約束
シノブがノクティス家を訪れてから数日後、必死の看病の甲斐あって、マリは肺炎に至ることなく熱を下げた。
ここのところほとんど徹夜でマリの傍にいたシノブは、とりあえず危機を回避できたことに、安堵の息を漏らす。
「あいつら…本当にマリを見捨てやがった…!」
もしかしたら、ノエルが来てくれるのではと淡い期待を抱いていたのに、見事裏切られてしまった。
「専属医ってのが何だか知らないが、あいつは医師として腐り切ってる…!」
金髪に三つ編みのノエルの姿を思い出し、シノブは毒づいた。
「シノブ、どうかした…?暗い顔、してるよ?」
か細いマリの声が聞こえると、シノブは顔面に笑みを張り付けた。
「ああ、何でもないよ、マリ。心配させてごめん」
「いつもあなたを心配させてるから、お互い様よ」
マリはゆっくりとベッドの上に起き上がり、そのまま座った。
そして目を閉じ、今しがた見ていた夢を瞼の裏で再現する。
詳しいことはあまり思い出せないが、マリは確かに純白のウェディングドレスを纏っていた。
病気でやせ細っている自分ではなく、健康で少しぽっちゃりしていた自分だった。
「シノブ?」
「うん?」
「私ね、夢を見ていたの、真っ白いドレスを着て、あなたが来るのを待っていたの」
マリの夢には、シノブは登場していなかった。
けれど、自分が誰を待っているのかなんて、聞かずともわかりきったことだ。
マリの手を取るのは、シノブしかありえない。
だってマリの夢は、ずっと彼の傍で生きることなのだから。
「真っ白い、か。それってウェディングドレスだよな?着てみたいか?」
「それは、もちろん…着たくない人なんて、いないんじゃないかな?」
「じゃあ、着るか?」
「え…?」
シノブはマリの驚いたような顔を見つめ、傍らに置いていた水晶を目線に掲げて見せた。
それは照明の光を帯びてキラキラと光っており、マリは一瞬目を細める。
「マリ、俺はソウルヒーラーとしてもう一度やり直す。ここのところ、ずっと休んでいたからな」
「この水晶は、商売繁盛のお守りのようなもの?」
「そういうことだ。こういうのを使って、客を癒せたらいいんだけどな」
シノブが数日前骨董屋で買い求めた水晶は、今のところカウンセリングルーム内の装飾品になる予定だ。
「その水晶であなたの心が前を向くなら、それが一番だと思う」
「ただのカッコつけだって、笑わないのか?」
「ソウルヒーラーはあなたの夢よ、笑ったりしないわ」
デスルーラーが死した魂に裁定を下す存在であるのに対し、ソウルヒーラーは生きた人間の魂を癒す存在だ。
つまり、カウンセリングを受けにきた客に、安らぎを与えるのが仕事である。
死した魂には介入できないし、魔力を使ってカウンセリングを行うわけでもない。
実際は手相を見ながら、客が欲しいと願う一言を与えるのが目的だ。
「ありがとな、マリ。お前は俺の唯一無二の理解者だ」
「それはそうよ…だって、私は…」
そこまで言いかけて、口を噤んだ。
「あなたの妻になるんですもの」と言ってしまって、本当にいいのだろうか。
マリは自分の命がそう長くないことを、知っている。
誰に宣告されたわけでもなく、マリ自身が本能的に察しているのだ。
シノブの必死の看病を嘲笑うかのように、病状は日々悪い方向へと進行している。
そのことが、手に取るようによくわかる。
「マリ、まだ具合が悪いんじゃないのか?寝ていた方が…」
顔を覗き込まれると、マリは自分の思考に蓋をした。
自分はまだ生きているのに、死なんて考えをそう簡単に持つべきじゃない。
この世界には、生きたくてもそうできない人が多いと聞く。
だから、最後の最後まで病と向き合わなくては。
「そうよ、だって…私は生きてる…諦めてはいけないわ」
少しばかり俯くと、シノブの小指が視界に入り、弾かれたように顔を上げた。
「約束だよ、マリ」
「え、どんな約束…?」
すると、シノブは照れたように少しだけ俯き、やがてにっこりと笑った。
「お前には、最高のウェディングドレスを着せてやる」
「シノブ…?」
「だからさ、もっと元気出そうぜ。俺は俺にできることを必ずやってみせる。お前も病気なんかに負けるなよ」
マリはしばし瞼を伏せたが、やがてシノブに笑みを返した。
「わかったわ、シノブ。私、絶対に病気を克服する。指切りよ?」
そう言って、シノブの小指に自分のそれを絡めるのであった。




