愛される者
シノブ・コウサカが嵐の夜にノクティス家を訪れるずっと前から、リュクサの体調は不安定だった。
すぐに倒れるし、そうなれば数時間は目覚めない。
ノエルが専属医になったばかりの頃は、倒れてから目覚めるまでの時間は短かったのに、年々悪くなっているように感じる。
「これは、参りましたね…」
どの薬剤もリュクサに合わせて調合しているというのに、肝心な効き目が全く見られない。
専属医としては、看過できない事態である。
「ノエル医師、失礼するよ」
そこに入ってきたのは、ビジネスバッグを手にしたリュクサの兄であるアステルだった。
彼は四年前、リュクサの魔力の無断使用の罪に問われた。
その際、魔術師協会から魔力及び魔術師としての資格を剥奪されている。
だが、あの件の首謀者がリュクサの亡き父であるルシアンであったため、アステルはそれ以上の罪には問われなかった。
そして、彼は今、家督をリュクサに譲って家を離れ、港付近の貿易会社で働いている。
「アステル様、お忙しいところをお電話してしまい、申し訳ございません」
「構わないよ。こうでもしないと、なかなかリュクサと会う時間が取れないからね」
リュクサが心を許しているであろうこの異母兄は、数年前にリュクサの幼馴染であるアネモネと結婚し、幸せそうにしている。
「ん…ノエル…」
リュクサの声がしてノエルは振り向くが、彼は瞼を閉じたままだ。
今のは寝言だったのだろう。
「リュクサは本当にあなたに心を開いている」
「いえ、とんでもない…アステル様ほどでは…」
「はは、別に比較したいわけじゃない。でも、弟に理解者が現れて、僕は心底安心しているんだ」
アステルは本当にそう思っているようで、口元に笑みを浮かべたまま、リュクサの寝顔を見つめている。
「アステル様、実はリュクサが先日、妙なことを口にしました」
ノエルはどうすべきか迷ったが、こういう時こそアステルに問うべきだろうと腹を決めた。
「愛の重さを知らない、と」
「ほう、リュクサが?」
「はい。どういう意味だと思われますか?」
「…そうだな」
アステルは目を細め、昔を懐かしむような表情を見せた。
「リュクサは常に孤独だった」
「アステル様や、アネモネがいたのでは?」
アネモネは幼い頃からアステルに夢中だったし、アステルもまた彼女をとても可愛がっていた。
「僕達の間に、リュクサは入り込めなかった」
更にリュクサは母であるオリエを知らずに育った。
四年前に再会を果たしているが、彼女はエステリアという遠い地に住んでおり、リュクサが母と会えるのはせいぜい年に一度くらいのものだ。
「母の愛を知らず、父からは偽りの愛を受けた…更に兄はリュクサ以外の存在に心を奪われていた。こんな環境下で育ったリュクサが、愛の重みを実感できると思うかい?」
「それは…」
かなり難しいなとノエルが考えていると、アステルは少し苦い笑みを浮かべる。
「あなたが教えてやってくれないだろうか、ノエル医師?」
「私が…ですか…?」
「リュクサが人生で初めて自らの意志で欲しがったのが、あなたなんだ」
ただの専属医に、随分と重いものを背負わせるものだなと、ノエルは思う。
人生の全てを投げ打って、リュクサに尽くせと言われているかのようだ。
「即答しかねます、考える時間をください」
「ああ、ゆっくり考えてくれていい。あなたの人生設計を歪ませてしまう結果にもつながりかねないからね」
ノエルは小さく頷いた。
自分には大した人生設計などないが、心の準備が必要であることは否めない。
アステルが帰宅し、室内に二人きりになったところで、リュクサがゆっくりと瞼を開いた。
「リュクサ、気分はどうです?」
「ああ…最悪…だな」
今月に入って、もう何回倒れただろうと思いながら、リュクサは起き上がる。
特に、ここのところは倒れない日の方が少ないだろう。
「脈も心音も問題ありません、普段通りです」
「そうか」
リュクサは今一度布団に沈み込むと、天井を見上げた。
豪華なシャンデリアの煌びやかな輝きが、とんでもなく目に眩しい。
「ノエル、少し兄上とのやり取りを聞いてしまった」
「起きていたのですか、悪趣味ですね」
皮肉混じりに言ってやれば、リュクサは視線だけをノエルの方へ向けてきた。
「ノエル、俺はやっぱり愛の重みというものが知りたい。あなたに、教えて欲しい」
「それについては、アステル様にお時間をくださいとお願いしました」
「あなたが誰をどう愛するのか…そういうのを見れば、わかるのか?」
すると、ノエルは少し呆れたような顔を見せた。
「あなたは、私の愛を受けるのが、あなた自身だとは思わないのですか?」
「ッ!?」
「あなたは、愛されていい存在なのですよ、リュクサ」
その言葉は、リュクサの脳内にこの上なく大きく響き渡った。




