大で、途方もなく大きく見えた。
「アベル。お前が特命部隊のリーダーとなり、魔界討伐の任に就け」
「…………えっ」
アベルの思考が、完全に停止した。
今、目の前の父は何と言ったのか。自分が、特命部隊のリーダー。世界を救うための、最も過酷で重要な任務。
「お、お待ちください。俺が、ですか。なぜです」
アベルは動揺のあまり立ち上がり、後退りしながら声を上ずらせた。
「俺は、剣術も召喚術も半端な、ただの器用貧乏です。痛覚があるから中級の魔獣一体を同化させるのが限界で、昨日はシオンにも手も足も出なかった……。リーダーなら、シオンのような才能のある奴がやるべきです。俺なんかじゃ、絶対にみんなの足を引っ張る」
自らの劣等感を、これほど大人たちの前で赤裸々に叫んだのは初めてだった。
惨めだった。英雄である父の目の前で、自分には力がないと逃げ腰になっている自分が、どうしようもなく情けなかった。
しかし、ヴァンは激昂することも、呆れることもなかった。
ただ静かに、大きな無骨な手を伸ばし、震えるアベルの肩を力強く掴んだ。
「……力がないから、なんだというんだ」
「え……」
「剣が振れなければ、仲間を頼れ。魔法が使えなければ、知恵を絞れ。一人で勝てないのなら、全員で勝つ方法を死に物狂いで探せ。それが、リーダーというものだ」
ヴァンの瞳の奥にある、深く温かい光がアベルを真っ直ぐに射抜いた。
「俺はお前に、俺と同じ強さを求めてはいない。お前にはお前の強さがある。他人の痛みがわかり、決して仲間を見捨てないその不器用な優しさこそが、お前の最大の武器だ」
「父さん……」
「お前の眼は、かつての俺たちと同じだ。どん底から這い上がり、大切なものを護り抜くための強い光が宿っている。だからこそ、俺はこの世界の未来を、お前に託す」
父の重く、そして不器用な深い愛情が込められた言葉。
それは、アベルがずっと心の奥底で求めていたものだった。お前は半端者ではない。お前にはお前の価値があると、誰よりも偉大な父が認めてくれたのだ。
アベルの目から、ポロリと一粒の涙がこぼれ落ちた。
コンプレックスという重い鎖が、父の言葉によって少しだけ解けていくのを感じた。
「……怖いか、アベル」
ヴァンが静かに問う。アベルは涙を乱暴に袖で拭い、赤くなった目で父を真っ直ぐに見返した。
「怖いです。……でも、逃げません。父さんが俺を信じてくれるなら……俺は、俺のやり方で、必ず仲間を護り抜いてみせます」
その答えを聞いたヴァンは、満足げに口角を上げ、アベルの肩をもう一度力強く叩いた。
「よく言った。フェザーン王国第一王子、アベル・アッシュクロフト。お前を魔界討伐特命部隊のリーダーに命ずる。最高の仲間を集め、この世界に再び夜明けをもたらしてこい」
「はっ……。御意に」
アベルは再び深く片膝をつき、今度は逃げのない、確固たる決意を込めて首を垂れた。
玉座の傍らで、母セリアが優しく微笑みながら涙を拭っている。
半端者だと蔑まれてきた若き王子が、己の運命と向き合い、次世代のリーダーとしての重い責任を背負い込んだ瞬間であった。




