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万能で半端な召喚魔法戦士、魔界討伐の旅に出る〜偉大な英雄を両親に持つ王子は、最高の仲間と共に己の刃を鍛え上げる〜  作者: 八咫 日本


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第24話 泥に沈む白鳥と、軋む命の歯車

光の届かない地下迷宮の最下層。

そこは今や、誇り高き天才剣士の自尊心が無残に引き裂かれ、泥濘の中に散乱する処刑場と化していた。

「ああっ……! ぐうっ……!」

泥に塗れたシオンの悲痛な呻き声が、冷たい石壁に反響する。

彼の右ふくらはぎに、背後から忍び寄った別の魔獣の牙が深く突き立てられていた。鋭い犬歯が筋肉の繊維を断ち切り、骨を削るような激痛がシオンの脳髄を焼き切る。

シオンは痛みに狂乱し、唯一の武器である泥まみれの石ころを、自身の足に食らいつく獣の頭へ向かって力任せに振り下ろした。

しかし、恐怖と絶望で完全に萎縮しきったその一撃には、魔獣を怯ませるほどの力は残っていなかった。

獣は石の打撃を鬱陶しそうに頭を振って弾き返すと、さらに強く顎に力を込め、シオンの身体を泥水の中へ引きずり倒した。

「やめろ……! 離せ、私に触るな……ッ!」

泥水に顔を半分沈めながら、シオンは無我夢中で獣の鼻先を蹴りつけようと足掻く。

だが、その見苦しい抵抗も、別の魔獣が彼の左肩を巨大な前足で踏みつけたことで完全に封じられてしまった。

肺から押し出された空気が泥水の中で泡立ち、シオンはゴホゴホと激しく咳き込みながら血を吐き出した。

純白で美しかった軍服は、すでに元の色が判別できないほどに泥と赤黒い血で汚れきっている。

王都の修練場で、誰の攻撃も届かない安全な距離から華麗な召喚魔法を展開し、涼しい顔で勝利を収めていた『完璧な天才』の姿はもうどこにもない。

魔力を封じられた空間で、肉体を直接引き裂かれるという生物としての絶対的な死の恐怖。それに直面した時、シオンという青年の内側にあった傲慢なプライドは、あまりにも脆く、呆気なく崩壊してしまった。

『シオン。お前の剣と魔法は確かに完璧だ。だが、それは自分の計算通りに世界が動いている間だけのこと。真の強さとは、計算がすべて崩れ去り、泥に塗れた時にこそ試されるのだ』

薄れゆく意識の中で、師である宰相ローランの静かな忠告が脳裏に響いた。

(ああ……。師匠の言う通りでした……)

シオンは泥に塗れた顔を歪め、力なく瞳を閉じた。

自分は天才でも何でもない。ただ、恵まれた環境と才能という安全な檻の中から、外の泥濘を見下ろして優越感に浸っていただけの、ひどく滑稽で弱い人間だったのだ。

痛みを知り、常に最悪の事態を想定して足掻いていたアベルのことを「器用貧乏」だと嘲笑っていた自分が、誰よりも底の浅い半端者だった。

(アベル……。お前はいつも、こんな恐ろしい痛みに耐えながら、前に進んでいたのか……)

シオンの頬を、熱い涙が伝って泥水へと溶け込んでいく。

自分を嘲笑うように囲む魔獣たちの息遣いが、すぐ耳元まで迫っていた。

致命の牙が喉笛に突き立てられるその瞬間を、シオンはただ震えながら、すべての抵抗を諦めて待つことしかできなかった。

     * * *

一方、最下層へと続く坑道の最終区画。

絶壁を強引に跳躍して登り切ったアベルの身体は、すでに生命活動の限界をとうに超えていた。

「ごほっ、がはっ……!」

歩を進めるたびに、口の端からドロリとした赤黒い血がこぼれ落ちる。

連続した『同化召喚』の強制解除と再展開。それは、痛覚のあるアベルの肉体において、内臓を雑巾のように絞り上げられ、骨の髄に熱した鉄の杭を打ち込まれるような凄まじい負荷を生み出していた。

視界は赤く明滅し、足元はおぼつかない。右手に握った純白の『フェザーンのナイフ』を杖代わりにしなければ、立っていることすら不可能な状態だった。

それでも、アベルは止まらない。

シオンの傲慢さをへし折り、彼に泥を舐めさせるのは、魔王軍の幹部であってはならない。シオンを殴り飛ばし、その目を覚まさせるのは、リーダーである自分の役割だ。その強固な意志だけが、今のアベルの千切れそうな身体を前へと突き動かしていた。

だが、ザザの張り巡らせた死の罠は、まだアベルを解放してはくれなかった。

ガコンッ!

