18-1 逃亡と襲来
同僚のディレクが、第三騎士団で、『エルフリーデが、侯爵の愛人カトリーナを襲う算段をしていた』と証言した。
そのことを知らされた長兄グリゴアは、当然の如く烈火の如く憤怒。
「はぁああああああ⁉ あの野郎っ、ディレク! 許さねぇ! 今すぐぶちのめしてやる!」
怒りに任せて団舎に駆けこもうとしたが──その首根っこを、次兄ライノアに素早く捕えられる。
「待て。無駄だ。ディレクはすでに姿を消した」
「な、な、なんだと……? あいつ逃げたのか⁉」
冷静な弟が頷くのを見たグリゴアは、今にも怒りでどうにかなりそうという表情。
「あ、あ、あの卑怯者め……! 前からエルを目の敵にしているとは思っていたが……ここまで性根が腐ってやがるとは……! 離せライノア! 今すぐあいつを探し出してぶん殴ってやる!」
「気持ちはわかるが、待て。理由を考えろ。あいつが、騎士団の職をふいにしてまで何故そんな嘘をついたのか」
「ああ⁉ なんでだ⁉ わかんねぇ!」
とにかく感覚派のグリゴアは、頭にすっかり血が上り、弟の話がまったく読めぬらしい。
怒れる野獣と化した兄に、ライノアはやれやれと端的に説明。この長兄には、あれこれ難しく説明しても無駄である。
「つまりだな、あいつがそれ以上のうまみを誰かから得ているということだろう?」
「な、なんだと……だ……誰だ⁉ そんな卑怯なことをするやつは⁉」
「だから……それを俺たちが今から調べるんだよ!」
グリゴアたちが、ディレクやその背後にいる黒幕を探しはじめた頃。
王城にいるアクスルたちもまた、消えた侯爵邸の家人らの行方を懸命に捜索中。
アクスルは、父親である侯爵とは決別し、連日王城に泊まり込み。
彼らはエルフリーデの父らと連絡を取り合い、情報を共有してその足取りを追った。
特に第四騎士団の持つ情報網は緻密で、彼らは機動力もある。両者の協力をもってすれば、侯爵家から逃げた家人たち行方はすぐに知れるだろうと、思われた。
しかし……ここでもやはり、アクスルの呪いが足枷となる。
家人たちの行方はどうやら散り散りで。それぞれの情報を追い、聞き込みをして、全員の行方をつかんだ時には、すでに四日が経ってしまっていた。
アクスルのもとへ第四騎士団から家人捕獲の一報が入った頃には、彼の呪いはかなり進行。
苦しそうなアクスルの首から延びる異形の手は、再び鎖骨の下へ達し、彼はまるで異形に生気を吸い取られるようにして弱っていった。
怜悧だった顔は目が落ちくぼみ、顔色は真っ青。
そばに付き添う解呪士がどれだけ手を尽くしても、立っていられないことも多くなった。
この危機に、王太子はある決断を下す。
彼が配下に命じて城下で探しはじめたのは、《神託の花嫁》の条件に合う、黒髪と天色の瞳を持つ乙女である。
……これは、先日、エルフリーデが彼を訪ねてきたときに、残していった提案。
『神託の条件に合う娘なら、他にも呪いを退けられる者がいるのではないでしょうか?』
その可能性を示唆した娘は、もし自分では事が成し遂げられそうにないときは、ぜひそちらに頼ることも考えてほしいと王太子に懇願。
そう告げる瞳はとても真摯で、心からアクスルの無事を祈っているようであった。
王太子アントンは、もちろんそんな彼女をアクスルの妻にと望んでいる。……が……この窮地である。
己の補佐官である前に、幼少からの友でもあるアクスルには、どうあっても無事でいてほしかった。
彼が助かる可能性があるのならば、どんな手でも使いたかったのである。
ゆえにこたびの王太子は、身分には言及せず、広く庶民たちの中からも天色の瞳と黒髪を持つ娘たちを募り、全員をアクスルに会わせてみた。
しかし……結果として、彼が必死の思いで探し出させた娘たちは、誰一人としてアクスルの呪いを止めることはできなかった。
これには王太子はとても落胆。……が、当の本人、アクスルはといえば、その結果には、なんら心を乱されているようすはない。
彼はただただ想い人を牢獄から解放するすべを探すことに一心だった。
けれどもその思いとは裏腹に、アクスルはどんどん弱っていく。
彼のそんな様子を見た王太子らは、幾度となく後は自分たちに任せて休むよう勧めたが……どんなに言っても、彼は寝台に横たわることはおろか、手を止めることすらしない。
本日も、無理をするなと王太子が言うと、アクスルの手には『大丈夫です』と書かれた紙。……もうこの紙も、何度使われたかも分からない。
