15-5
アクスルは、ただただ嬉しかった。
最初は、楽しそうな彼女とオリスを見ていられなくて、すぐにその場を離れようとした。
……でも、できなかった。
冷静にクヴァント家の環境を考えれば、自分が身を引くのは当たり前。それが彼女のためだと思ってはいたのに。どうしても、脚が言うことを聞かなかった。
彼女があの男と二人きりでいるのかと思うと、とてつもなく気持ちが焦り、嫌な気分。
(自分が去った瞬間、あの男は彼女に言いよるのでは?)
(彼女はそれを受け入れてしまうのでは?)
(彼女はあの男を……)
──好きになってしまうのでは……?
(……っ)
その不安は、言いようもなく彼の身を苛んだ。
しかし彼は、自分には、そんなことでいら立つ権利はないとも思った。
オリスが言うように、彼は、奇跡のように自分との婚姻を受け入れてくれたエルフリーデから、ずっと逃げ回っていた。なすすべもなく、冷静にもなれず、ただただ逃げたのである。
誰にでも噛みつく冷血犬など呼ばれておきながら、この体たらく。
でも、彼女を前にすると、彼はたちまち青い時代の自分に戻ってしまう。
彼女にはじめて惹かれ、憧れた頃の自分。そのくせ、素直に彼女に好意を示せなかった後悔を引きずる少年は、今でも彼の中に健在。
少年期に芽生えた想いは淡くも、鮮烈で。今でもあの頃の気持ちが蘇ると、アクスルは胸が締めつけられたように切なくなる。
(……情けない……いまだ、大人になれぬのか……)
アクスルは、そんな自分に落胆。
しかし。
『わたしは、アクスル卿と結婚します』
さっぱりとした言葉には衝撃を受けた。
軽やかに口にされた言葉には、曇りがなく。軽やかさの中には、確かな彼女の意思が感じられた。たとえそれが王太子による命令であるにせよ、大事なところは自分でそうすると決めたのだと、言っているような。
驚いて振り返ると、彼女は微笑んでいて。その晴れやかさは、鬱々としていた彼の心を打つ。
どれだけ嬉しかったかわからない。しばらくは、あまりに胸がいっぱいで身じろぎすらできなかったほど。
縁談が持ち上がってからの諸々で、彼女にも、自分という男の厄介さ、クヴァント家の複雑さは十二分に伝わっていただろう。
(……それでも……手を差し伸べてくださるのか……)
そう思うと、不覚にも涙が出そうだった。
それは、彼の喜びが理性と羞恥の一線を越えてしまった瞬間で。アクスルは、いつの間にか彼女のもとへ駆けていた。
彼女にみだりに触れては……などと、苦悩していたのもすっかり忘れていた。《黒女神崇拝会》の同志たちに誓ったことも、どこかに弾き飛ばされていて。
もし、このとき彼が口をきくことができていたら、声を大にして『好きです!』と、気持ちを吐き出していただろう。
しかしそれができなかった彼は、自分を選んでくれた女に、寄り添うことでそれを表わした。このとき彼にできた、精一杯の愛情表現であった。
(……ありがとう。好きです。とても)
とにかくその気持ちだけだった。
自分が怖かったのではと問われて、とんでもないと力いっぱい首を振った。
このときの彼は、強い歓喜に包まれていて。自分がなかなかに大胆なことをしでかしているのかにはちっとも気がついていなかった。
もちろん。それはのちに彼が冷静になったときには、大いなる衝撃となって彼を襲うこととなるが。




