16-1 難解な男と、難解な恋
「……うーん……」
エルフリーデが騎士団の食堂で悩んでいる。椅子に座って腕を組み考え込んでいる顔は、目の前の食事のことすらすっかり忘れているように見える。
「? どうしたエル。なんで食わねぇんだ?」
「兄上」
遅く食堂に入って来たグリゴアが、エルフリーデに気がついて正面の席に座った。
本日は家族の終業時間がばらばらで、この時間帯には、エルフリーデとグリゴアのみ。あとは四兄レオンもいるはずだが……まだその姿はない。
時間も遅めとあってか、食堂内には二人以外の団員たちもまばら。
エルフリーデは、グリゴアの問いかけに少々困った様子で答える。
「いや……実は、あの“ほこほこ”の正体がわかった」
「“ほこほこ”? 大病の……? やっぱり病気か⁉」
さっと不安そうな顔になった兄に、エルフリーデは首を振る。
「違う。どうやらこれは……恋らしい」
エルフリーデが真顔で言った瞬間、グリゴアがぽろりとフォークを落とす。
「こ、い……?」
「恋」
真顔できっぱり返され、グリゴアの顔が難しくなる。ふむ、と、兄。
「……それは……俺たちの……不得意分野、だな……?」
「そうなんだ……」
深刻な顔で見つめ合っていた兄妹は、そろって絶望の表情。
前にも同じようなことが──エルフリーデが化粧品を買いに行ったときにあったが……このコンビは一番恋愛ごとには向かない二人である。
グリゴアは苦しそうにテーブルを殴る。
「っ! あれだろ……難しい……女心ってやつを考えねぇといけねぇやつだ!」
「わたしの場合は男心だな……」
拳を食卓に叩きつけた兄から食器を守るように持ち上げていたエルフリーデは、真顔でため息。そんな妹を、グリゴアは厄介なものを見る目。
「それはあれだろ、レオンに聞いたほうがよくねぇか? こないだもあいつ、ここで『恋は一瞬で落ちるものさ!』……とかなんとか嬉しそうに講釈垂れてたじゃねえか。……一緒に上がりだったから、もうすぐ来るだろ」
「恋は一瞬で落ちるもの……」
エルフリーデはその言葉を口の中で繰り返す。
確かにそうなのかもしれない。アクスルと自分はまだ出会って間もない。それなのに、自分がこんなに彼に惹かれるようになるとは思わなかった。
(わたしは、恋に落ちたのか……?)
改めて考えるとなんだかとても照れくさい。しみじみ、そわそわ。いろんな感覚に襲われる。それでつい、照れくささをごまかすように、こめかみを指で掻いていると、そこへ四男レオンがやってきた。
彼ら兄妹の上から四番目のレオンは、バルヒェット兄妹の中では一番軽薄な男である。
女性関係も派手で、常にとぎれることなく恋人がいるらしいので、この手の話題では役に立つ。
ゴツい長兄と生真面目な顔の妹が、食堂の奥からジ……ッと、奇怪な目で自分を見ていることに気がついたレオンは、夕食の乗ったトレーを手に、彼らのもとへ。
「あれ? 二人とも何さ? 視線が気持ち悪いんだけど」
「おう、レオン。お前……ちょっとここに座れ」
「え? 何? 顔こっわ。俺今から説教されるの?」
やだ~と軽い調子で笑いながら席に着いた四兄に、エルフリーデは違うと首を振る。そしてグリゴアは、前置きもなく報じる。
「エルが恋した」
妹の恋愛を報せるにしては、あまりにも端的すぎる言葉だが。それにはなんら異論もないらしいエルフリーデも真顔で頷く。
「四兄、意見を聞かせてくれ」
とたん、ひとりテンションの違うレオンが黄色い声で「えっ♡♡♡⁉」と、目の色を変える。
「何何何っ⁉ 恋⁉ エルが⁉ ついに⁉ 誰に⁉ いつ⁉ どんな奴⁉⁉⁉」
「……」※エル、ちょっとうっとうしそう
「おうそうだった。エル、相手はどこのどいつだ」
がぜん興味津々になった四兄と、そんなことすら聞く頭のなかった長兄に、エルフリーデは怪訝な顔。
「何を言っている。相手はもちろんアクスル卿に決まっている。わたしの未来の夫だ」
「は……ええっ⁉ あのお方なの⁉」
「ほぉ、ぉう? へぇ……はぁー……あの冷血漢に?」
レオンもグリゴアも、なぜ? と、やや戸惑いを覗かせる。
アクスル・クヴァントは、仕事はできるが評判がいい男とは言えない。
まあ、それでも王太子の信頼を得ているからこそグリゴアらも、今回の縁談には大きく反対はしなかったが(それに、絶対にアクスルより妹のほうが何倍も強いので、安心感があった。※「絶対に尻に敷けるよね!」byレオン、「何かあったら、まずは叩きのめせ」byグリゴア)。
しかし、その男に恋をしたという妹の気持ちが、兄たちには理解できない。
アクスル・クヴァントは、甘い恋とは対極にいるような気がする。まあ……エルフリーデも大概だが。
へー、と、レオン。
「エル、やっぱお前は傑物だなぁ。あんな怖い御仁を相手に、よく恋なんてできるねぇ」
基本、女の人には優しく尽くしてこそ好かれると思っているレオンは、深々と感心。評判によれば、アクスルは忠臣だが、優しさとは無縁。
グリゴアに至っては、さっぱり何もわかってない顔。
と、心底感心しているらしい四兄に、エルフリーデは不満をにじませた。
「兄上……あの方はそんなに怖い方でも、冷血漢でもない。小鹿のようにかわいらしい、臆病なお方なのだ。皆は何か勘違いしている」
言いながら、エルフリーデは本日の昼間のことを思い出す。
いきなり抱き着かれたときは驚いた(し、一歩間違えば狼藉者として投げ飛ばしてしまっていた)が、彼からは、不純さやいやらしい感情は一切伝わってこなかった。
そうではなくて。彼は何か……自分に一生懸命に喜びを伝えようとしてくれていたような気がしたのだ。
背後から抱きしめられていたので、彼の表情はあまり見えなかったけれど。自分の肩に顔をうずめていた彼は、ありがとう、と、繰り返していたような気がした。
そんな彼のようすを思い出すと、しみじみかわいいのである。胸の中がくすぐられたようにそわそわして、エルフリーデはつい満面の笑み。
──が。
彼を思い出し、なんだかにこにこと喜びを噛み締めているらしい妹を見て、やはり二人の兄貴たちは懐疑的。と、いうか、意味が分からないという表情でぽかんとしている。
「こ、じか……? あの冷血漢が……?」
「エル、お前……大丈夫? さすがにアクスル・クヴァント卿に、かわいい小鹿ちゃん、なんて言ったら、激怒されるんじゃない?」
心配そうな兄らに、エルフリーデはなぜだと不服そう。据わった目で睨まれた兄らは、顔を見合わせる。これは……どうやら本気らしいと察した。
「ええと……で? それで、その小鹿ちゃんがどうしたの?」
とりあえず、と、レオンがうながすと。不満そうに頬を膨らませていた妹の顔が、今度はどこか悲しげに下を向く。
「それが……」
エルフリーデは、ため息交じりに打ち明けた。
やっと彼女に心を開いてくれたかに思えたアクスル。
しかし、なぜなのか……彼はあのあと、また、彼女から転がるように逃げ出していってしまったのである。
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