第15話 初陣、半端な刃の煌めき
第15話 初陣、半端な刃の煌めき
フェザーン王都を出立して数時間が経過し、水陸両用魔導馬車は太陽が真上に昇る荒野のど真ん中をひた走っていた。
王都周辺の穏やかな景色はとうに姿を消し、ひび割れた赤茶色の大地と、奇妙な形に風化した岩山だけが延々と続く無機質な世界。そして何より、大気にうっすらと混じり始めた、肺の奥をチクチクと刺すような不快な空気こそが、この地がすでに魔界の瘴気に汚染され始めていることを示していた。
「……前方、岩陰から複数の熱源反応。来るよ!」
操縦席の魔導レーダーを睨んでいたベリアが、鋭い声で警告を発したのと同時だった。
進行方向にある巨大な岩の陰から、土煙を上げて数体の異形の獣が飛び出してきたのだ。狼に似ているが、体長は馬ほどもあり、全身の皮膚には瘴気にあてられた証である赤黒い斑点が禍々しく浮かび上がっている。凶暴化した中型の野良魔物の群れだった。
「ひぃぃっ! 出たぁっ!」
厨房で野菜の皮を剥いていたキップが悲鳴を上げて包丁を取り落とす。
「騒ぐな。たかが野良魔物の数頭、進行の妨げにすらならない」
居住区画の長椅子から静かに立ち上がったのは、シオンだった。
彼は一切の焦りも見せず、車体上部の戦闘用ハッチを蹴り開けて屋根の上へと躍り出る。吹きすさぶ荒野の風の中で白の軍服をはためかせ、腰の細剣を流麗な動作で抜き放った。
「私がすべて片付ける。足手まとい共は車内で大人しく震えていろ」
シオンは一切の詠唱を省き、空中の水分を一瞬で凍結させて無数の氷の礫を創り出すと、それを牽制として前方の魔物の群れへ放った。
氷の礫が魔物の顔面を打ち据え、怯んだ隙を突いてシオン自身が屋根から跳躍する。空中で身を翻し、重力と落下の勢いを乗せた完璧な一撃で、先頭の魔物の首をいとも容易く刎ね飛ばした。
着地と同時に次々と襲いかかってくる魔物たちを、最小限の動きと氷の魔法を織り交ぜた剣術で次々と血祭りに上げていく。彼が単独で戦場を支配する、天才ゆえの圧倒的な蹂躙劇であった。
しかし、シオンの戦術は個人の武力としては完璧でも、チームとしての視野が決定的に欠けていた。
彼が前方の敵を殲滅することに集中し、馬車から大きく離れたその一瞬の死角。
風下となる馬車の後方、身を潜めていた一際大きな魔物が、エンジン音に紛れて静かに跳躍したのだ。
魔物の標的は、換気のためにわずかに開けられていた後部厨房の窓。
そして、そのすぐ内側で怯えて震えている、無防備なキップの背中だった。
「グルルァァァッ!」
ガラス窓が粉々に砕け散り、凶悪な牙を剥き出しにした魔物の頭部が車内へと突っ込んでくる。
「えっ……あああっ!?」
振り返ったキップの顔が絶望に染まる。シオンは遥か前方で別の魔物と交戦しており、到底間に合わない。ベリアは操縦席から離れられない。
キップの細い首に、魔物の牙が食い込もうとした、まさにその刹那。
「我が肉体を器とし、その力を現せ……『疾風の鎌鼬』!」
車内に、空気を切り裂くようなアベルの鋭い詠唱が響き渡った。
アベルの足元に翠緑色の魔法陣が展開される。そこから現れた旋風を纏う鎌鼬の幻影が、真っ直ぐにアベルの胸元へと飛び込み、その肉体と同化した。
「ぐぅっ……!」
全身の神経を鋭い刃物で削られるような激痛。痛覚を持つアベルにとって、同化召喚は常に己の限界との戦いだ。しかし、親友の危機を前にして、アベルは奥歯を噛み砕くほどの気力でその痛みを完全にねじ伏せた。
痛みを乗り越え、アベルの肉体に中級魔獣の持つ圧倒的な『風の敏捷性』が宿る。
そして次の瞬間、アベルの右手に握られていた『フェザーンのナイフ』が、眩い銀色の光を放ち始めた。
