19-6
その瞬間、目の周りで星が弾け飛んだ気がした。
「っ⁉」
驚きに息を呑む間に、エルフリーデの視界は墨を流したように真っ暗に。
目の前いたはずのアクスルも、独房のすすけた壁も何も見えない。
世界が暗転したようでも、もしくは彼女自身がまったく別の暗い空間に放り出されたようでもあった。
エルフリーデは身構えて、周囲の気配をうかがった。……しかし、そうする自分の手元すら見えないのである。
(これは──いったい……)
予想外の現象だが、これが呪いと関係ないはずがない。戸惑いはあとに回し、とにかく最大限の警戒をと身構える。
と、そんな闇の先に、彼女はふいに小さな灯りを見つける。
(あれは……?)
暗闇にぼうっと浮かび上がる、小さな点のようなもの。
何故なのか、それが視界に入った瞬間に、背筋に冷たいものがすべり落ちた。
嫌な予感がして、彼女はその点をよく見ようと目を凝らす──と。
「っ!」
暗闇にエルフリーデの息を呑む音が響く。
唐突に、彼女が見ていた光の点が巨大化。──いや、目の前に迫って来たのだ、尋常ではない速さで。
生臭い、と眉をひそめた瞬間、目前に現れたのは、彼女の視界を覆うほどの大きな瞳。
その接近に驚くよりも先に、身体が回避しようと反応するが……なぜか、足が動かなかった。
なぜ、と、戸惑う間に、大きなその瞳は、彼女の鼻先に迫る。
充血した大きな大きな瞳。今にも溶けそうに白濁した白目。目頭と目尻からは血がしたたり落ちている。
とてもこの世のものとは思えなかった。
エルフリーデの顎を冷たい汗が流れ落ちていく。
(これは……いったい……)
ただ、彼女はつとめて冷静にその異形を見た。
もとより呪いと対峙するつもりでアクスルの痣に触れた。
それに彼女は、普段から任務であまたの魔物を目にしてきている。
驚きはしても恐怖はせず。アクスルを救いたいという意思も失わなかった。
(……これは……これが呪いの正体か……)
血に染まった巨大な瞳の粘膜の奥には、明らかに彼女に敵意があった。
視界を覆うほどの異形の目を負けじと睨んでいると、闇の中、しだいにその全身が浮かび上がってくる。
とたん、目にしたものに彼女は絶句。
まるで、いくつもの獣が切り刻まれたあげく、再び無造作に縫い合わされたような歪な肢体。
本体らしき塊の上に数多の尾、耳、そして手脚がある。その腕のひとつはまさに、アクスルの首に巻かれた呪いの形そのものだった。
歪に貼りあわされたような皮膚の上には、大小さまざまな湿疹のようなものがあって。目を凝らしてよくよく見ると、それらすべてが瞳なのである。
あまたの瞳がすべて、ぎょろりと昏く彼女に殺意を向ける。
鼻を突くのは、血と死臭が混じったような匂い。そして血肉に飢えた獣の息づかいが顔に触れ、この異形に唖然としていたエルフリーデは、何か……脳裏に引っかかりを覚えて眉間にしわを刻んだ。
(これは──この気配は……)
と、ここで彼女はハッとした。
暗闇の中、まるで見えない己の手のひらに、何か、優しい感触が触れた。
すぐにわかる。
(……、……アクスル卿……?)
闇に閉じ込められた彼女の目には、その姿は視認できない。
しかし、彼は確かにそこにいた。
ここで彼女は理解する。どうやらこの光景は、呪いに触れた自分だけが見ているものらしい。
いまだ彼女はあの独房にいて、意識と視界が異形に囚われている。
そう察したエルフリーデは、己の手のひらを労わってくれるような感触に応じるように、強くその手を握り返す。と、その手は彼女の手を導いて。
エルフリーデの指先に、あたたかい感触が。
彼女は、深く息を吐いた。
──これは、彼の体温だ。
その温度に触れた瞬間胸にこみあげたのは、このぬくもりを、絶対に絶やしてはいけないという思いだった。
エルフリーデは己を落ち着かせるためにもう一度息を吐き、現実とは違う空間で、呪いと対峙する。
「……これ以上、この人を苦しめるてくれるな……」
この異形は、あまりにも禍々しい。
ただ、その気配は魔物や獣とよく似ていた。
ならばとエルフリーデは、己の手に愛槍を思い出す。
これまで共に戦ってきた愛槍の感触をよみがえらせると、心は自然覇気をまとう。
こういう手合いには、気迫で負けてはならないのだ。本能的な者たちとの戦いにおいて、それは何よりも物を言う。
闘志を得て、彼女は異形の瞳を睨む。
そもそもこの異形は、自分が触れると怯む様子を見せていたではないか。
今も自分を威圧はせども、手を出してくる気配はない。
これが自分を恐れているというのならばと、エルフリーデは気迫で脅す。
──お前たちが去るまで、いくらでも、永遠でも付き合うぞと。あらん限り、全身全霊で怒鳴りつけた。




