22ー1 エルフリーデの結婚
補佐官室の前に立っていたのは、エルフリーデであった。
まるで、そんなことは許しませんよと言っているような強い口調に、アクスルは戸惑って立ち尽くす。
彼女はどうやら改めて髪も身も清めて来城したらしく、さきほど牢獄を出たばかりのときの姿からすると、とても身なりが整っている。
飾りのない足首までの白のワンピースに、頭には小花の髪飾り。どうやら薄く化粧もしているよう。こざっぱりとして、とても美しかった、が……。
そんな彼女に威風堂々見つめられたアクスルは──狼狽。
今まさに、地の果てまででも会いに行き、愛を請おうと奮起したその人が、こうして思いがけず自分の前に現れてくれたことには、やる気がつんのめって転倒。思考も感情も、まだ状況にみじんも追い付いていない。
喜びよりも先に驚きが立ってしまって。気持ちのやり場がなく呆然。
(エ、エルフリーデ様……?)
視線でどうしてここにと訊ねるも、エルフリーデの瞳はどこか冷徹。
やけに圧強めの視線で返されてアクスルは怯む。
先ほど牢獄前で出迎えた時、彼女はこんな様子ではなかった。
突然の対峙に恐々としている周りの者たちに見守られながら、男は必死で考えた。そしてハッとする。
(……もしかしなくても……怒っていらっしゃるのか……?)
心臓が、ヒヤリと冷たい何かになでられた気がした。
……無理もない。
牢獄を出た彼女を、王城まで連れてきたというのに、その後はオリスの一撃に沈み彼女を放っておいた。……いや、もちろんそれは、彼女のそばに、彼女の兄が付き添っていることを知っていたがゆえのことではある、が……。
アクスルの顔からは、再び血の気が引く。
(そういえば……ご挨拶もしなかった……………………)
思い出したアクスルはたじろぐ。
彼女は牢獄内にいたときは、間違いなくつらい思いをしたはず。……にもかかわらず、彼女は、彼が牢に押しかけたとき、迷いなく呪いに立ち向かってくれた。
その恩恵に、できうるかぎりの感謝を伝えるべく働いたつもりだが……きっと礼も、まだ足りてはいなかったのだ。
(⁉ ⁉ ……っ⁉)
アクスルは、全身にどっと冷や汗。(※そんなアクスルを見て、背後ではアントンとロリーが、あぁ……またか……と、頭を抱えている。)
(く、供物──献上品だ……‼)※混乱中の信者思考の爆発。
(い、いや、もしや……お持ちしたものがお気に召さなかったのでは⁉ それともわたしの崇め奉り方が不足していた……⁉ ? まさか──……わたしに失望なさったのか……⁉)
……若干、偏愛がおかしな方向へ向かおうとしているが……それはともかく。
慌てに慌てたアクスルは、ここで自分を高圧的に見据える想い人の後ろに、見慣れぬ男が立っていることに気がついた。
アクスルより少し年上だろうか。柔らかな亜麻色の髪に、目鼻立ちの整ったにこやかな男。彼女に付き従うようにして現れた、その身なりのきちんとした正装の紳士を見て、アクスルは動揺。
エルフリーデが白いワンピースを着ていることもあって、二人は並ぶとまるで新郎と新婦のようである。
この光景には、反射的に身体が動く。
「っえ……?」
次の瞬間、彼の前に立っていたエルフリーデが驚いた顔をした。
アクスルの手が、彼女の手をしっかりと握っている。
強く引いて男のそばから遠ざけると、彼女の空色の瞳は丸く見開かれた。
この男は、あなたのなんですか⁉ と、問いたいのに。喉が開かずもどかしい。その苦しさにあえぎながら。苦悶も露わに腕の中の彼女を見つめると、ふいに、彼をジッと見上げていたエルフリーデが、言った。
「──わたし、結婚いたします」
「⁉」
その瞬間、アクスルは目の前が真っ暗になった。恐れていたことが起こってしまったと思った。彼はこの驚愕に、失意するよりも先に嫉妬に駆られる。苦痛の広がった男の顔が、エルフリーデと共に来た紳士に向けられる。と、同時に、すっかり頭に血が上り熱くなった彼の頬に、するりと何か……ひんやりとした感触が。
えっと思ったとき。その感触は彼の首筋をすべり降りて、首裏にそえられた。……かと思うと、アクスルは強く前にひきよせられる。
突然のことに、男は目を白黒させた、が……気がつくと、その唇にはやわらかいものが触れていた。
「──……?」
一瞬、何事が起こったのか分からず、アクスルはぽかん。
その瞬間、周囲で驚嘆の声が幾重にも上がった。
アントンやロリーが目を丸くして彼らを見ている。
そのそばには、先ほどの男に加え、エルフリーデの父と次兄と三兄の姿もあった。さらにはランセル師や、第四騎士団の副団長、王太子派の一人の大臣、おまけになぜかアクスルの母ウルカまでもがそこにいた。皆、かたずをのんで彼らを見ている。
呆然と、不可解な観衆たちを見て──ここでやっと彼は事態を呑み込んだ。
「っっっ⁉」
彼の腕の中にいたエルフリーデが、アクスルの首の後ろに手を回し、彼をひきよせるようにして口づけていた。
頬に彼女の鼻先が触れている。閉じられた瞳を縁取るまつげもあまりにも近く、アクスルは、思わずその艶やかさに絶句。鼻腔には彼女の香りが濃厚に感じられ、あまりの甘さに息が止まる。
これまで必死で守って来た聖域。
そこに踏み入ってしまった冒涜感には叫びさえしたくなるが……それ以上に彼を圧倒したのは、彼女に触れた瞬間に襲ってきた、己の中からほとばしるような熱。時が止まったようにすら感じるのに、精神のなかでは甘美なる愛しさの嵐の翻弄されるよう……。
とてもではないが……受け止められなかった……。
「……、……、………………」
アクスルは凍り付いて魂が抜けたような顔。
……と、ここで瞳を閉じて彼に口づけていたエルフリーデが、まぶたを開き、彼を見た。
一瞬アクスルを視線でさっと観察していった彼女は、ふむという顔。
「よし」
(……、……、……)
呆然と固まった男の前で、エルフリーデは凛々しく何かに満足したようす。……まわりでは、王太子やロリーらが、……ん? という表情。
(よ、よし……?)
(え? よし? よしって……何……?)……と。あたりに困惑が広がる中、いたって平静なエルフリーデは、短くある者を呼んだ。
「解呪士殿!」
「はいはいはい」
彼女の呼びかけに応じ、廊下の扉の影からさっと室内へ入ってきた老解呪士は、心得たように固まったままのアクスルのそばへ歩みより、彼の首を確認。
「……どうでしょうか?」
「ふむ……呪いはまた縮まってはおりますが、解けてはおりませんなぁ」というか、と、老解呪士はエルフリーデに真顔で言う。
「卿の動悸がものすごいです」
「! 呪いのせいですか⁉」
エルフリーデは不安そうにアクスルを見ているが。
誰しもが思っただろう。
(いや……絶対あんたのせいだよ)と。