アベルの肉体の内側を巡る風の魔力波長。それにナイフの特殊なミスリル合金が共鳴し、金属の軋む音と共に刀身が生き物のようにスライドしていく。
三十センチほどの短いナイフが、瞬く間にアベルの腕のリーチを補うような長さへと伸び、切っ先から翠緑色の風の刃を噴き出す『流線型の短槍』へと物理的な変形を遂げたのだ。
「シィッ!」
風の力を宿したアベルの肉体が、車内から弾丸のような超速で飛び出した。
常人の目には残像すら映らない神速の踏み込み。キップに魔物の牙が届く数ミリ手前で、アベルは魔物とキップの間に滑り込む。
アベル自身から魔法の風を飛ばすことはできない。
だが、己の肉体に宿した風のスピードと、それに呼応して変形した物理的な短槍の刺突があれば、それはどんな攻撃魔法よりも速く、鋭い致命の一撃となる。
「ハアァァッ!」
裂帛の気合いと共に、アベルは風の刃を纏った短槍を、魔物の分厚い外殻が覆う首筋へと渾身の力で突き入れた。
ガァァァンッ! と凄まじい衝撃音が響き、短槍に纏わせた風の力が一点に集中して爆発する。
強固な魔物の肉体が錐揉み回転しながら弾き飛ばされ、馬車の外の荒野へと勢いよく叩きつけられた。魔物は痙攣し、二度と立ち上がることはなかった。
「キップ! 怪我はないか!」
「ア、アベル……! お、俺、食われなかった……?」
へたり込むキップの前に立ち、アベルは短槍から元のナイフへと戻っていく武器をスッと鞘に納め、息を吐き出した。
「ああ。少しでも遅れてたら危なかったけどな。……やっぱり、このナイフは最高だ」
アベルは自身の右手を握り、開いた。
天才のように無傷で遠距離から敵を倒すことはできない。だが、仲間の危機に瞬時に対応し、己の肉体に痛みを伴う力を降ろし、状況に合わせて武器を変幻自在に操る。
それが、伝説の鍛冶師の言葉を胸に、彼自身が見つけ出した「器用貧乏」の到達点であった。
前方で残りの魔物を全滅させていたシオンは、血振るいをして細剣を納めながら、馬車の後方で起きた一連の出来事を驚愕の目で見つめていた。
自分の死角を突かれたことへの焦り。そして何より、あれほど半端者だと見下していたアベルが、自分のミスを完全に補い、驚異的な速度でキップを救い出したという事実。
あの時、もしアベルのカバーリングがなければ、特命部隊は初陣にして重要な要である料理人を失い、崩壊していただろう。
「……シオン! 前方は片付いたか!」
窓から顔を出したアベルが叫ぶ。そこにはシオンを責める色など微塵もなく、ただ純粋な仲間への信頼だけがあった。
「……フン。誰に物を言っている。私の前方に敵など残るはずがないだろう」
シオンは複雑な感情を無理やり冷たい表情の下に隠し、フイと顔を背けて屋根から車内へと戻っていった。
「よし! 障害物排除完了だね! あんたたち、しっかり掴まってな! 一気にこの荒野を駆け抜けるよ!」
操縦席のベリアが豪快に笑い、再び魔導エンジンの出力を全開にする。
水陸両用魔導馬車は、魔物の死骸を巨大な車輪で強引に踏み越え、さらなる速度で荒野を突き進んでいく。
半端な王子が示した、確かな刃の煌めき。
それは傲慢な天才の心を僅かに揺らし、臆病な料理人に勇気を与え、豪快なドワーフの背中を力強く押した。
バラバラだった四人の若者たちが、初めて一つのチームとして連携の兆しを掴んだ瞬間であった。
車窓を吹き抜ける熱い風が、彼らの前髪を激しく揺らす。
王都の平和な空気はもうどこにもない。どこまでも続く荒涼とした大地の地平線の彼方には、大魔王の軍勢が支配する真の絶望と戦いが、今か今かと彼らを待ち受けている。
次世代の異端児たちによる、世界を取り戻すための壮大な叙事詩が、ここから本格的に幕を開けるのであった。




