2-1 神託の花嫁
それは、つい一月ほど前に王太子たちに降りかかった災い。
ある日、王太子に同盟国からの贈り物が届いた。
そのなかに、ひときわ趣向を凝らした美しい箱があった。
両手に収まる程度の大きさで、底面以外のすべての面に細かく美しい模様が彫られていた。金に彫られた植物や動物は、一見して名工の手によるものと分かる、見事な細工箱。
彫刻や彫金といった細工が好きな王太子は、喜んでその箱を手に取った。
それらの贈り物は、すでに王城内で検査を受け、危険はないと判断されたもの。目録によれば、中身は空。誰も疑いは持たなかった。
しかし、王太子がその箱を手にしたとき、アクスルが、『念のため自分が開ける』と言い出した。彼がこのとき、何かを感じたのか、それともただの偶然だったのかは分からない。
王太子は彼の警戒心を笑ったが、彼が用心深いのはいつものこと。王太子はわかったわかったと頷いて、それを彼に任せたのである。
そうしてアクスルが箱を開けた瞬間。その疑い深い補佐官は、呪いに襲われた。
突然箱の中から、黒い煙のような異形が飛び出てきて、アクスルはその突進をまともに受けた。周りから悲鳴が上がる中、異形はアクスルの首に食らいつき、そのまま彼の身体に溶けるように消えていった。アクスルはそのまま昏睡状態に。
王城は騒然となり、医官が呼ばれたが怪我はない。そこで今度は神官が呼ばれると、神官はアクスルが呪いにおかされていると断言した。
意識のないアクスルの首には、赤黒い輪のような痣が出現。
首をぐるりと一周するいびつな痣には、左右に異形の手のような形が。それは、胸のほうへだらりと伸びていて、指先には鋭い爪があった。
それを見た神官は青ざめて、彼に命の危険があると告げる。
神官によれば、アクスルの首に現れた異形の手は、日ごと伸びていき、それが心臓の上に達したとき彼は命を落とすという。
この突然の事態に、王太子は驚愕。アクスルは彼の幼馴染でもある。
そんな彼に、神官は深刻な声で告げる。
『……これは拷問なのです殿下。アクスル卿はいずれお目覚めにはなるでしょう。しかし、迫る死に怯え、自分の肌の上を這っていく呪いに恐怖し、耐えられず、自ら命を絶つ者もおるのです。この呪いは、早く解かねばなりません』
これには王太子は慌てふためく。とにかく早く補佐官を救わねばと奔走し、すぐに国内でも特に優れた解呪士を王城に招いた。
そして数日後、神官が言った通りアクスルはなんとか無事目を覚ました……が。
しかし、かけられた呪いは強力で、彼らはそれを解除することができなかった。
アクスルは、首に現れた呪いの痣の影響で、まず声を失った。
大切な配下が自分の身代わりとなったことに王太子はとても心を痛めた。
そしてこの事態に動いたのが、彼の母たる王妃だった。
王妃は以前より、この世界を創造したという女神に傾倒しており、どんな時も女神の神託に頼っていた。
ゆえに、彼女がこの息子たちの窮地に女神教会に情けを請うたのも当然の流れ。
王妃と王太子は、あまたの供物と祈りの末に、ある神託を得る。
それは、大神殿の石碑に、短いいくつかの文として与えられた。
《春の季節に生を受けた天色の瞳の花嫁》
《黒き冠》
《慈しみ、身を捧げれば呪いは解ける》
王太子らは、すぐに神託の意味を神官たちに分析させた。
しかし神官たちは、考えるまでもないと言う。
春は生命を司る女神の季節。天色とは、空色のこと。黒き冠は黒髪の娘という意味だと。
結果、王太子らは神託をこう解釈する。
春に生まれた黒髪と空色の瞳を持つ娘をアクスルの妻に迎え入れれば、女神の加護が高まり、彼の呪いは解ける。つまり、そういうことなのだろうと。
はたして王太子らは、藁にもすがる思いでその《神託の花嫁》を探しはじめた。
ただし、アクスルは侯爵家の嫡男。いくら神託が下ったとはいえ、彼の花嫁は、その条件だけを満たせばいいわけではない。
神託の条件に加え、政治的問題もあり、その娘は王太子の派閥に属する家柄か、せめて中立な立場の家柄で、貴族、もしくは臣下の家系でなければならなかった。
おまけに未婚の娘で、人柄なども重視しはじめると……これがなかなかに難しい。
アクスルは、非常に頑固な男。妻となる女性は聡明で我慢強くなければ務まらない。
王太子は、幾人か、条件に合いそうな配下の娘と面会した。しかし、どの娘も令嬢然として頼りない。
令嬢たちは、皆それぞれ淑やかで可憐ではあったが、名家に生まれ、大切に大切に育てられて、おまけにまだまだ若いのである。
これには王太子は頭を悩ませる。
《神託の花嫁》は、アクスルの呪いを見て逃げ出すような娘では駄目だ。
しかし、呪いは進行性で、命の期限はどんどん迫ってくる。
だが、早く彼の呪いを解いてやりたくとも、相応しい娘が見つからない。
ただただ時間だけが過ぎていき、アクスルの首から延びた手だけが長くなる。
この頃には、はじめは首にあった異形の手は、鎖骨の上にまで伸びていた。その不気味な痣を見た王太子は、怖くなって。とても焦ってしまって。
これはもう、今まで候補にあがった娘たちの中から《神託の花嫁》を選ぶしかない。
……そう思っていた、そんな矢先のことだった。
その苦悩を国王に打ち明けていた、昨日。話を聞いた国王が、ふいに何かを思い出したような顔で後ろを振り返った。そこには精悍な顔つきの、黒髪に空色の瞳の近衛騎士が。国王は彼に訊ねた。
『ライノア、お前の家の末娘は、確か春生まれではなかったか?』
と、騎士は、床に片膝を突き、恭しく『その通りでございます』と答えた。
聞けば、彼の妹は黒髪で、瞳の色もまさに空色だそう。
国王はある武術大会で彼女を見かけ、その容姿を記憶していたらしかった。
それが、件の娘。エルフリーデ・バルヒェットその人だった。




