12-1 侯爵家の女主人
(これが例の神託の娘……? なんだか気が強そうだけど、華やかさに欠ける小娘ねぇ……)
彼女はエルフリーデたちに対応した執事から話を聞き、すでに二人の素性や目的を心得ている。
憎い女の息子で、目の上のたんこぶであるアクスルが、いったいどんな娘と結婚するのかとその顔を見に来たわけだが……。
贅沢好きの彼女の目には、騎士団の制服を着て装飾品のひとつも身につけていない彼女は、とても貧相に映った。心の中は愉快でたまらない。
(アクスルは、旦那様の姪のリシェルと結婚するのかと思っていたけれど……わたし達にとってはこっちの娘のほうが好都合ね……この子の父親は騎士団長だとはいえ、身分はただの子爵だというし……ふふ、お話にならないわ)
年中アクスルの母と角を突き合わせている彼女には、これほど愉快なことはない。
もしアクスルが、侯爵の姪、つまり候の弟の娘と結婚してしまえば、侯爵はよりアクスルを重用しはじめるだろう。しかし、相手が縁もゆかりもない子爵家の娘であるのならばその心配はない。
これなら自分が侯爵に頼み込んで、息子にもっと高貴な家の娘を娶れたら、もしくは、アクスルの代わりにリシェルを息子に娶れたら、自分の立場はいっそう確かなものになる。そればかりか、息子は次期侯爵の座も夢ではないかもしれない。
強い後ろ盾がさえあれば、それはけして手の届かない話ではない。何せ、現在アクスルは呪われている。いずれそれが《神託の花嫁》によって解かれるとしても、何らかの汚点となる可能性はある。
(ふふふ、あの女の悔しがる顔が目に浮かぶよう……まったく、呪い様様ね!)
すっかり気をよくしたカトリーナは、気分はすっかり侯爵夫人。
もしそうはなれずとも、侯爵の母ともなれば、自分はアクスルの母よりも立場が上になる。そう思うと、自然、態度は大きくなって、高慢さがにじみ出た。
アクスルの妻となる娘など、丁寧にもてなしてやるつもりは毛頭なかった。それどころか、今から序列を叩き込んでやるとさえ意気込んだ。
「それで? お前たち、謝罪は? 侯爵邸の女主人に一言もなくこの邸にもぐりこんで、ただですむとでも?」
その上からな言葉には、長兄は片眉を上げ、エルフリーデは目を細める。
「──はて。女主人とおっしゃいましたか? このお邸の奥方様は、侯爵夫人のウルカ・クヴァント様では?」
その問いに、カトリーナは鼻を鳴らす。
「何を言ってるの? この侯爵家の町屋敷の女主人はわたしよ。その女は侯爵に愛されてもいない、ただのお飾り妻なんだから」
わたしこそが、侯爵の本当の妻なのだと胸を張る女に……エルフリーデはそうですかと頷く。
「なるほど。……では、あなたのお立場は?」
「立場?」
動じず問い返してくる娘を密かに(生意気な小娘ね……)と、思いつつ。カトリーナは肩を揺らして笑う。
「まあお嬢さん、あなたも政略結婚をしようというのだから……わかるでしょう?」
カトリーナは意味ありげな視線で妖艶に笑う。その目には、あんたも貴族の娘なら、貴族たちが婚姻の影で愛人をつくる慣習くらい、言われずとも察しなさいよ、という小馬鹿にした気持ちが浮かんでいる。
──が。
エルフリーデは真顔できっぱり言い切った。
「わかりません」
「え……」
「いっこうに、わかりません」
その毅然とした言葉に、カトリーナがたじろぐ。エルフリーデの表情は、あくまでも淡々としている。
「申し訳ありませんが、わたくしめは愚鈍ですので、そのような曖昧なお言葉では理解できません」
「は、はぁ……?」
「はっきりおっしゃってくださいませんか。公式に認められた奥方様を差し置いて、女主人を名乗るあなたは、いったいどなたなのですか? ご家名は?」
「家名って……」
続けられた問いにカトリーナは口ごもる。
彼女は、もともとはこの家の使用人。侯爵の寵愛を受けてはいるが、貴族の娘でも裕福な家の娘でもない。エルフリーデの口調は、けして貴賤を問うているようなものではなかったが、カトリーナは自分の家名を名乗りたくはなかった。
それは、自分が庶民で、この家には正式に迎えられていないことを示してしまう。
この国では、側妻でも、結婚登記所に正式に届け出をして、夫と正妻の許可をもらっていれば、夫と同じ家名を名乗ってもよいことになっている。
しかし、彼女はそれを名乗ることを許されていなかった。
侯爵と、その正妻であるアクスルの母との取り決めなのである。
愛人はいくら作ってもいいが、互いの高貴なる一族のために、けして離縁はしない。
愛人は一族には、絶対に名を連ねさせないと。
この絶対的な夫婦の約束事のせいで、これまでずっと悔しい思いをしてきたカトリーナは、一気に憤怒してエルフリーデを睨んだ。
「わ、わたしは侯爵の妻よ! 子爵の娘ごときが……無礼な口を利かないで! 叩き出されたいの⁉」
気色ばむ婦人が怒鳴ると、背後の男たちがエルフリーデたちに向かって身構える。
……が、とたん、冷静な顔でそれを眺める娘の、その背後に立っていた長兄グリゴアが、アゴをあげて男たちの視線を撥ねつける。
(なんだ? やんのかおい?)と、言いたげな彼は、大きくて固そうな拳を握りあわせ、ゴリゴリ骨を鳴らしている。その喧嘩上等の筋肉男の威嚇には、男たちが揃ってたじろいだ。
……まあ、当然だ。
第四騎士団でも、名うての剛腕で知られた長兄は、戦場にも出たことのある猛者である。彼は現在、父の下で部隊長を務め、日夜王都の治安維持のために奔走している。
本物の死線を何度も潜り抜けた男の気迫には、王都でも格別に安全な高級住宅街で、邸を守っている程度の男たちでは、けして叶わない。
家人らが尻込みしているのを見て、しかしカトリーナは目を吊り上げる。
「ちょっとお前たち、何を怯んでいるのよ! わたしには旦那様がついているのよ! こんな小娘たちに……」
「おや。こんな小娘とおっしゃるのなら、やはり立場をはっきりさせましょう」
エルフリーデは、兄をなだめながら淡々と言った。
「な、なに……?」
小娘のはずが、この状況でこの冷静さ。自分はこんなにたくさんの使用人たちを従えているのに、彼女はそれを歯牙にもかけぬ態度。カトリーナは、次第にエルフリーデの真顔が気味悪く思えてきた。戸惑いを浮かべはじめた婦人に、エルフリーデは申告。
「わたしは、騎士団に身を置くしがない従騎士です。しかし、王太子殿下に望まれた、アクスル卿の婚姻相手でもある。アクスル卿を見舞うのは、当然なのでは?」
王太子と聞いてカトリーナは一瞬怯むも、引きはしなかった。
この侯爵邸の中では、侯爵に寵愛を受ける自分こそが主だとの自負は、よほど強いらしい。
「だったらなんなの……? 許可もなく邸に入ってきたのは事実でしょう⁉ 結婚契約も結ぶ前からもう侯爵邸を手に入れたつもり⁉ なんてずうずうしい娘! 選んだ娘がこんなに非常識だと知ったら、王太子殿下だって婚姻は取りやめとおっしゃるわ! なんなら強盗だと突き出してやってもいいのよ⁉」




