21-2
「え?」
「だーかーらーさー。今日は帰ったほうがよさそう……」
アンナとの面会後。廊下で待っていてくれたはずのアクスルが見当たらず、不思議に思ったエルフリーデが彼を探そうと歩きはじめた時のことだった。
相変わらず子犬を抱いたままのマイルズに引き留められて、エルフリーデは戸惑った。
兄は困ったような顔で続ける。
……なんだかやたらと目を泳がせながら。
「アクスル卿はちょっと……えーっとお仕事? が、あるみたいだ」
あのディルクらへの拷問の一件以来、すっかり親しくなったアクスルの従者から、何かを聞いてきたらしい三兄はやや言いづらそうな顔。気まずさを誤魔化そうとするように、落ち着かぬ手がずっと腕の中の子犬をなでまわしている。
「え……だが……」
エルフリーデは、今、ぜひにでもアクスルと会いたかった。
彼女はまだ牢獄を出たばかり。アンナの容態が気になったゆえ見舞いを優先させたが、彼の呪いも気になるし、彼女を助けるために働いてくれたことにも、まだ十分な礼をできていない。
ここに来るまでにも彼が手配してくれた馬車の中には、彼女へのたくさんの心遣いの品が乗せられていた。
すぐに食べられそうな菓子や果物。飲み物や、身体を清めるための道具。薬に着替え、髪を整えるための一式。座りやすいようにと用意されたらしいクッション。それに、今回の事件の詳細と、解決に至った経緯の書かれた手紙など。
この細やかな気遣いには、エルフリーデは感動と、ちょっとした戸惑いも感じた。
何せ彼女はガサツな男たちに囲まれて育ち、特定の異性にここまで尽くされたことがない。
あのか弱き小鹿ちゃん(※アクスル)が、こんなにも気遣いのできる殿方だったとは、と。彼を若干、世間とは違った目で見ている彼女にとっては、これは少々予想外のことであった。
馬車の中でエルフリーデは不思議そうに首を傾けた。
(? ……なぜだろう……この甲斐甲斐しいさは《黒女神崇拝会》の方たちを思い出させるな……?)
とはいえ、その時点では、まだその両者は彼女の中で結びつかなかった。
ただ、そんな経緯もあって。
エルフリーデは、とてもアクスルに感謝を伝えたい。……いや、それがなくとも、とてもとても会いたいのである。
ついなぜだ、という不満が顔に出る。
「……、……兄上?」
「ちょ、そんな睨むなよ! え、えーっとあれだ! と、とりあえず、いったん出直そうぜ! な? お前さ、牢を出たばっかりだし、食事もして体調も整えようぜ。みんなも待ってるしさ……」
三兄は訝しむエルフリーデを見て、ひきつった笑いを浮かべている。なだめすかそうとする兄を見て、エルフリーデは不審。こういう時……マイルズは必ず何かを隠している。
しかし、牢を出たばかりの彼女が、体調や身なりを整えたほうがいいというのは本当のことではある。
彼女はアンナのために、すぐここに駆けつけた。
身なりはアクスルが用意してくれた道具を使い、馬車の中である程度整えたが、婦人の無事が気になっていた彼女は食事はとらなかった。
それでなくとも投獄中、ろくに食事を与えられていなかった。当然顔色も悪く、陽の光を浴びていない身は、肌も髪もどこかくすんでいる。
兄達が末の妹をとても心配しているのも本当のことだろう。
エルフリーデにいぶがしげにじっとり見つめられたマイルズは、内心では焦りながらも、今度は叱るような表情。
「父上も兄貴たちも、団営でお前を迎える支度をしてるしさ。アクスル卿に会うのも、もっと体調が戻ってからにしようぜ。多分……卿もきっと心の準備が必要だろうし、だな……」
父のことを出されると彼女は弱いのだが……その言葉をじっと聞いていた妹は、ここでマイルズが、兄の権威でなんとか誤魔化そうとしているものの正体を察した。さては、とエルフリーデ。
「さては……また、アクスル卿が小鹿化なさったんだな……?」
「……え? 小、鹿化……? 小鹿化ってなんだ……?」
戸惑う兄を無視し、エルフリーデは、ふぅー……と、細く長く息を吐く。
つまり、彼はまた、彼女との結婚から逃げようとしているのだろう。
あんな細やかな気遣いをしてくれて、牢獄内部にまで駆けつけ彼女を救い、ついさっきだってあんなに情熱的に自分を出迎えてくれたのに。やれやれとエルフリーデは首を振る。
「……困ったお方だ……」
言って彼女は、ふいにフッと微笑んだ。その不敵な笑みを心配そうに見ていたマイルズは困惑。妹の表情には、どこか諦観がにじむ。
「エ、エル? だ、大丈夫か……?」
マイルズとて、別に妹の恋路を邪魔したいわけではない。
ただ……ロリーから『後生ですから……アクスル様のために時間を稼いでください……ほんの少し……ほんの少しでいいので……!』と、懇願されたのである。
ものすごく、悲壮な、ゲッソリした顔で……。
今回のことで、妹のために共闘した彼らの頼みは、マイルズとしても無下にできない。どうしたら……と、兄が内心困っていると。
次の瞬間、妹がキッと前方を睨んだ。廊下の先を見据える眼光の鋭さに、三兄がビクッと身を揺らす。
そんな兄に、エルフリーデは背筋を伸ばして毅然と言い放った。
「兄上、行くぞ!」
「ぉ……おお?」
颯爽と身をひるがえす長い足は、勇ましく城の外に向かっている。




