25-2
臆したところのない敬意ある言葉に、国王が深く頷いて応じる。
「よい。立ちなさい」
その言葉に第三王子が、えっ? という顔で父を見た。
彼は、父王がさしたる驚きもなくその娘を迎えたことに動揺した。
娘が槍を手にしているにもかかわらず、謁見の間に立つ衛兵も、国王のまわりにいる近衛騎士も身じろぎもしない。
「陛下……? この娘はこたびの騒動の一因ですよ……? 今すぐ捕え、処罰なさるべきです! お前たちはいったい何をやっている!?」
第三王子はエルフリーデを指さし声高に主張し、続けて衛兵や近衛たちを怒鳴ったが……。
その声に振り向いた娘の鋭いまなざしに、男はうっとたじろいだ。
「な、なんだ、何を見ている! じろじろ見るな無礼者!」
「……第三王子殿下、わたしを襲った者たちは、すでに第四騎士団に身柄を拘束されております」
高慢な拒絶を見せていた男は、その静かな報告に目を剥いた。
彼がこの娘を捕えようと手配した刺客たちは、彼の配下の中でも指折りの戦士たちである。多勢に無勢を考えても、小娘と、たかだかその兄一人に退けられるような者達ではない。
しかしエルフリーデは淡々と続けるのだ。
「いくら腕が立とうとも、城下でわたしたちを拉致するなど不可能です」
「な、何を……」
「わたしたちは、城下を預かる第四騎士団。城下は小さな路地や水路の奥まで知り尽くしております。たとえ相手が一軍ほどの多勢でも、闇夜の中でも、不埒者に後れを取るようなことは絶対にありません」
不可解そうな男に突きつけられたのは、静かな気概だった。
これまで彼女たち第四騎士団は、一丸となって城下を守って来た。
路地は言うまでもなく、町に巡らされた水路すら、時には敵の侵入経路や悪党どもの根城となりうる。
それを防ぐため、日夜流汗をいとわず地道に城下に目を光らせてきた。
そんな地の利がある彼女たちに城下で勝とうと思えば、どんな猛者でも相当な計画と努力が必要だ。
エルフリーデは改めて第三王子を見据える。
「いかがなさいますか。ここに、捕えた者たちを連れてきて御覧に入れましょうか?」
その申し出には第三王子が床の上で真っ青になっているが、それでも男は強硬な態度を崩さなかった。
まだ勝算はあると思っていた。
配下たちはよくよく言い含めてある。皆、彼に家族の命を握られた者たちばかり。何があっても口は割らないと。
何より高飛車な彼は、誰かにやりこめられることなど我慢がならないのである。その相手が、政敵と見なす王太子に連なる者であれば余計である。
「な、何を言っているのかわからないな。それよりも! おい《神託の花嫁》! 貴様のせいでアクスル・クヴァントが死んだぞ! 貴様は王太子の期待を裏切り、クヴァントを死に至らしめた。あやつは兄上の大切な補佐官だ! どう責任を取る⁉」
「……」
その言葉を叩きつけられたとき……感情を状況から切り離していたエルフリーデの中には、身を裂くような不安が浮上する。
本当は、今すぐ彼のもとへ駆けつけたかった。
けれどもエルフリーデは、静かに瞳を閉じる。
(……恋情とは、なんとも御しがたい……)
目の前には君主と敵。
国家の土台を支える組織に身を置く彼女は、感情に振り回されている場合ではない。
そうとは分かっていても、邪まな者に彼の死を口にされると、のたうち回りたいくらいの苦痛が身を襲う。
些細な言葉でも、彼の不幸は耳にしたくもない。それを口にする輩など、今すぐ叩きのめしてやりたいが……。
敵の言葉に翻弄されるわけにはいかなかった。
エルフリーデは、手のひらの中の愛槍の柄を固く握る。
彼女が鍛えてきた槍術は、大切な者たちを守るために積み重ねられてきた。私怨を晴らすためのものではない。
エルフリーデは伏せたまぶたの裏にその姿を浮かべて、信じよ、と、厳しく命じる。
息を深く吸い、胆力で激情を殺し、ただ真っ直ぐに、彼女たちの真心を踏みにじろうとする男を見据えた。そうして現れたのは澄んだ視線。
激しい感情を漉して現状に集中しようとする鋭いまなざしは、歪みなく己の敵に向かう。
きっと彼女の敵は、その平静さの奥に狂おしい感情が潜んでいることなど、気がつくことはないだろう。
「……もし、あの方が亡くなったというのなら、わたしはあの方を死の淵に追いやったものを命をかけて討ちます」
とたん、第三王子が顔を歪めて噴き出した。
「勇ましいのは結構だが、やはり武人だな。どうやら少し頭が足りぬらしい。死者に憑りついていた呪いをどうやって討つというのだ?」
