21-1 推しと冒涜感
うーんと王太子。
「まさに……エンドレスループというやつだな……」
ここは王城の補佐官室。なんだか達観した顔で言ったアントンの目の前では、アクスルが再び挙動不審。
冷や汗なのか、焦りのためなのか。はたまた羞恥のためなのか。よくわからぬ液体で、顔面を湿気らせ続けている男は、声なき呻き声を吐きながら、室内をウロウロ、オロオロ。よろめきながら歩く彼は、当然の如く、仕事などは何もできていない。
「あやつは、今日、エルフリーデ嬢を牢に迎えにいったのではなかったのか?」
徘徊するアクスルに近寄るのが怖いのか、王太子は友の従者に訊ねる。と、アクスルの従者ロリーは、困り果てたという顔。
「それが……バルヒェット嬢が、例の事件で負傷したご婦人のところに行きたいとおっしゃいまして。あの方が兄君と共に、王城に入られるのに付き添っておられたところまでは……ご冷静だったのですが……」
説明したロリーは、あ、でも、と、慌てて補足。
「第三騎士団の団営でお出迎えしたときは、とても麗しくさまになっておいでだったのですよ? バルヒェット嬢を愛おしそうに抱きしめたりして……」
エルフリーデが第三騎士団の牢から出て来たとき。
彼女を出迎えようと、門前で待ち構えていたアクスルは、彼女の顔が見えた瞬間、本当に嬉しそうな顔で彼女を出迎えた。まずは気持ちが溢れたように彼女を抱きしめて。再会が嬉しそうなエルフリーデと、互いの無事を喜ぶように見つめ合い。それから彼は、彼女の肩に持参したローブをかけ、驚くほど丁重に迎えの馬車の中へエスコート。
もちろんその場には、妹を迎えに来たバルヒェット家の面々もいたのだが。アクスルがそれらの人目を気にしているそぶりはなかった。
「実に甲斐甲斐しくなさっておいでで……多分……よほどお喜びだったんですね……」
その場面を思い出したのか、ロリーの表情がほころぶ。が、話を聞いたアントンは、逆に、分からないと眉間にしわを寄せる。
「いや……だが、それが……どうしてああなった……?」
王太子の指の先の男は、そこに置いてあった腰の高さほどのカートにぶつかり資料や書物を見事に床にぶちまけた。散乱した紙を踏み、滑って転んだアクスルは、ゲッソリうなだれながら、それらを拾い集めている。なんとも……情けない有様。麗しかったと言われても、正直あまり真実味がない。
そう指摘されたロリーも、笑みを収めて戸惑いの表情。
問われたとて彼もに、主の心情がよく分からないのである。
やれやれとアントン。
「わたしはてっきり……あやつは今回のことで心が決まったものだと思っていた。つまり、エルフリーデ嬢を妻に迎える決心が……」
「はぁ……わたしもそうだと思っていました。我々の前でも堂々とあの方を『愛している』と、おっしゃって(書いて)いらっしゃいましたし……バルヒェット様にも『待っていてください』と……てっきりあれは求愛だと思っていました。だって、あのアクスル様が、手の甲にキスなさったんですよ?」
普段アクスルは、必要があって淑女たちにあいさつをするときも、絶対にハンドキスでの挨拶はしない。だから、ロリーも絶対にそうだと喜んでいたのに。違ったんでしょうか……と、困惑気味に訊ねてくる従者青年に、王太子もなんとも言えない。
「もはや、愛が極まっているようにしか見えんが……あの、推しとしての愛というやつとの兼ね合いでもあるのかもしれないな……」
「はあ……」
なるほど……と、返してきながらも、よく分からないという顔の青年に、アントンも苦笑。
「本当に……なんて面倒くさい男だろうか……」
友を思いため息を吐く王太子には、ロリーもまったく同感だった。
(どうしたら……ど、どうしたらいいんだ⁉)
王太子にエンドレスループと言わしめたように、アクスルは、再び何もかもが振り出しに戻ってしまったかのように、悩み苦しんでいた。
つまり……推しと結婚なんて許されるわけがない! ……というあれである。
ただ、当初と現在では、多少彼の心情も変わってきている。
違うのは、彼が今ではエルフリーデととても結婚したいと思っていること。
オリスであろうと、黒女神崇拝会の誰かであろうと、絶対に彼女を渡したくはないし、独占したい。
そう、したいのである。したい、したい、が……。
考えはじめたアクスルは、顔面におびただしい汗を滴らせる。
(こ、この……湧き上がる冒涜感を……どうしたらいい⁉)
その欲求で、胸は今にもはりさけそうだが……。やはり、自分が彼女の夫になるのかと考えると、彼の身には、先日あれだけ苦しんだ呪いの苦痛すら忘れてしまいそうなほどの羞恥が襲い来る。
(そ──そんなこと……本当に許されるのか⁉)
自分が彼女の夫になるなど、本当に。
ここ数日、エルフリーデが囚われていたときは、彼女を救い出すことに夢中になり、悩むような余裕はなかった。
しかし、こうしてことが解決してしまうと、やはり彼の偏愛は自身を苛んだ。彼の、エルフリーデ推し活生活……いや、偏愛歴は長い。
これまで影からこっそり応援していた一ファンとしては、そう簡単には、推しの世界に踏み入る覚悟はできなかった。そこは、彼にとっては天界も同然である。
残念男子アクスルは、ほとほと困った。
彼女がいない場所で、彼女のことを考えるだけで、こんな有様なのである。
オリスと別れ、ここに逃げ込んで。彼はもう何度調度品にぶち当たってひっくり返したか分からない。つまずいて、気がつくと床、ということも多々。※転んだ
そのたび“王太子の冷血犬”たる彼は、居合わせた者たちをギョッとさせていたが……そのことには気がつく余裕もない。
こんな情けない自分が、彼女の夫となって、果たしてその役目をまっとうできるのか。
以前、彼女は、『呪いさえ解ければ離縁してもいいんですよ?』と、言っていたが……。
いや、それは間違いなく、彼の気持ちを誤解して、気遣いのつもりで言ってくれたのだろう、が……。
今の彼は、もしそんなことになったらと思うと、心底苦しい。
彼女と結婚し、そのあと呪いが解けたなら。彼女はあの時と同じように清々しい笑顔で、『では別れましょう』と、言うのだろうか。それは想像するだけで……。
「⁉ ア、アクスル⁉ どうした⁉」
「わぁ…………」
アントンのギョッとした声と、ロリーの謎の感嘆の声が聞こえた。
アクスルは、考えるだけでつらすぎて、泣いていた。
青白い頬に、ツー……と、横断していく透明な雫。
男は、顔面を両手で覆って心の中で叫ぶ。
(……っ絶対に嫌だ‼ エルフリーデ様に捨てられたくない! あああああっ!)
……偏愛、ここに極まれり。




