11-1 夢うつつ
アクスルは、夢を見ていた。
ずっと、暗闇の中で黒い何かに追われ続けている。
足元も見えぬような闇の中を、ただひたすら逃げて逃げて──やっとの思いで灯りを見つけて飛び込むと、明るいそこは、なんだか見覚えのある場所。
さして大きくもない見覚えのある建物と庭。門扉を入ってすぐの大きな建物は武術の道場で、庭を挟んだ奥には小さな平屋。敷地内からは、大勢の子供たちの声が聞こえてくる。
広い庭には無造作に緑が植えてあり、その中央には、土が踏み固められた広場があった。
まわりには、塀や建物の壁際など、そここに武具のたぐいが立てかけてある。
ここは、アクスルの最初の武芸の師の道場。
懐かしさと苦しさ、そして愛しさの蘇る景色だった。
彼は、王太子に仕える前、この道場に幼い頃から通わされていた。
ただ、座学のほうが好きだった彼は、剣術や槍術、弓術やらをやらされるのが本当にいやだった。
けれども父は『お前は第一王子に仕えるのだから』といって、彼を無理やりそこへ連れて行かせた。
泣いても父は取り合わず、母はそもそも出かけていていない。
代わりにいた父の妻を名乗る女は、初めは甘ったるく優しかったが、そのうち自身に子供ができると手のひらを返したように冷たくなった。
それでも侯爵家の嫡男として父の期待に応えようと、彼はその道場に日々通い続けた。ただ、それは彼が王城に上がるまで。
第一王子、つまり現在の王太子に仕えはじめると、アクスルは彼と一緒に王宮の指南役から指導を受けるようになり、以降はそこには通わなくなった。
でも、その場所のことは今でも鮮明に覚えている。
彼の記憶にその場所を印象深く刻みかけた日のことは、何度も何度も夢に見た。
彼は鍛錬用の槍を手にして庭の端で泣いている。
対戦相手の子供にコテンパンにやられた。
おまけに槍を持つ手は対戦中にマメが潰れてしまって、それが痛くて。悔しくて。
相手は彼より幾つも年下だったのに、恐ろしく強くて、ひ弱な彼ではとても歯が立たなかった。痛いやら、悔しいやら。悲しいやら。
そうしてアクスルが座り込んですすり泣いていると、ふいにその子がやってきた。
アクスルは、ついその顔を睨む。しかし、その子は勇ましく肩に槍を担ぎ、陽に焼けた顔で、ほがらかに笑って言った。
『くやしいのなら、君はのびるな』
その子は嬉しそうに言って、いつでも挑戦してくれと大人びた顔で言った。
アクスルは、年下の子供にそんなふうに言われたのがとても悔しくて。でも、そんなことを堂々と言えてしまうほどの自信を持つその子が、とても羨ましくて。あの晴れやかな顔は、今でも強く心に残っている。
アクスルは知っていたのだ。彼女が、自分よりもよほど真面目に稽古に取り組み、いつも自身よりも身体の大きな兄たちに挑んでは、容赦なく負かされていることを。
それでも彼女が泣き言を言っているのを見たことがない。
真っすぐ猛者に挑み、ボロボロにされて。それでも次の日には、同じように兄たちに臆することなく向かっていく。そうして少しずつ、でも着実に上達していく姿は、まぶしく……まぶしすぎでもあった。
アクスルは悔しかった。どうして自分は、あんなふうに一心に武芸に励めないのだろう。
──今では、きっとそれは、それぞれの向き不向き、適性や興味というものの影響だったと分かる。子供にだって、個性というものがある。やりたいこと、やれること、それは誰しも違う。
しかし、幼い頃の彼にはそれが分からなかった。
だから、そこにいた頃、彼は彼女に惹かれつつも、優しくできなかった。
とても尊敬し、そのひたむきさに憧れてはいたけれど、自分にできない努力ができる彼女が、まぶしすぎて。その輝きを見ないふりをして、彼女を避けることしかできなかった。
(……エルフリーデ様)
アクスルが夢の中でその名を呼ぶと、幼い彼女がこちらを向いた。
昔は今よりも髪が短く、前髪は眉の上で、後ろの髪は肩の上できれいに切り揃えられていた。その懐かしいあどけない顔が、夢だとはわかっていても、目の前にあることが嬉しい。
あの頃、こうして呼びかけることができたら、どんなに良かっただろうか。もしそれができていたら、きっと現在も少しは違ったはずだと思うと、苦しいほどに切ない。
分かっている。自分はあの頃の想いをこじらせている。だから、今でも彼女の前に出ると、どうしてもうろたえてしまう。
(でも、夢の中なら……)
夢の世界で、彼は幼い自分となり、彼女に真っすぐに思慕を向けた。
すると、微笑んだ彼女が、子供とは思えぬ丁寧なしぐさで彼に手を差し出す。
アクスルは、その手に手を差し伸べる。
彼女と同じ強さは持てなかったが、でも、勉強に励み、別の強さを身に着けてきたつもりだ。
(せめて、彼女を、称えられるにふさわしい強さを……)
そう思いながら、アクスルはその懐かしい姿の彼女に、そっと手を預けた。
「おや……」
エルフリーデは少々驚きながら、自分に向かって差し伸べられた彼の手を見た。
しばしの間、黙ってその寝顔を見守っていた彼は、寝台の上で薄く目を開け、彼女を見ている。熱に浮かされたような琥珀色の瞳は、何かを訴えているようだった。




