15-2
明るい日差しの中。緑深い庭の東屋に、麗しい男女が一組。
男は陽光のような金の短髪。大柄で明らかに何か武道をたしなんでいる身体つき。身長もかなり高い。その向かいに着席している娘は、女性としては背が高いが、それでも男は彼女より頭一つ分は背が高かった。
二人は終始にこやかなようすで。少なくとも、男のほうには明らかに女性に好意があった。
そんなまなざしを涼やかに受けとる娘は、長く艶やかな黒髪を時折吹く風にそよがせながら、男の話を静かに聞いていた。
そんな彼女を遠目に見て、アクスルは感嘆。
彼女はなんと言っても、佇まいが美しい。静かな森の奥で、大地にしっかりと根差した大木のような、物言わずとも伝わってくる芯の強さが、アクスルの心を惹きつけた。
彼はどんなに遠くからでも、人ごみの中でも、彼女を即座に見つけられる自信があった。長年そうして彼女を見つめてきたのである。
しかし今日は。
アクスルは、なんとも言えない気持ちで二人を眺めていた。とにかく……見ているのがつらかった。
二人の間でのどかに揺れる茶の湯気すらも憎たらしく感じてしまう始末で。
できることなら、いますぐ飛び出して行ってあの二人の交流に割って入りたい。
この衝動に、彼は動揺する。
それはできない相談なのである。彼女の幸せを願うのならば、絶対に。
アクスルは、エルフリーデのそばにいる男をもちろん知っていた。
彼は、《黒女神崇拝会》が、エルフリーデの夫としてふさわしいと見込んだ男。
名はオリス・ハルトマン。
彼はエルフリーデに好感を持つ公爵夫人の三男で、国王や王子たちの近衛を務めている。
国王のそばに上がれるほどの者は、当然選りすぐりの人材。家柄もしっかりした、言わばオリス・ハルトマンはエリートである。
そのうえ性格は温厚で、体格にも恵まれ、エルフリーデと同じく槍術に長けている。
仕事にも熱心で、人当たりがよく上官からの受けもいい。休暇中も、賭け事や女性遊びもしない誠実な男とくれば。『愛しの女神によい伴侶を!』と、意気込む《黒女神崇拝会》の会長らが目をつけるのも不思議なことではなかった。
もしエルフリーデがあの家に嫁げば、夫からも、その母親からも大事にされるはず。
オリスの母である公爵夫人は、おおらかでとても威厳のある女性。高貴でありながら慈善事業や若者の育成にも積極的で、社交界でも一目置かれる存在。彼女の庇護下に入れば、エルフリーデの将来は間違いなく安泰だろう。
……そんなハルトマン家の輝かしい事情が、アクスルの胸にグサリと刺さる。
(……当家とは……大違いだな……)
アクスルは、どうしても自分の両親たちと比較してしまい、気鬱。
彼の家も財力ではハルトマン家にも負けない。
しかし、環境が最悪なのだ。
自分の母は、きっと自分の妻となる女性には一切興味を示さない。
代わりに執拗に手を出してきそうなのが、父の情人カトリーナ。あの女は、とにかく自分の権利を守ることに一生懸命だった。
今回城下で流れたエルフリーデの悪評も、もちろん彼女の仕業。
ゆえにアクスルは、現在彼女に報復を計画中。
彼が先日出した父宛の手紙は、もう侯爵領に着いただろう。
カトリーナはずっと父に任されてきた事業で大損し、それをひた隠しにしていた。彼はそれを父に知らせてやったのである。
その損失はかなりの額で、おそらく領地にいる父も怒り狂ってすぐにもこちらに戻ってくる。そうなったときが見ものである。
ただ、長い年月寵愛され父の子まで産んだ愛人が、それだけで倒せるとはアクスルも思っていない。
おそらく今回も、彼女は涙や甘えを駆使して失態をうやむやにしようとするはず。
けれども、狡猾で欲深い彼女が、侯爵家という財の泉のような場所で他に悪事を働いていないわけがなった。
金銭に関することから、使用人への体罰、他の男の影など。アクスルの手には、すでに二の矢三の矢の準備があった。
