愛の重さ
特級魔術師の専属医は、普通の人間を診察できない──。
医師や魔術師であれば常識だが、どちらでもないシノブは知らなかった。
特級魔術師とは何か、医師とは何か、専属医とは何か──。
そこから教えなければ、今いかに自分が無駄なことをしているかを、理解できないのだろう。
だが、リュクサは今のシノブには何を言っても通用しないとも考えている。
「申し訳ないが、コウサカさん」
リュクサが静かに口を開く。
「お前は黙ってろよ!俺はな、ヴァレンティス医師と話してるんだよ!」
「ノエル・ヴァレンティスは俺の専属医だ。誰にも傷つけさせない」
ノエルはひたすらリュクサの背中を見つめていた。
何かが、おかしいという気がする。
いつものリュクサとは違い、強く断定的な言葉を使っている。
ノエルの関心は、最初はシノブに向けられていた。
だが時の経つにつれリュクサの口調が変化を見せるようになると、今度は彼から目を離せなくなった。
そこでシノブは更に怒鳴る。
「命の重さを知ってるなら、命から逃げてんじゃねぇよ!!!」
リュクサは眉をしかめた。
シノブの言いたいことは、痛いほどによくわかる。
大切な人が命の危機に瀕しているというのに、医師だったノエルが動こうとしないのが、もどかしくて仕方がないのだろう。
リュクサだって、ノエルが普通の医者なら「行ってやれ」と背中を押したかもしれない。
「回復の可能性があるなら、全力で助けに行く!医師ってそういうもんだろ!?」
間違っていない。
まったくもってその通りだ。
だが、ノエルは今、肝心なものを持っていない。
「ノエルには医師免許がもうない」
「は…?」
「どれほど優秀でも、免許がなければただの人間だ」
唖然とするシノブ、メガネの中央を指で押し上げるノエル。
「特級魔術師の専属医となるためには、医師免許を捨てなければなりませんでした。ゆえに、どう逆立ちしても私には協力できないのです」
シノブはこの事実を受け入れられないというように、ダンダンと床を踏み鳴らした。
彼の服に付着していた泥が、床の上に新たなシミを作っていく。
「じゃあ、あんたらは俺に、目の前でマリが死んでいくのを黙って見てろってのか!?」
「そういうことになる」
リュクサの声はどこまでも冷たく響き、ノエルはおかしいと感じた。
彼は基本的には無口であり、饒舌に言葉を並べる人間ではない。
だが、ノエルの知るリュクサであれば、ここで一言くらい詫びていてもおかしくはない。
「お引き取りください」
リュクサの冷徹とも聞こえる声に気圧されて、とうとうシノブは怒鳴るのをやめた。
ようやくシノブを追い返すと、ノエルは自室に引き上げた。
『じゃあ、あんたらは俺に、目の前でマリが死んでいくのを黙って見てろってのか!?』
彼の言葉が、脳内で何度も何度も再生される。
できることなら助けてやりたかったが、死病とも言われる難病から、シノブの恋人を救ってやれるだろうか。
「いいえ、無理です。あの病に完治はありません…」
それから、気になっているのはリュクサの物言いだった。
些細な変化なので、気のせいと言われればそれまでだが、何となく心に引っ掛かる。
「ノエル、少しいいか?」
思考に耽っていると、リュクサが部屋に入ってきた。
「構いませんよ、どうぞ座ってください」
「…最近の俺は、ちょっとおかしいんだ」
「例えば、どのように?」
リュクサはノエルのベッドの端に腰掛けた。
「自分でもよくわからない…気づくと強い言葉を使ってしまっている」
自覚があったのかと、ノエルは片眉を吊り上げた。
「態度も…尊大になっている」
「それは、成長というものです。今までのあなたなら黙っていたでしょうに、こうして私に話してくれている。それだけでも、大きな変化だと思います」
ノエルの言葉に、リュクサはハッとしたように顔を上げる。
「それは、いいことなのか?」
「人なら誰もが経験することです。少なくとも、私は悪いことだとは思いません」
多分そういうことなのだろうと、ノエルは思っている。
むしろ、今までのリュクサが少し大人し過ぎたのかもしれない。
「それから、もう一つ…頼みたいことがある」
「どういったことでしょう?」
「俺は、愛の重さを知らない…だから、コウサカが恋人のためにあんなに熱くなる理由が、俺にはわからないんだ。ノエル、俺に愛の重さを教えてほしい」
リュクサには、愛し愛された経験がないのではないかと、ノエルは漠然と思った。
「無理に知るものではありません。成長の過程で自然と理解するものですよ」
「でも、知っておきたい。大切なことだと思う」
「それがわかっているなら、それでいいのです」
ノエルはリュクサの傍まで移動すると、そっと艶やかな黒髪を撫でた。




