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14-3


 夕刻、エルフリーデは騎士団団営から歩いてランセルの道場へ向かっていた。

 人通りの多い露店街を通り抜けようとした時のこと。彼女はふと、誰かに見られているような気がした。

 露店街は、時刻的にも買い物客が多く、道の両側に立ち並ぶ店の前には、前掛けをした婦人や、仕事帰りらしい者たちが賑やかに行き交っていた。

 そんな往来で何やら冷え冷えとしたものを感じ、彼女はチラリとそちらへ視線を向ける。

 すると、露店の前で立ち止まっていた婦人たちが、何やら顔を突き合わせてコソコソと話をしていた。二人はエルフリーデの視線に気がつくと、パッと視線を逸らせたが、彼女のほうを見ていたのは明らかであった。しかし、知った顔ではない。

 婦人たちは、エルフリーデが通り過ぎていくと、その後ろでまた彼女を見ながら何ごとかを話しはじめる。

 ……そんなことが露店街を通り抜けようとする間にに幾度となくあり、これは……と、エルフリーデ。

 試しに幾組かのそばを通り過ぎた後、わざとゆっくり歩いて彼女たちとは別の露店の前で商品を覗くふりをした。そして聞き耳を立てると、町民たちの口から聞こえるのは、やはり自分の名であった。


「……あれが例の子爵の娘のエルフリーデ? 王太子殿下の後ろ盾があるとか言って、侯爵の家で好き放題やったっていう……」

「真面目そうに見えるのに……人は見かけによらないねぇ」

「でも、どうやら母親がいないらしいよ。常識外れはそのせいでしょう。親に礼儀を教わらなかったのね」

「やっぱり駄目ね。母親がいない子供は……」


 婦人たちは、そうしてフッと笑う。忍び笑う声を聞いて、エルフリーデの表情がわずかに曇る。

 彼女たちは、雑踏の中で、まさかその声がエルフリーデに届いているなどとは思ってもいないのだろう。

 しかし、騎士団のため、城下で情報を集めることもある彼女の耳には、それはしっかり聞こえた。


(……わたしが未熟なのはその通りだが……)


 両親のことまであれこれ言われるのは、さすがに少しつらかった。

 ただ、彼女は町民達に言い返す気はない。この事態はすでに父の耳にも入っていて、彼女は『冷静に対処せよ』と、命じられている。


『人にはさまざまな考え方があるものだ。いろいろと言う者もあるだろう。しかし、噂は噂。振り回されず、そのような意見もあるのだと真摯に受け止め、自分はやるべきことをやるよう努めなさい。目の前の物事に集中していれば、雑音にふりまわされることもない』


 エルフリーデも、父は正しいと思うし、そうしようと心に決めている。でも。

 やはり、母親がいない子供は、と、レッテルを張られるのは胸が痛い。

 それは、彼女がどんなに強くなろうとも、自分は欠けているのだと実感せざるを得ないこと。

 母という存在は、誰にとっても大きな存在で。この世に生を受けたものである以上、その影響力は子を大きく支配する。

 母が亡くなった頃、彼女はすでに物心がついていた。しっかり母を覚えているだけに、彼女の中には今も深い悲しみが残っている。

 エルフリーデは、背筋がいつもより重く感じて胸を張り直した。

 なんだかいつもより、姿勢を保つのが難しい。

 それでも深呼吸をして、胸を持ち上げ、出てきそうなため息を喉の奥に封じこめる。

 背後では、婦人たちがいまだ彼女を見て、正しいつもりの嘲笑を浮かべていたが、エルフリーデはもうその話を聞く気にはなれなかった。いつまでも聞いていると、表情に出ずとも心が痛くて、子供の頃に感じた悲しみが蘇ってしまいそうだった。

 彼女は早くこの場を離れてしまおうと思った。

 暗澹とした気分をふりきるようにして。歩調を早めると、ふいに、その背中に雑踏の中から上がったある声が届く。


「常識外れは貴様たちのほうだ!」

「!」


 高く上がったその声に。エルフリーデが驚いて振り返ると、往来のど真ん中に誰かが立っていた。

 何ごとだろうと目を瞠ってその誰かを見ていると、声をあげた青年は、先ほどの婦人たちを真っすぐに睨んでいる。どうやら……彼は彼女のために反論してくれたようだ。

 思いがけない展開に、エルフリーデは戸惑う。

 知り合いだろうかと思ってその顔を見つめるが……しかし、その姿形は記憶にはなかった。

 ……というか……彼は仮面をつけているのだ。

 顔半分を覆う銀色の犬の仮面。その異質さには、誰もが一瞬ギョッとする。

 しかし、そうした周りの反応はおかまいなしで、彼は厳しい言葉を続ける。


「母親を失ったのは子の責任か⁉ なんと心無いことを……人として恥ずかしいと思え!」


 どうやら犬仮面はよほど怒っているらしい。その大声の叱責で、往来中の人目が一気に彼らに集まった。突然衆目に怪訝な目を向けられた婦人たちは、慌てふためいている。


「真偽も不確かな噂で人を嘲笑う者こそ礼儀知らずじゃないか! 死者に対してもあまりにも無礼だ!」

「な、なんなのあんた……い、いきなり……!」

「や、やめなよ、変な仮面をつけてるよ、正気じゃないわ! 早く行きましょう!」


 女たちはそそくさと人垣に紛れて逃げていく。


「待て! 彼女に謝っていけ!」

「……あの」


 女たちを追いかけていきそうなその仮面の若者に、エルフリーデは声をかける。


「お気遣いありがとうございます。でも、いいんです」

「……いいことありませんよ。まったく……」


 と、仮面の目の穴の奥で、黒い瞳が呆れたように細められるのが見えた。その顔は、ずいぶん若い男のように見えた。

 しかし彼はそれだけを言うと、すぐにぺこりと頭を下げて、きびすをかえして去って行く。


「あ……君……」


 そのまま引き留める間もなく往来の向こうへ消えていく背中に。残されたエルフリーデはポカンとしてしまう。


(……お若いのになんと勇敢な……いったいどちらの若君なのだろう……)


 その仮面をかぶった顔を思い浮かべ、エルフリーデは首を傾ける。


(……ずいぶん可愛らしい仮面だったな……)



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