二人の幸せ
シノブとマリのごくありきたりな生活は、水晶によってもたらされている。
最初はあまりにも物事が上手く運ぶので、警戒していた。
マリがまた倒れるんじゃないか。
シノブがまた看病生活を強いられるんじゃないか。
でも、そんな心配事は、十日もすれば「気のせいだよね」と笑ってあしらえるようになった。
「本当に、私ったらどこが悪かったんだろうね?」
あの水晶を買ってから二ヶ月が経過して、マリは完全に病む前の状態に戻っていた。
主治医は首を捻るばかりだったし、「そんなはずはない」と驚愕してもいた。
「誤診だったのかもしれない」とまで口にしており、マリもシノブも医師に申し訳ないという気持ちを持つようになっている。
「俺達、悪夢でも見てたのかもな」
「だとしたら、長く見ていたくない夢…だったね」
病病に臥していた頃のマリは、シノブの花嫁という夢を、心のどこかで諦めていた。
それどころか、死期が近いことまで知っていた。
それなのに、今はどうだ。
呼吸をしても苦しくないし、発作も起きなければ発熱もしない。
こういう体を、いわゆる「健康体」と呼ぶのだろうなとも思う。
「あ!でもね、シノブ?私がよくなったからって、仕事で手抜きなんてしないでね?」
「俺が手抜きをしたことなんて、あったっけ?」
「あったよ!私の看病をするからって、平気で一週間くらい店を閉めてたこと、忘れてないよ?」
そんなこともあったかと、シノブは穏やかに笑う。
そんな彼につられて、マリも優しく笑う。
マリはダイニングテーブルの上にあった水晶を手に取り、愛しむように指先で撫でた。
「この不思議な水晶のお陰…でいいのかな?」
「あ、ああ…多分…」
「金色の光が見えるんだけど、これは何だろう?」
その問いに、シノブは答えなかった。
恐らくは魔力だと思うのだが、言ったらマリが水晶を手放してしまいそうで怖いのだ。
「何だろうな?案外、ご利益があったのかもしれないって思わないか?」
「ご利益?」
「マリの健康と、僕の商売繁盛だ」
そう言うと、マリはまたにっこり笑った。
「それって、すごいね。まるで私達のためにある水晶だね」
屈託のない笑顔を見た瞬間、シノブはこの水晶を絶対に手放すまいと心に決めた。
『真実を知るために魔力を使うあなたを、誰が嫌うというのです?』
先日、真実を調べたら嫌われてしまうと口にしたリュクサに対し、ノエルがこんなことを言ってくれた。
その言葉で、リュクサは失っていた自信を取り戻し、まずはシノブの恋人の名から探ってみようと、魔力を飛ばす。
ノエルはと言えば、もちろんリュクサの隣で成り行きを見守ってくれている。
「マリ…マリ・トクナガ」
「それが、コウサカさんの恋人の名ですね?」
「ああ。そうだ」
そして、リュクサはかなり深くまでマリの状態を観察する。
瞼の裏に移るマリは、どこからどう見ても健康体だった。
朝起きて、朝食の準備をして、シノブと食べ、それが終われば水晶を磨く。
今、マリの体に流れているのは、回復魔力だった。
あの魔力は、魔力に触れた時間が長ければ長いほど、魔力の効き目が早く出る。
「マズい…」
「リュクサ…?」
「マリさんの魂の情報が…もう、書き換わっている…」
なんてことだと、ノエルは額に手を当てる。
リュクサの体調に合わせて少しずつ魔力を使ってきたつもりだったが、まさかあの死病が僅か二ヶ月で回復するとは思ってもみなかった。
「すまない、ノエル…俺の判断ミスだ」
「いいえ、私も迂闊でした。魔力を少し侮っていたようです」
すると、リュクサは一旦魔力を閉じ、膝の上に両肘を乗せて前傾する。
「俺達には時間がない…」
「俺達、ですか?」
「違うのか?」
そう言われるとノエルとしても弱い。
はっきり言ってしまえば、ノエルはただの専属医であり、デスルーラーではない。
だから魂の情報が書き換えられていても、リュクサが追い込まれるのは嫌だが、ノエル自身に直接何か被害が出るというわけではなかった。
「私は、あくまでも使用人の一人ですから」
「だから、何だ?」
「ですから、あなたと同じく括られるのは、心苦しいと言いますか…」
そこでリュクサは体を起こし、切なくも儚い笑みを見せてきた。
同じ男性であるノエルですら、胸が締め付けられるような、困ったような笑顔だ。
「俺と同じに括られる覚悟が、あなたにはないんだな、ノエル」