『ようやく証人たちを捕えられたのですから、やつらは絶対に、わたしが尋問します』
その文字を見て、王太子はいっそう泣きたくなる。アクスルの決意は分かるのだが……書かれている文字があまりにも弱々しすぎる。かすれ、震えている文字が痛々しくて、とても見ていられない。
「しかしお前、こんな弱った身体で……」
王太子が潤んだ目で言うと、アクスルは重そうに頭を『ええ』と言うように動かす。
『ゆえに。殿下、もう他に手はありません、エルフリーデ様に……』
続けてアクスルから差し出された紙を、王太子が必死で読んでいた、そのときだった。
彼が文を終いまで読む前に、突然補佐官室の扉が開き、アクスルの同僚が慌てたように駆け込んでくる。
「殿下、あの、来客が……!」
「客⁉ 今はそれどころではない! すべて断るように言っただろう⁉」
「しかし、あの……」
補佐官には補佐官で、どうしても王太子に判断を仰がねばならない理由がありそうだった。
あの、あの、と、悲壮な顔で続ける男を見て。いったい何事だと、アントンはその男を連れてアクスルのそばから離れる。そして小声で問うた。
「どうしたのだ、いったい誰が来たと⁉」
「それが……アクスル卿の従妹のリシェル・ラングヤール嬢なんです……」
「リシェル・ラングヤール……⁉」
その名を聞いて、王太子は一瞬ウッという顔。
「ま、また来たのか……こんなときに……」
リシェル・ラングヤールは、どうやら、幼い頃に父親の伯爵に何か吹き込まれたようで、自分がいずれアクスルの妻になるのだと頑なに主張し続けている。
自身の青い目を空色だと言って譲らず、しまいには、神託のほうが間違っていると言い出し、先日女神教会にも押しかけたらしい。そして彼女は新官長に迫った。
『いずれわたしが侯爵夫人になったら、教会にたくさん寄付をするわ。だから、やっぱり《神託の花嫁》は青い目の娘だったと王太子殿下に言ってちょうだい!』
もちろんこの提案が教会側に取り合われることはなかったが……恐ろしいのは、王妃が求めて、女神に与えられた神聖な言葉をも、己のために平然と歪めようとする彼女の姿勢。
しかもそれを、自分の家ではなく侯爵家の財産をあてにして行っているところが厚かましいにもほどがある。
もし万が一、アクスル本人が彼女を妻にすると言いだしたとしても、王太子は絶対に反対するだろう。
ただ、つまり……そんな彼女であるからして、彼女の襲来は本当に厄介。
報せてきた補佐官は、ゲッソリした顔で訴える。
「今は絶対に面会できません、無理ですと、何度お断り申し上げても……『わたしがアクスル様の本物の《神託の花嫁》なのよ!』と、お譲りにならず、一向にお帰りになりません。それどころか……『《神託の花嫁》をこばむなんて、王太子殿下はアクスル様を殺す気なの⁉』と騒ぎ立てるもので、皆、困り果てています」
自分を中に入れないのなら、王太子がアクスルを助ける気がないのだと城下で言いふらしてやると声高に騒いでいるのだと。さらに、彼女は侯爵からアクスルとの結婚の許しも得てきたと主張しているから、捕えることもできないと補佐官は言った。
その話を聞いて、アントンは唖然。
「ば、馬鹿な……アクスルの意思も確認せずにそんな勝手な……」
「とにかく凄まじいんです! 殿下、どうしたらいいですか⁉ あれは、衛兵に追い払わせたとしても、本当にあることないこと吹聴なさると思います! このままにしておいて、また他の王子殿下たちにでも話が伝わったら、あの方たちはまた出しゃばってきて殿下を非難しはじめるかも……」
「……あぁぁ……」
アントンの口から疲れ切ったため息がもれる。確かにあり得る話である。
どうしても王太子という立場が欲しいらしい弟たちは、現在虎視眈々とアントンを狙っている。
おそらく自分たちは彼らに監視されているはずで、もうすでに騒動が伝わっている可能性もあった。
「……わかった。とにかくわたしがリシェルに会って説得してみよう……」
アントンは、具合の悪いアクスルに配慮し、ここから一番遠い応接間に彼女を通すように補佐官に命じる。
──と、そんな彼の肩に、不意にがしりと重みが。
「⁉」
ハッとして振り返ると、そこには青い顔のアクスルが立っていた。
そのゲッソリした怒りの表情に、アントンは跳び上がる。
「ひ、ア、アクスル⁉」
まさか聞いていたのかと、アントンは青くなったが手遅れであった。
据わった目の男は、慌てる彼の前に紙を掲げる。
『リシェルに会います。ここに連れてきてください』




