第2話 天才の所業と、器用貧乏の限界
焼け焦げた訓練用ダミーの残骸を端に寄せ、アベルは新たな木人ダミーを修練場の中央に引きずり出した。
激しい疲労と筋肉の痛みが全身を支配しているが、ここで歩みを止めるわけにはいかない。英雄の息子として生まれた以上、自分自身の戦い方を見つけなければならないのだ。
アベルは先ほどまで振るっていた重い鋼の長剣を地面に置き、腰の鞘から一本の戦闘用ナイフを引き抜いた。
父ヴァンのような規格外の腕力がない自分には、大剣は重すぎる。かといって、通常の剣術ではリーチや威力の面で決定打に欠ける。アベルが現在模索しているのは、自身の機動力を最大限に活かし、手数の多さと同化召喚の特性をナイフに乗せて急所を突くという戦闘スタイルだった。
「もう一度だ……。次は、もっと速く」
アベルは深く息を吸い込み、再び己の精神を魔力回路へと繋いだ。
「我が肉体を器とし、その力を現せ……『疾風の蒼狼』」
アベルの足元に、今度は淡い翠緑色の魔法陣が展開される。
修練場の空気が一気に巻き上げられ、つむじ風が吹き荒れる。風の渦の中から、美しい蒼色の毛並みを持った巨大な狼の幻影が姿を現し、鋭い遠吠えと共にアベルの肉体へと飛び込んできた。
「ぐぅっ……、あぁっ!」
二度目の同化召喚。先ほどの炎の獅子とは違う、鋭い刃物で全身の神経を削られるような冷たい激痛がアベルの身体を駆け巡る。
痛みに耐えかねて膝が折れそうになるのを、アベルは奥歯を噛み砕くほどの気力で堪えた。
同化が完了すると同時に、アベルの身体は羽のように軽く、そしてバネのような弾力を持った。
魔法による遠距離攻撃や、風の刃そのものを魔法として撃ち出すことは、純粋な戦士としての側面を持つアベルには絶対にできない。彼にできるのは、宿した風の魔力を、手に持った物理的なナイフへと流し込むことだけだ。
アベルの魔力に呼応し、鋼の戦闘用ナイフの刀身に、うっすらと翠緑色の風の刃が纏い始める。
「シィッ!」
アベルは地面を蹴った。蒼狼の脚力を得たその動きは、常人の目には残像すら映らないほどの神速だった。
瞬時にダミーの懐へと潜り込み、風の刃を纏ったナイフを渾身の力で突き立てる。
ガァァンッ!
鋭い金属音と、風が弾ける甲高い音が修練場に響いた。
ナイフはダミーの硬いオーク材を深く抉ったものの、中心部でガッチリと止まってしまっていた。風の刃がギシギシと木材を削るが、完全に破壊し切るだけの絶対的な威力が足りない。
「くそっ……! まだ、威力が……」
アベルが焦燥と共にナイフを引き抜こうとした、その時だった。
「相変わらず、見苦しい真似をしているな、アベル」
修練場の入り口から、冷たく、そしてどこまでも響く透き通った声が聞こえた。
アベルが同化を解除し、荒い息を吐きながら振り返ると、そこには白の軍服を隙なく着こなした一人の青年が立っていた。
シオン。十九歳。
フェザーン王国の宰相であり竜人の長であるローランから流麗な剣術を叩き込まれ、魔族の戦士ガロから実戦における無慈悲な戦闘戦術を受け継いだ、王国軍期待の若き天才。
彼は純粋な人間でありながら、その才能と圧倒的な努力により、二人の師をも唸らせるほどの実力を身につけたエリート中のエリートだった。
「シオン……。修練の邪魔をしないでくれ」
アベルが汗を拭いながら睨みつけるが、シオンは涼しい顔のままコツコツと足音を立てて近づいてくる。
彼の腰には、装飾の施された細身の長剣が帯びられていた。
「邪魔をしているつもりはない。ただ、王の血を引く第一王子が、いつまでもそんな泥臭く自傷的な訓練をしているのが目障りなだけだ」