アベルが一歩を踏み出した瞬間、足元の石畳が不自然に沈み込み、重々しい機械の駆動音が地下坑道に響き渡った。

「なっ……!?」

直後、アベルの両側を挟む分厚い岩の壁面が、凄まじい地鳴りと共に動き始めたのだ。

壁には無数の鋭利な鋼の鉄棘が突き出しており、それが左右から同時に、アベルを完全にすり潰すために迫ってくる。罠の中央に足を踏み入れてしまったアベルには、前後に逃げ出すだけの時間はすでに残されていなかった。

「くそっ……!」

アベルは奥歯を噛み砕くほどの力で食いしばり、薄れゆく意識を無理やり覚醒させた。

魔法で壁を吹き飛ばすことはできない。肉体と、物理的な刃だけが頼りだ。

「我が肉体を器とし、その力を現せ……『深き土のモグラ』!!」

血を吐きながらの凄絶な詠唱。

茶色の魔法陣が空中に展開され、土の魔獣の重く強靭な特性がアベルの限界を迎えた肉体に無理やり押し込まれる。

右手のフェザーンのナイフが、主の魔力波長に呼応して甲高い金属音を鳴らし、巨大で分厚い『掘削用の短剣』へと一瞬で変形した。

「おおおおおぉぉぉッ!!」

アベルは咆哮を上げ、迫り来る左右の壁の隙間、そのギアが噛み合う要所に向けて、分厚い掘削用の短剣を横向きにして渾身の力で突き立てた。

ガガァァァァンッ!!

ミスリルの刃が壁の間に楔として食い込み、恐ろしいほどの圧力がナイフとアベルの右腕にのしかかる。

壁が迫る運動エネルギーと、それに耐えようとする土の魔獣の剛力。

ギリギリと刃が軋み、アベルの右腕の筋肉が限界を超えて悲鳴を上げる。関節からブチブチと筋繊維が千切れる不吉な音が響いた。

「がぁぁっ……! 負けるか、こんな、ところでぇっ!」

ナイフが壁の進行をわずかに食い止めている間に、アベルは自身の身体を横向きに捻り、迫る鉄棘の隙間に身を滑り込ませた。

しかし、ミスリルのナイフ自体は無事でも、それを支える周囲の岩壁が圧力に耐えきれず、メキメキと崩壊を始めた。楔が外れれば、一瞬で鉄棘に串刺しにされる。

(今だ……!)

「『土』を解除……! 我が肉体を器とし、その力を現せ……『疾風の鎌鼬』!!」

アベルは両壁の間で、文字通り命を削る連続同化を強行した。

身体が土の重さから風の軽さへと劇的に変化し、右手のナイフが壁の間に挟まった状態のまま、分厚い短剣から薄く鋭い『風の刃を纏う曲刀』へとスライド変形する。

分厚い楔が薄い曲刀へと変化した瞬間、支えを失った左右の壁が猛烈な勢いで迫り来る。

アベルはその直前、風の魔獣の爆発的な瞬発力で前方の僅かな隙間へと身体をダイブさせた。

ズガァァァァンッ!!!

アベルの足先が抜け出したコンマ一秒後、背後で左右の壁が完全に衝突し、凄まじい轟音と共に無数の鉄棘が交差した。

もし変化のタイミングが少しでも遅れていれば、アベルの肉体は完全に挽肉と化していただろう。

「ごはぁっ……!!」

罠を抜け出し、硬い石の床を無様に転がったアベルは、ついに立ち上がる力を完全に失い、うつ伏せのまま大量の血を吐き出した。

視界が完全に黒く染まりかける。全身の感覚はとうに麻痺し、もはや自分が息をしているのかどうかもわからない。右腕はだらりと力なく下がり、曲刀から元の形状へと戻った純白のナイフが、カランと音を立てて冷たい床に転がった。

「……シ、オン……」

血まみれの唇から、掠れた声が漏れる。

アベルは泥と血に塗れた顔を上げ、焦点の定まらない目で前方を見据えた。

そこには、これ以上進む坑道はなかった。

アベルの目の前に開けていたのは、遥か上方から微かな光が差し込む、広大な最下層の広場。

そしてその中央で、無数の魔獣に囲まれ、泥濘の中で完全に抵抗を諦め、目を閉じて丸まっている純白の軍服の青年の姿があった。

「見つけた、ぞ……」

アベルは震える左手で床を掴み、ナイフを拾い上げた。

足はもう動かない。ならば、這ってでも進む。

砕け散った完璧な天才の命を繋ぎ止めるため、満身創痍の半端者は、自らの血で泥濘に赤い線を惹きながら、死の広場へとその身を引きずり出していった。

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