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どうやら本日は母ウルカに軍配が上がったらしいが……とはいえ、アクスルにはもうどちらだってよかった。
それよりも、さっさとこの場を退散したい。彼女たちのキンキン声の応酬を聞いていると、非常に精神が削られる。
この騒ぎを見れば明らかだが、侯爵夫妻は、すでに関係が破綻している。
アクスルは、言い争う二人が自分を見ていないことは分かっていたが、二人に深く頭を下げてからその場を足早に離れた。
彼も口が利ければ、二人のみっともない諍いを平定しようとも思うのだが、口という武器を欠いている現状では、それはあまりに煩わしい。筆談などでは、あの二人の弾丸トークには敵いやしないのである……。
急いで私室に逃げ込むと、アクスルはやっと少しホッとする。しかし同時に、途方もなく疲れてしまった。
到着直後の騒動のせいだろう。心には冷え冷えとした風が吹きすさび、身が凍るようだった。そんな頭に浮かぶのは……やはりエルフリーデのこと。
(……こんな家に、エルフリーデ様をお迎えするなど……やはり嫌だ……)
素晴らしい彼女には、もっと温かな家こそふさわしいと思うのだ。
こんな、大きいだけの、刺々しい者たちが集う、陰鬱で寂し家なんて、彼女には釣り合わない。
それに、と、アクスルは、母たちを苦々しく思い浮かべる。
彼女に、あの薄情な母を義理の母と敬わせ、軽薄な父の愛人を目上と尊重させるなんて、絶対に嫌だった。
やつらは、自分たちの邸に新しい女がやってくれば、絶対に口出しをしてくるだろう。あんな口汚い諍いなど、彼女に聞かせたくない。一瞬たりとも、あの女たちには関わらせたくないのである。
そして彼が何より恐れるのは、もし、自分と彼女が政略結婚をして、父と母のような冷え切った関係になってしまったら……ということ。
顔をあわせても、素知らぬ顔で無視をしあうような……互いを空気か何かと思っているかのような、あんな関係になってしまったらと思うと。アクスルは、たまらなく怖かった。
あの者たちに挟まれての暮らしは、針のむしろのようだった。
(…………はぁ)
久々に母とカトリーナを見て、よけいに気疲れを感じたアクスルは重い体を引きずって部屋の壁際にある長椅子に腰を下ろした。
背もたれに身を預け、広い室内へと視線を巡らせる。
我ながら贅沢な部屋である。しかしそこから彼が感じるのは、氷海の底のような冷たさと、薄暗さ。
おそらく、ここで過ごしてきたぬくもりのない思い出の数々が、そう感じさせるのだろう。
身をむしばむようなこの冷たい邸には、安らぎなど何一つ感じられなかった。
そしてアクスルはため息を吐く。
(……やはり、この家も、わたしも、エルフリーデ様にはふさわしくない)
自分に与えられた居間に戻った侯爵の愛人カトリーナは憤怒していた。
怒りに任せて手あたり次第に物を投げる。クシやクッションなどはまだしも、茶器を投げ割り、飾ってあった花瓶にまで手を掛けたのを見てお付きの女中は大慌て。
「あの女……本当に忌々しい!」
「お、落ち着いてください奥様。あんなのいつものことではありませんか……」
放っておきましょうとなだめる女中に、カトリーナは噛みつく。
「だってあの女、イエルのことを出来損ないだなんて言ったのよ! しかも、わたしのことを太っていると笑ったわ!」
そう怒鳴って、カトリーナは、女中にそれとなく取り上げられた花瓶の代わりに目についた書物を床に叩き落とした。まるで“あの女”を引っぱたいているつもりかのような一撃は痛烈。
「少しやせているからって偉そうに……! ああ、腹が立つ! それにイエルだって正真正銘侯爵の息子なのよ⁉ ちょっと自分の息子が王太子のお気に入りだからって……! っ許せない!」
「奥様……お声が大きいです。アクスル様に聞こえてしまいますよ……」
女中はアクスルの冷淡な性格を怖がっているようだが、しかしカトリーナは鼻を鳴らす。
「あの子に母親を守るような情がある訳ないじゃない。アクスルは母親に似て冷血漢だもの。それに、どうせあの子は今口がきけないじゃない。面倒がって部屋から出てきやしないわよ」
そう言い捨てカトリーナは目を細める。そのダークブラウンの瞳は、憎しみをギラギラと湛えている。
「まったく……アクスルの呪いがもっと強かったらよかったのに……! そしたらイエルが侯爵の跡取りになれたかもしれない……どうせなら口だけじゃなく、目も耳もつぶれてしまえばよかったわ!」
まったく惜しいことをした、と、女は酷薄な顔で吐き捨てた。