「……」
愉快そうに肩をゆする男を、エルフリーデはじっと見つめていた。まわりでは、この発言を聞いた近衛や衛兵たちの間にピリリとしたものが走ったが、彼は一向に気がついていない。
おそらく近衛たちが感じていたものは、エルフリーデと同じだろう。
──失望。
この貴人は、彼女たち武人が支える王家の一員であるはずなのに、国民が彼らに心から求める慈愛など、ひとかけらも持ち合わせてはいないらしい。
言動は高い頂から地を見下ろしているようであり、エルフリーデの心からの言葉も届くような気が少しもしない。
他者の必死な気持ちも、国家への献身も、自分のためにならいくらでも踏みつけていいと思い込んでいるようだった。
それを悟ったエルフリーデは、王の前に折っていた膝に、ぐっと力をこめた。
悠然と立ち上がり、片手で握っていた長槍を持ち上げる。
美しいまでに砥がれた切っ先は、国王の前でその息子の眉間にひたりと狙いさだめられた。
「⁉」
とたん第三王子が唖然としてのけ反った。
よもや父の城の中で、王の息子であり、王子である彼に、刃を向けるものがいるとは思いもしていなかったのだろう。
いや、そもそも盾となるものが大勢いる彼は武術の鍛錬以外では、それを向けられたこともない。
その恐ろしさも、それを向ける者の覚悟も知ることのない男は、ただただ憤怒。
自分に歯向かおうとする反逆者に、正当なるものとしての怒声を上げる。
「貴様……陛下の御前で正気か⁉ わたしを誰だと……無礼だぞ!」
けれどもエルフリーデが槍を下ろすことはなかった。しっかりと握られた槍は、揺るぎなく構えられたまま。
「無論、私は正気です。殿下、あなたは知るべきです。いかなる高貴な身分でも、罪あらば償うべきと」
「いったい何のことだ! 臣下の家柄のくせに王子に言いがかりをつけるとは……!」
「いいえ。あなたがわたしに誓わせたのです。アクスル様を害するものを討つようにと。──ゆえに、わたしが討つべきは殿下です」
エルフリーデの目に迷いはなかった。
そこに揺るぎない決意を感じた第三王子は、ここにきてやっと彼女の本気を悟って絶句。とたん湧き上がって来た恐怖に、すぐに助けを求めるように後ろを振り返る。
「陛下! この頭のおかしな女を捕えてください! アクスルの死を知って自棄になっているに違いありません!」
しかしその訴えに、王座の父は応じなかった。
国王は、息子をただ悲しげな目で眺めている。
「ち、父上……?」
その沈黙に不吉なものを感じたらしい第三王子は、困惑のまなざしで父を見る。
彼の視線を受けた国王は、まずはため息し、「……息子よ」と、かすれた声を絞り出す。悲しみをこらえ、覚悟を決めたような響きだった。
「わたしはすでに、お前たちの企みを知っている」
「は……? な、にをおっしゃって……た、企み、とは……?」
一瞬にして背筋を硬直させた第三王子の声は上ずっている。まさかそんなはずは、という彼の動揺を、その場にいた誰しもが感じたことだろう。
息子の白々しい問いに国王はさらに胸を痛ませながら、ゆっくり噛んで含めるように告げる。
「お前が、お前の私室で、配下に命じたすべてだ……」
愁いを帯びた返答に、第三王子の顔はざっと真っ青になった。肩を凍らせ、唇を戦慄かせる息子を見て、国王は頷き、幼子を諭すように続ける。
「そうだ……わかったか? お前が解呪士の孫を捕えてアクスル・クヴァントに毒を盛らせよと命じたとき、この者を配下に襲わせろと命じたとき……そして大臣たちに扇動を命じ、王太子を陥れようと話していた……あのときの話のすべてをだ!」
そう言葉を吐き出した王の顔は、大いなる苦渋に満ちていた。君主のつらさと、悲しい親心の両方がうかがえ、板挟みになった姿は誰の目にも痛々しい。
しかしそんな悲痛な父に、第三王子は血の気の引いた顔で、「……なぜ」と、漏らし、その場から一歩よろめくように後退る。
すっかりうろたえオロオロと父を見る息子の姿に、国王はこぶしを握り、それを王座の肘置きに押し付けて必死で憤りを堪えているようだった。
第三王子のようすは、先ほどエルフリーデが見せた平静さとは雲泥の差。
息子への失意に、怒りと悲しみで言葉を失くした君主には側仕えと近衛が気遣うように寄り添い、王に代わり、エルフリーデが自身の兄から聞いた事の次第を第三王子に語りはじめる……。




