19-1 獄中の盲目
ディレクが偽りの証言をしたと聞いてから、数日が経った。
独房の中のエルフリーデは、ある後悔に苛まれていた。
昨晩のこと。彼女の独房に一人の看守がやって来た。
その男は『待遇をよくしたけりゃ……』などと言って、非常に下衆な取引を持ち掛け、彼女の身体に触れようとした。
……もちろんエルフリーデは、その男を容赦なく叩きのめした。
それを後悔しているのである。
やってしまったとエルフリーデ。
(……あの男を人質にして外に出ればよかった……)
彼女は、看守を殴ったことは悔いてはいない。
あれはおぞましい提案である。
そのような提案をする者が、公平であるべき騎士団の中に存在していること自体が許せなかった。
もしかしたらあの男は、これまでも他の罪人に、同じ提案を繰り返してきていたのかもしれないのである。
だが、あの男が利用できたのは事実。
応じるふりをして、隙を見て拘束し、ここを脱走すればよかった。
(……無念……)
もちろん牢獄破りという汚名を受けるのは不本意だが、今はアクスルの命がかかっている。
(どんな屈辱を受けてでも、脱出すべきだった……)
そう思うと後悔が押し寄せる。
けれどもエルフリーデは、違う団だとはいえ、騎士団という組織のなかに、まさかそんな下衆な看守がいるとは思いもしなかったのである。
ゆえに彼女は、男がおおいかぶさって来た時点でそいつをグーで殴った。
エルフリーデの強拳は、普通の男なら一発でのされる代物。
こめかみを強打された男はあっけなく沈み、汚れた床の上でのたうち回っていた。
その様を冷たく見下ろしながら、エルフリーデはあまりにも情けなくて。
同じ国家を支える騎士団のものとして、こんな下衆がいるということに腹が立って。自分がこんなにアクスルたちのことで思い悩んでいるときに、こんな不埒な取引を持ち掛けてくる男が許せなくて。
性根を叩き直してやるためにも、あと数発殴ってやるべきか否かと考えていると、男の悲鳴を聞きつけた看守たちが駆け付けてきた。
直後彼女のもとには、憤怒した騎士団長がやって来た。
彼女はもちろん正当防衛を主張したが、聞く耳を持たぬ男は、さんざん彼女を罵ったあと、反抗的なものには食事を与えるなと吐き捨てて去って行った。
以来、彼女のもとには、騎士団からの食事は提供されていない。
けれども、もとより彼女には食欲などありはしない。ここに入ってからずっと、アクスルやアンナが心配過ぎて食事など喉を通らないのである。
ゆえに、そのような理不尽も、どちらでもいいとなかば投げやりな気持ちであったエルフリーデでは、あるのだが……。
しかしここで、彼女には、ある不可思議な現象が起こりはじめる。
騎士団長が、あれだけ憎々しげに『食事抜き』の命を下していったにも拘らず……エルフリーデの独房には、日々謎の食事が届くようになっていた。
「? ……意味が分からん……」
本日も、独房の扉の前には謎の果物。いや……ものはリンゴである。
けれどもそれがそこに現れたことが謎過ぎて、エルフリーデは怪訝とその赤い物体を見つめるにとどめた。
それは、いつも看守ではない誰かが、人知れず置いていく。
この独房では、食事は鉄扉の下にある、小さなスライド式の扉を開けて提供される。
その扉から、何者かが物も言わずに放り込んでくる謎の食料。
彼女のいる独房は周囲が壁に覆われて、扉にも小さな格子窓があるだけなので、外のようすはうかがい知れない。誰がそれを置いていくのかも、まるで分からないのである。
「……もしや毒でも入っているのだろうか……」
エルフリーデは不信感をぬぐえない。
あんなことがあったばかりである。あの下衆男の仕返しかもしれないと思うと、下手に手を付けられなかった。
自分にもし何かあっては、アクスルを救うことができなくなると思うと、慎重にならざるを得ないのである。
「……どうする……? どうやら俺たちが持っていった食料には手が付けられていないぞ……」
第三騎士団の団舎の隅。暗闇の中で怪しい男たちが厳めしい顔を突き合わせている。
「警戒心が強いな……」
悔しそうな顔で言った男は、次の瞬間、瞳をうるっとさせて、わっと泣く。
「さすが(?)我らのエルフリーデ様……!」
「怪しんでしまわれたか……! 空腹でいらっしゃるだろうに……おいたわしい……!」
暗闇にすすり泣きが響く。
この、いかにも怪しい二人組は、例の《黒女神崇拝会》のメンバーである。
一人は下級の団員の姿で、もう一人は医師のような服装。
この男は普段は町医者をやっているのだが、この事態を受けてオリス・ハルトマンを頼り、彼のはからいで第三騎士団に臨時の団医として潜り込んだ。
もちろんそれは、エルフリーデを案じてのこと。
おそるべし、推し活。おそるべし《黒女神崇拝会》。
その会員は、今や彼女の支えになれそうな、さまざまな組織の中に密かに食い込み、なかなかのネットワークを築いている。
ちなみにだが……この町医者は、エルフリーデの師匠ランセルのかかりつけ医でもある。
以前、エルフリーデとオリスが師の道場で再会したとき、ランセルの治療をしていたのは彼だった。
ここ数年、彼女が敬愛する師の体調が芳しくないことに悲しんでいるのを見て、『ここはわたしの出番だ!』と奮起した。
もはや彼女を支えることは、彼らの生活の一部。
危険を冒して獄に侵入する行為にも、彼らは何ら疑問を抱いていない。
……これもある種のストーカー行為にあたらないか、非常に心配である。