もし、彼女がここで大人しくなるのならばいい。しかしこの先もエルフリーデへの攻撃が続くようならば、アクスルはつがえた矢を容赦なく放つだろう。
この先は、父のカトリーナへの寵愛がいつまで続くのか根比べ。どんな長い戦いになろうとも、彼は絶対にあの女を許す気はない。
アクスルは冷笑。
(……じわじわと追い詰めてやる。エルフリーデ様の名声を傷つけたことを後悔するがいい……)
そう鼻を鳴らす男の顔は冷酷そのもの。
……確か王太子も言っていた。彼の性格は、『なかなかにアレである』と。
カトリーナへの報復を誓ったアクスルは、庭木の影に身をひそめ、エルフリーデたちのほうへ視線を戻した。
東屋の二人は和やかなまま。彼女たちは共に陽の気で輝いているようにすら見えた。
自分の放つ冷え冷えとした空気とでは、取り巻く雰囲気がまるで違う。……別世界である。
それをまざまざと実感したアクスルは心が沈む。
(……なぜ、来てしまったのだろう……)
彼女に会うことを迷いに迷っていたとき。従者の青年から、彼女がランセルのところへ行くようだと聞いて、思い切って会いにきた。
もちろん、《黒女神崇拝会》の者たちの忠告も、己の誓いも忘れてはいない。
だが、先日の贈り物と見舞いの礼もまだだった。
彼女との婚姻は避けねばならぬとしても、受けた気遣いにたいする礼は当然してしかるべきこと。……と、自分に言い聞かせていたような気がした。
ただ、どうしても、彼女に謝っておきたいことがある。
アクスルは、思い出しては冷や汗。
先日、熱に浮かされ寝ぼけたあげく、彼女の手に触れてしまった。
あれだけ無様に婚姻を拒んでおいて、みだりに女性に触れるなど。アクスルにとってはありえない無礼。
もし、相手がただの同僚女性などであったとしても申し訳ないと思う。それなのに……相手はよりによって彼が敬愛するエルフリーデなのである。
あれは、絶対に謝らなければ気がすまない。
けれども、と、アクスルは──手の内にある数枚の紙をクシャリと握りつぶす。
それは、事前に彼女宛に、礼と謝意を書き連ねたもの。
でも、現在彼女の隣にいる精悍な顔の男を見ると、これを渡す気力は失せてしまった。
どう見ても、自分よりお似合いの二人なのである。
そう思うと、どうしても足が彼女の方に進まない。
胸の奥から嫉妬の炎があふれだし、今にも身が焼き尽くされてしまいそうだった。
……こんな心境では、とても彼女の前には立てやしない。
嫉妬は醜い。
幼い頃から、家庭内で日常的に母やカトリーナの嫉妬と、そこから生まれる諍いにさらされて来たアクスルは、あんな醜い顔をした自分をエルフリーデに見せるのは絶対にいやだった。
理性を欠き、憎しみに歪んだ顔で、敵を思うままに屈服させねば気がすまないと、感情も露わに悪態を吐く。……あんな女たちのようになるくらいなら、彼は彼女の前から消える選択をする。
(……やはり……彼女から逃げ続けて時間を稼ぎ、王太子殿下を説得して他に呪いを解く方法がないか探すほかないな……)
彼女が呪いを怯ませたという話には、もちろん感激したし、本当に感謝しかない。
おかげで彼には命の猶予ができた。彼も、けして死にたいわけではない。
ただ……彼はひねくれているし、こじらせてはいるが、エルフリーデのことは本気で愛している。ゆえに、よけい頼ることはできない。
彼との結婚は彼女にとっては泥沼だ。そこに、彼女を踏み込ませるわけにはいかなかった。
「………………」
アクスルは、苦い気持ちで身をひるがえした。
目の端に映る楽しそうな二人への複雑な感情をふりきるように。
彼が避け続ければ、彼女もいずれ呆れて諦めることだろう。
これも彼女の人生を守るため、彼女への献身だと。彼は自分に強く言い聞かせた。




