勘違い
『俺と同じに括られる覚悟が、あなたにはないんだな、ノエル』
あのセリフを言った瞬間居ても立ってもいられなくなったリュクサ。
急いで出かける準備をすると、ノエルに「夜までには戻る」と言って家を飛び出してきた。
「仕事は!?」という言葉が背中を追ってきたが、立ち止まることはない。
リュクサが向かったのは、アステルが勤務する貿易会社の隣にあるカフェだった。
アステルには一応メールを入れておいたが、勤務中の彼が来るか来ないかはわからない。
来なければ、ほとぼりが冷めるまでここで時間を潰すつもりだ。
「使用人の一人、か。考えたこともなかった…」
一人呟いてロイヤルミルクティーに砂糖を入れる。
そして攪拌しているところに、久しぶりに会うアステルがやって来た。
「リュクサ…突然どうしたんだ?」
「兄上、いきなりすみません…お仕事のお邪魔では?」
「気にしなくていいんだ。三十分だけ、外出許可をもらっている」
こうして、アステルと二人きりの時間を過ごすのは、いつぶりだろう。
いつしかノエルがいることが当たり前になっていた。
「ノエル医師と、何かあったんだね?」
「…わかり、ますか?」
「何があったんだ?」
リュクサは全てを話した。
父ルシアンの魔道具から父の魔力を感知したこと、その魔道具が今度は人体に甚大な影響を及ぼしていること。
アステルは途中魔道具の魔力抜きについて詫びてきたが、リュクサは特に何も言わなかった。
「それで、父上の魔道具…水晶を通して、マリさんの容体を知った?」
「ええ。もう、手遅れでしたが…」
マリは完全に元の肉体を取り戻していた。
遠隔で彼女の体を仔細に観察したものの、心拍も鼓動も、そして内臓の状態も、全て普通の人間のそれで、病の痕跡などどこにもなかった。
決してマリが死ぬということではなく、魔力を使って元の姿を手に入れた、という意味で手遅れなのだ。
ノエルはリュクサが飛び出して行った方向へと駆け出したが、彼の姿はもうどこにも見られなかった。
「夜に戻って仕事の続きなど、言語道断です…」
ただでさえ最近倒れてばかりなのに、この上夜更かしなど認められるはずもない。
だが、少々途方に暮れていると、ノエルを追いかける足音とともに、執事の声がした。
「ノエル様、お待ちください!」
執事は息を切らせ、膝に両手を当てて屈む。
「どうしました?」
「リュクサ様をお探しになるのですよね?そういう仕事は我々使用人にお任せください!」
「は…いえ、私も使用人…」
「ノエル様はリュクサ様の大切な専属医!私共と同じではありません。このことは、あなたをお迎えになる前に、リュクサ様からきつく言われておりまして…」
そうか、とノエルは思った。
以前アステルにも似たようなことを言われたが、自分のことを使用人だと思っていたのは、どうやらノエルだけだったようだ。
「あなたは、最初から私を対等な存在として括っていたのですね、リュクサ…」
それから、三十分後──。
アステルが仕事へ戻るというので、リュクサも兄に続いてカフェを出ようとした。
その時、入口の自動ドアが開き、困り顔のノエルが視線を送ってくる。
「リュクサ」
アステルに腕を小突かれ、リュクサは我に返る。
「ちょっと、怒っているのかな…?」
「兄上、あの顔は違います。多分、困っているのかと」
「随分怖い顔をして困る人なんだね、ノエル医師は?」
ノエルのことなら、リュクサは結構知っている。
怒った顔、困った顔、笑った顔。
ずっと一緒にいたから、彼の醸す温度ですらもわかっている。
「リュクサ、ノエル医師の覚悟が固まるまで、待ちなさい」
「兄上…?」
「僕の勘では、そう遠くない未来に彼は腹を決める。さあ、行って」
アステルにトン─、と背中を押されて、リュクサはノエルの前に躍り出た。
「ノエル、あの…」
「夜更かしは許しませんよ、リュクサ」
「は…?」
「あなたが倒れなくなるまで、仕事もプライベートも、私の監視下に置きます。いいですね?」
ノエルにガシッと腕を掴まれ、前のめりになりながら歩いて行くリュクサ。
でも、その顔には笑みが浮かんでいて、遠くで見ていたアステルは心から安堵した。
「ああ、リュクサがようやく笑った…やっぱり、あなたの威力は絶大なんですね、ノエル医師。ちょっとどころか、かなり羨ましいことです」
そう呟くアステルも、弟の笑顔を見たことで安心し、口元を綻ばせるのであった。




