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魂の抜けたような顔で凍り付いた男を見て、おやとエルフリーデ。
アクスルの顔は真っ赤である。やはり少々強引過ぎたようだ。
(アクスル卿の小鹿のハートには、少々負担が大きかったか……申し訳ない……)
やや反省したエルフリーデではあったが、彼女はもうなんとなくわかっている。
彼は、自分のことを嫌っているのではない。むしろ、好かれているはず。
ここ数日でアクスルが自分にしてくれたことや彼の態度を見れば、それはおのずと伝わった。
(……でも、いきなり口づけは順番をあやまったかもしれないな……)
エルフリーデは恋愛ごとには疎いが、その辺りに詳しい四兄レオンによれば、『恋愛において、手順は結構大事』とのこと。
『……俺、相手の気持ちをはっきり確かめないで、ひっぱたかれたこと結構あるぞ。でもさ、『言わなくてもわかってよ』とか、結構難しいんだよこれが……』
『でも、順番を守ってれば、結構相手は納得してくれるよ。こっちから先に好意を伝えて、尽くしまくるとか。その後告白だろー?』
『でもな……優しくしまくっても『強引なほうが好きだったのに』とか『刺激がなくてつまんない』とか言われたりもすることもあるから気をつけろ……』※哀愁
『……、……、……結局どうしたらいいだそれは……』※困惑
男女の恋の駆け引きになど無縁できたエルフリーデには、正直レオンの言っていることは難しかった。
ただ、一つ分かったのは、恋愛には時には押しも必要だということ。その教え(?)は、現在アクスルに逃げまくられている彼女の心情には、しっくりきたわけなのである。
ゆえに今回、彼女は彼との結婚を決断し、強引にでも行動してしまおうと思った。
ただキスは、本当ならば、結婚の届けが完了してからするつもりであった。
四兄の教え通り、きちんと順序を守って、アクスルの了解を得てから。
……でも、あのとき。
アクスルが、彼女の後ろにいた男を見たとき。
彼の琥珀の瞳には、はっきりと嫉妬が浮かんだのである。それは、彼の冷徹に見える容姿に見合わぬ激しい炎だった。
その炎を見た瞬間、エルフリーデの胸の中には一気に愛しさが膨らんで。
気がつけば、彼女は堪らず彼に唇をよせていた。
そのときの衝動的な自分を思い出すと、さすがのエルフリーデも恥ずかしくて頭が焦げそう。顔もぽっぽと熱いし、身はそわそわしてしまう。
でも、と、彼女は胸に手を当てて己をなだめる。
(いかん……冷静にならねば……)
エルフリーデは、己の熱くなっていく一方の熱を懸命に振り払う。
彼女は何も、自分の欲望のままに彼に迫りたいわけではないのである。
すべては早急に、アクスルの呪いを解くため。
自分を救ってくれて、アンナのことも気にかけてくれた彼と、その主アントンを、今度は自分が救うためである。
そもそもの話、エルフリーデはあまりくよくよすることに向いていない。
こうと決めたら、そこに向かって一直線という性格で。いつまでも、アクスルに好かれているのだろうか? 嫌われているのだろうか? と、悩み続けるのは性に合わなかった。
ゆえに、今日またアクスルに逃げられた彼女は、自問し、どうすべきかを考えた。
そうすることで、自分には、確かにアクスルを好きな気持ちがあると自覚し、行動を決断。
ずっともやもやするくらいなら、とにかく状況を打開するために動きたかった。
ゆえの、この強行策。
……もちろんこの先、彼が本気で自分を嫌がるのなら、どんなに苦しくとも宣言通り離縁はする。
これまでのアクスルの行動、そのまなざしから、彼は自分を嫌いではないと思う。
ただ、貴族の結婚はかなり複雑。
政治や家門のために、どんなに好きな相手でも結婚はしたくないという事態も、ままありうる。
