15-1 槍の青年
「……師匠、どちらですか?」
道場に着いたエルフリーデは、気持ちを切り替えてランセルを探して歩いた。
石造りの広い道場の中には、幾人かの子供たちとランセルの弟子たちの姿。あたりには威勢のいい声が響いている。
彼女も長らく通ったこの道場。
エルフリーデはここにくると、とても気持ちが引き締まる。さまざまな思い出のある場所だった。
しかし、今日はそこに、なかなか師の姿を見つけられない。
弟子たちに訊ねると、彼はまた腰痛がひどくなり、家で休んでいるという。エルフリーデは心配で、表情を曇らせた。
ランセルは、昨年の冬に腰が痛みはじめ、それがなかなか治らない。本人などは『もう歳なのだから仕方ない』と、笑ってはいるが……彼はエルフリーデが幼い頃から手本としてきた大人の一人。やはりいつまでも元気でいてほしかった。
彼女は足早に道場の隣にある師の家に向かった。
いつものように庭を進んでいくと、広場に誰かが立っている。
(おや?)
大柄な身体に、大きな槍。金の髪を冠する精悍な横顔にはまったく見覚えはなかったが……彼が持っている長槍には覚えがあるような気がした。
エルフリーデは、異性には興味をひかれないが、武具類には目がない。珍しい武器を見かけると、つい注目してしまい、その刃の手入れ具合や細工は細部までもきっちり記憶しているというのに、持ち主を覚えていないということは多々である。
(? 知り合いか……?)
とは思ったものの、記憶はない。
エルフリーデはすぐに思い出すのを諦めて、彼のそばを通り抜けるとき丁寧に頭を下げた。どちらにせよ、礼儀さえ守っておけば安心である。
静かに目礼すると、男もおやという目。
「エルフリーデ・バルヒェット殿?」
「む」
フルネームを言い当てられて。視線を戻すと、男は緑色の瞳をみはって、とても嬉しそうに彼女を見ていた。
「ふふ……あ、誰だっけという顔をなさっていますね」
明るい顔で苦笑されて、エルフリーデは気まずい。しかし彼女は正直だった。
「申し訳ありません。いえ……そのお手持ちの素晴らしい長槍は覚えております。確か、どこかの大会でご一緒しましたね」
それだけは断言できるがと、はっきり言う娘を、青年は笑う。と、にこやかな顔が少し改まって、彼女に向かって恭しいお辞儀。
「オリス・ハルトマンです。昨年の春、国王主催の武道大会でご一緒しました。残念ながら、わたしは準決勝で敗れましたので、あなたとは対戦いたしませんでしたが」
「ああ……春季大会のときですか……」
大会のことを思い出したが、やはり彼は印象に残っていなかった。
正直なところ、エルフリーデは大会ではとても集中していて、あまり対戦相手以外の顔は覚えていない。特に対戦直前の彼女は、兄らも恐れるくらいの集中力である。よけいな情報は入ってこない。
『……試合前のお前は、よく研いだ刀みたいで近寄れやしねぇ』と、グリゴアに言われたことを思い出し。続けて自分に怯えていた(?)アクスルを思い出し……ほんの少し気落ちする。
「(……、……、……改善を……急がねば……)……く」※つらい
「? バルヒェット殿?」
「あ……すみません。少し考え事を」
彼女の苦しげな沈黙を見て、オリスは不思議そうな顔。だがエルフリーデは苦笑で濁した。
ここのところ、何かにつけてはアクスルのことを思い出してしまう。そんな自分が少し恥ずかしいやら、興味深いやら。でも、悪い気はしない。
(まあ……アクスル卿は、すごくかわいらしいのだからしかたがない……)
……王太子が聞いたら仰天しそうなことを考えつつ、彼の顔を思い出すと、しみじみ心がときめく。じんわり胸を満たしていくような気持ちは、彼女の人生のなかには、これまでなかったものである。
「ところで……」
オリスを改めて見たエルフリーデは不意に訊ねる。
「ハルトマンと言うと、もしや公爵家のご子息ですか?」
その家名には覚えがあった。それに、男の持つ槍の柄も使い込まれてはいるが、よく手入れがされていて、そのうえ細工がとても細かい。彼が着ている品のいいコートやスラックスも、体型にしっかり沿うように作られたオーダーメイドのようだった。きっと、いい家柄の息子なのだろう。
彼女の問いに、男はすぐに頷く。
「はい。三男です」
にっこり微笑んだままの顔には、ひけらかそうというような雰囲気はなかった。ゆえにエルフリーデも楽な気持ちで挨拶をした。
「なるほど。そうでいらっしゃいましたか。ご無沙汰しております。ご三男と言うと、当家の次男とご同僚では?」
確か近衛騎士を務める次兄ライノアとの会話で、公爵夫人の話題が出たとき、『あの家の三男は同僚だ』と聞いたことがあった。たずねると、青年はやはり頷く。
「ライノア殿とは親しくさせていただいております。あなたのお話も、彼はよくしているんですよ。ご自慢の妹さんとうかがっています」
「そうですか……お恥ずかしい」
次兄が王城で自分の話をしているなど初耳。なんだか妹としては嫌な予感がして。どんな話やら、と、気にはなった、が……。それはあとで本人を問いつめればいい話。
「それで……本日はどうしてこちらに? ランセル師匠に御用ですか?」
「はい、そうなのです。ランセル殿とわたしの師は友人でして。ランセル殿の体調を案じた師に、様子を見てくるように頼まれたのですが……」
「おりませんか?」
エルフリーデが、おや? と不思議そうな顔で師の家のほうへ首を伸ばすと、オリスは「どうやら医師の診察中のようで」と、答えた。
「ああ、医師が来ておるのですか」
それならば、エルフリーデもしばし訪問を待たなくてはならない。どうしたものか、と、考えていると、オリスが言った。
「あの、診察はもうしばらくかかりそうですし……よろしけば少しお話いたしませんか?」
「ええ、かまいません」
「ありがとう」
頷くと、オリスは嬉しそうな顔をする。
なんだか人当たりのよいお方だなぁとエルフリーデは感心した。公爵家の子息にもかかわらず、偉ぶったところを少しも感じない。
まあ、できれば。立派な槍の持ち主である。話よりも槍の手合わせのほうが嬉しかったが。しかし、せっかく師を見舞いに来てくれた青年に、そんなことを唐突に要求するべきではないだろう。
エルフリーデは師を待つ間、庭の東屋でオリスとふたりで話しをすることにした。