シオンの瞳には、明確な侮蔑の色が浮かんでいた。
「痛覚を持たない陛下だからこそ成立した同化召喚。それを普通の肉体しか持たないお前が真似たところで、中級の魔獣を降ろすのが限界だろう。それに、お前は純粋な魔力放出も治癒魔法も使えない。物理的なナイフに少しばかり風を纏わせたところで、それが何になる?」
「……俺は、俺のやり方で強くなる」
「強くなる、か。ならば、手本を見せてやろう」
シオンは流れるような動作で腰の細剣を抜き放つと、修練場の隅に置かれていた真新しい訓練用ダミーに向けて、静かに呪文を紡いだ。
「顕現せよ、『紫電の装甲豹』」
シオンの足元に紫色の魔法陣が展開される。
同化召喚ではない、通常の召喚術。空間に亀裂が走り、そこから紫色の稲妻を纏った、漆黒の金属装甲に覆われた巨大な豹が飛び出してきた。
バリバリと大気を震わせる高圧電流が、修練場の空気を焦がす。
「いけ」
シオンの短い命令と同時に、装甲豹が雷光となってダミーへと突進した。
豹が口から強烈な紫電の魔法攻撃を放ち、ダミーの表面を激しく焦がして防御力を削ぎ落とす。
驚くべきは、シオン自身の動きだった。
装甲豹が魔法を放ったその瞬間、シオンはすでに動いていた。師であるローラン譲りの、竜のように滑らかで無駄のない踏み込み。彼は自らの召喚獣の雷撃に一切怯むことなく、その閃光の裏側を縫うようにしてダミーの死角へと入り込んでいた。
雷撃によって表面が炭化し、脆くなったダミーの装甲。
シオンの細剣が、一切の淀みなくその一点へと突き出される。
パキィィィィンッ!
まるで薄いガラスを割るような甲高い音が響き渡り、頑強なオーク材で作られたダミーが、いとも容易く粉々に砕け散った。
召喚獣の遠距離魔法攻撃で相手の防御を崩し、自身が剣術で致命の一撃を与える。
それはまさに、召喚術と剣術を極限まで高め、完璧なコンビネーションとして成立させた天才の所業であった。
シオンは舞い散る木屑を払うこともなく、静かに細剣を鞘に納めた。
雷を纏っていた装甲豹も、主人の動作に合わせて光の粒子となり、空間へと溶けて消えていく。
「これが戦いだ、アベル」
シオンは振り返り、息を乱すアベルを冷ややかな目で見下ろした。
「魔法で遠距離から攻撃することもできず、ただナイフを握って突撃するしかない。おまけに、痛みに耐えられず中級の召喚獣しか使えない。戦士としても、召喚師としても、すべてが中途半端だ」
反論の余地はなかった。
シオンの流麗な剣技と召喚獣との連携は、今の自分とは次元が違う。魔法と剣の力、その両方を持ちながら、結局どちらの頂にも手が届かない自分の現実を、見事に突きつけられた形だった。
「……っ」
アベルは欠けた鋼のナイフを強く握りしめ、ただ無言で唇を噛むことしかできなかった。
「王の血を引くだけの半端者め。足手まといになる前に、大人しく王城の奥にでも引き篭もっていることだ」
シオンはそれだけを言い捨てると、踵を返し、修練場から去っていった。
あとに残されたのは、粉々に砕け散ったシオンのダミーの残骸と、ナイフが途中で止まり、中途半端に傷がついただけのアベルのダミーだけだった。
吹き抜ける風が、アベルの悔しさを弄ぶかのように前髪を揺らす。
器用貧乏。半端者。
その言葉が、アベルの心を深く、重く抉っていた。自分の存在価値はどこにあるのか。偉大な英雄たちの血を引きながら、なぜ自分はこんなにも無力なのか。
手の中にある刃こぼれしたナイフを見つめながら、アベルは静かに、そして誰にも見えないように血の滲むような悔し涙を流した。