だから彼がそういった事情のために、自分でない誰かを愛するのなら、その幸せを祝福しようと思う。
(……大丈夫。彼の命の助けになれたなら、その事実が、わたしを慰めてくれる……)
──と。
まあ、殊勝に自分をなだめるが。ただし、その前にやるべきことがあるわけだ。
エルフリーデは、決意を胸にアクスルにニコリと笑顔を向ける。
「それで、どうでしょう旦那様。これで、旦那様は《神託の花嫁》を妻にしたことになるのですが……呪いは……解けましたか?」
しかし問いかけてみても、そばの長椅子の上にダウンしているアクスルからの答えはない。彼はただ真っ赤な顔で、天井を仰いでいるばかり。しばらくは再起できそうにもない。
その代わりに彼を傍らでしげしげと観察していた解呪士が、渋い顔で首を振る。
「どうやら書類上の婚姻では特に効果がないようですな……」
「なるほど……」
解呪士の言葉にエルフリーデも難しい顔。
……と、彼女と解呪士はいたって真面目なわけだが……。
ここだけの話、唐突な口づけでダウンした男を挟んで、真顔の二人が淡々と談議しているさまは、いささかシュール。まわりでこのようすをただ見守るしかない外野の人々は、なんとも言えない表情をしている……。
そんななか、まわりの微妙な空気をものともせず、エルフリーデが「分かりました」と、頷き椅子を立つ。冷静な面持ちで立ち上がった彼女は、傍らのアクスルを見つめながら、冷静なる宣言。
「では、次は初夜ですね」
「⁉」
平然と言い渡された瞬間、長椅子の上でぐったりしていたアクスルが、ギョッとして跳ね起きた。
まるでバネ人形のように跳びあがり、信じられないものを見る目でエルフリーデを凝視。
よもやこの場で愛しの女神の口からそんな言葉が出てくるとは思ってもみなかったのだろう。身体はわなわな震え、顔は熟れ過ぎの果実のよう。
その顔を見ても、エルフリーデはやはり真面目に言うのである。
「お命がかかっております。ここはサクサク進んでまいりましょう」
いろいろ試しましょうね、と。
推しに微笑まれた男の心境は、いかばかりだったことか……。
そんなふたりを蚊帳の外から見ていた人々は、ただただエルフリーデの頼もしさに惚れ惚れするばかり。
アントンが恍惚と言った。
「すごい……すごいぞ……なんという女傑。《黒女神崇拝会》などという恐ろしげな後援組織の名を聞いたときは何かの冗談かと思ったが……はぁ……確かに仰ぎたくもなる……」
「怒涛の展開ですね……素晴らしい、ええとても素晴らしいです」
「いやぁ我が妹ながら潔い。父上はともかく、ここに来たの、俺と冷静なライノア兄貴でよかったよ。エルのあんなところを見たら、グリゴア兄貴は卒倒するだろうし、レオンは喜びすぎて絶対黄色い悲鳴を上げてうるさかった。連れてこなくて正解だったな。ははは」
「「……、……、……」」
エルフリーデの三兄マイルズは、笑いながらロリーの言葉に応じ、父と次兄の間でそれそれの肩を叩いている、が……。
同意を求められる父もライノアも、非情に複雑そうな表情が重苦しい。
どうやら彼らは末娘の突然の結婚にはいろいろと思うところがありそうだ……。が、何にもわかっていなさそうなマイルズは、ただただ能天気。
その三名を背後から眺めていたランセル師は、不安そうなため息をこぼしている。
(……アクスルよ……前途多難だな……)
ちなみにだが、結婚登記所の書類に、エルフリーデ側の証人としてサインしたのは、このランセル師と、第四騎士団の副団長である。
そして彼らと同じく急に王城に呼ばれて、息子の婚姻を見届けることとなったアクスルの母は、『いいものを見せてもらったわぁ』とか言いながら、実に愉快そうに帰っていった。
どうやら彼女は、息子の急な結婚にも特に異論はないようす。良くも悪くも放任なのであろう。




