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「はあ、それであんなやつに化粧させたの? エル様ったら……相変わらず、豪胆ねぇ」
呆れたように言うアンナに、エルフリーデは平然と頷く。
「悔しいことに、やはりわたしよりディレクのほうがマシな腕前で。あいつはいつも神経質ですが、その分器用です。あいつに化粧してもらいながら、そのやり方を何度も観察させてもらったおかげで、わたしも少しは加減というものが分かりました」
やはり力の入れすぎ、色の乗せすぎだったとエルフリーデは嬉しそう。その顔を見たアンナは苦笑。
あんな皮肉屋に化粧をさせて、きっとその間も散々いろいろ言われたはず。それでも前向きに、ディレクへの愚痴もこぼさない……というか頭にもないらしい彼女には、感心を超えてときめきすらした。
「ああん、さすがわたしたちのエルちゃま♡」
「?」
急にアンナに抱きつかれたエルフリーデはキョトンとしている。その顔の化粧は、彼女が言った通り、さきほどの派手派手しさはなくなっている。それは彼女が目指していた優しげな容姿……とまではいかないが、色味的には確かにだいぶん改善されていた。
ただ、職員たちによると、この化粧に付き合わされたディレクは、その後ずいぶん疲れたようすで団舎に帰っていったらしい。
……まあ、気持ちは分かる、とエルフリーデは少し申し訳ない。
正直なところ、彼女も、もしアクスル・クヴァントに挑もうという気持ちがなければ、化粧などという苦手分野には取り組もうとは思わなかった。
ふと、エルフリーデがつぶやくように言った。
「……本当は……すこし抵抗があったんです」
今、自分が手にしているものを、昔亡くなった母が使っているのを見たことがある。
母が病で亡くなったあと、父は彼女の私物をすべて、家の奥の小さな小部屋にうつしてしまった。
きっと、愛する妻を亡くし、父も彼女を思い出す品物を見ているのがつらかったのだろう。
その小部屋に封印された数々のものたちは、エルフリーデにとっても悲しみの扉を開けるもの。
母が使っていた櫛。質素でも、小花やリボンといった愛らしい飾りがついた女性らしい服。父と出かけるときに必ずつけていた髪飾りやブローチ。そしていくつもの化粧品も。
どの品にも、果てしない悲しさと、苦しくなるほどの恋しさが宿っていた。
それらの遺品を、父が悲しみから立ち直るために仕舞ってしまった気持ちはよく分かる。
でも、その記憶は今でも彼女の中に小さなしこりとして残されていた。
ずっと、自分は近よってはいけないもののような気がしていたのである。
だからずっと、エルフリーデは女性らしい装いというものを生活に取り入れようとはしなかった。
──でも。
今、エルフリーデは、アクスルとの対話を目指している。
おびえたような顔ばかりの彼に、なんとか近づきたいと思うと、自然とやってみようかなという気がおこった。
化粧をした母はとてもきれいだった。
もちろん素顔の母もとても好きだったけれど、甘い色を頬や唇に乗せた母は、なんだかとても幸せそうに見えて。そんな母が好きだったことを、彼女はようやく思い出していた。
「……悲しい思い出ばかりではなかったんですよね」
そう言って、エルフリーデは微笑む。
ぜひ、自分が母に感じていた幸福感を、あの怯えきった小鹿のようなひとにも感じてほしい。
エルフリーデは、母の側にいたときはとても安心した。もちろんそれは化粧だけの力ではないだろうが、優しい母のような顔に近づけたらと思うわけである。
……ちなみにだが……。
最近アクスル・クヴァントの怯えた顔ばかり見ている彼女の中では、彼はもうすっかりいたいけな小鹿扱いである。
おそらくそんなことを、王太子の前や補佐官室で言えば、『正気か……?』と奇異な目で見られることうけあいだが。……ともかく。
アクスルをすっかりか弱い生き物扱いのエルフリーデは、アンナたちに顔を向ける。
「いかがですか? 少しは愛らしくなりましたでしょうか?」
と、人生経験豊富な婦人たちは、ふむふむと彼女を観察。
「そうねぇ……もうすこし目元の色を工夫したらいいんじゃない? 柔らかい色をつかってみたら?」
「そうね、それがいいかも。今みたいに黒でくっきり囲むと、エル様の目力が、引き立てられはするんだけど、ちょっと強そうにはなるわね」
アンナは、アイラインをばっちり囲んで、まつげを上げたエルフリーデの顔は、美しいがまるで女帝のような迫力がある、と、感想を述べた。
「なるほど、黒は、迫力が増す、と……」
それらの感想を、エルフリーデはふんふんと丁寧にメモ。その真面目さは、周りで見守るご婦人たちの笑みを誘った。
「では、また明日、仕事の合間にでも化粧品店に行き、また店員の方に相談してみようと思います」
「真面目ねぇ、あんまり根を詰めすぎて、化粧自体を嫌にならないようにね?」
「はい。でも、早くアクスル卿とお話ししたいですから頑張ります」
意気込むエルフリーデに、アンナがふと思い出したように言う。
「ああ……そういえば……アクスル・クヴァント卿と言えば、お倒れになったとかきいたけど……?」
「え」
思いがけない知らせに、エルフリーデは驚いたようにメモから顔を上げる。
「……初耳です。いつの話ですか……?」
「ええとね、」
真剣な顔で問い返してくる娘に、アンナは、騎士たちが話していたという話を聞かせてくれる。
「副団長が王城に使いに出たときに耳にしたと聞いたわ。多分、昨日のことじゃないかしら。なんでも表向きは、エル様との婚姻準備で補佐官の仕事をお休みになるってことらしいのだけど……その実、お加減が悪いんじゃないかって噂みたい。王城の廊下を、破裂しそうな顔でよろよろ歩いていらっしゃったらしいわ」
アンナの説明では、彼は王太子の筆頭補佐官として注目される存在で、現在呪いの件もあって、今は人の噂に上りやすいとのこと。
「だから、もしかしたら誇張されているところもあるかもしれないけれど、廊下で具合が悪そうだったのは本当みたいよ」
その言葉に、エルフリーデの眉尻が下がる。
「ああ、わたしも聞いたよ。はじめは呪いのせいでご危篤になられたほどだったから、また容体が急変するのではと、王城では心配されているんですって」
「まあ、心配っていうか……あの方には敵も多いと聞くから、倒れるのを虎視眈々と狙っている者たちも多いんじゃないの……? あの方の不在は、たぶん王太子殿下にとって結構な痛手よ」
現在この国には、王太子のほかに二人の王子がいて、それぞれを推す派閥がある。
例のアクスルの呪いも、対立する派閥の攻撃ではないかと言われているが、いまだ誰の仕業だったのかはわかっていない。
また何かが起こらなければいいけどと、不安そうなアンナたちの話を黙って聞いていたエルフリーデは、ふいに椅子を立った。
「エル様?」
「……化粧にお付き合いいただきありがとうございます。わたしは……父の所へいってきます」
そう言ってぺこりと頭を下げたエルフリーデは、足早に作業場を出ていった。




