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それはほんの一瞬の出来事。流れるような所作であった。
エルフリーデの腕のなかで、アクスル・クヴァントが大きく瞳を見開いて愕然としている。
彼は力一杯走り出したはずが、あっさりと引きとめられ、いつの間にか逃げ出そうとした女性本人の腕の中に。その状況に……彼は絶句。
呆然と見上げる先には、エルフリーデの空色の瞳。静かで聡明そうな瞳に、怪訝に見つめられ。彼は、ただひたすらそれを受け止めることしかできなかった。
「お、おぉ……」
着席したままこの状況を見守っていた王太子も、二人が見つめ合うさまを口を開けて言葉を漏らす。
それは、誰もがつい見入ってしまうほどの様になりよう。
アクスル・クヴァントを抱き留めたエルフリーデの凛々しさは、まるで乙女を支える騎士のようだった。彼女の長い手足も手伝って、それはさながらロマンス劇のよう。王太子も思わず感嘆のため息。……まあ、乙女と表するには、アクスルは、いささか高身長すぎる気もするが。
ともあれ。
室内はしんと静まり返り……。そんな中、ただ一人平然とアクスル・クヴァントを見下ろしていたエルフリーデは、ふと不思議な感覚に駆られる。
手のひらに触れるサラサラとした銀糸の髪。その感触が、彼女の記憶のどこかをかすかになでていった。
(おや?)
自分を唖然と見上げる琥珀のような瞳を、どこかで、同じように見下ろしたことがある。……そんな気がした。
しかし、それがいつ、どこでといった具体的なものは何も思い出せない。
彼女は普段から、兄らが呆れるほどに異性に興味がない。
任務でもなければ、どんなに見目麗しい男女が相手でも顔を覚えるということをしない。相手の持っている武具類は細部まで克明に覚えているというのに。美男にはからきし興味がないのである。
(?)
エルフリーデはなんだか少し不思議に思ったけれど、まずは現状をと思いなおした。
腕の中の御仁を見つめ、問う。
「失礼いたしました。アクスル卿、大丈夫ですか?」
しかし、やはり反応はない。
氷のように固まって自分を凝視する男は、反面顔はとても赤い。その顔色を見たエルフリーデは、熱でもあるのだろうかと、つかんでいた彼の手首の上に、つと指をすべらせる。彼の手はとてもひんやりしていた。
(? なぜこんなに緊張を?)と、思いつつ脈を探ると、彼の身の硬直は余計にひどくなった。おまけに、彼の脈は異常に早く、身体の温度が急上昇。
「む……」
エルフリーデは、これはいけないと心配そうな顔。そばでなぜかうっとり自分たちを見ている王太子に報告した。
「殿下、やはりアクスル卿はお加減が悪いようです」と、王太子がハッと我に返る。
「……え? あ、そ、そうなのか⁉ そやつはさきほどまで、すさまじく元気にわたしに小言を紙に書き連ねていたから……てっきり体調はいいのかと……油断していた! す、すまないアクスルッ!」
人がいいと評判の王太子は、顔をしわしわにして悔やんでいる。
彼はすぐさまそばに控えていた者に、医官を呼びに行くよう命じた、が……それをまたもやエルフリーデが止める。
「いえ、殿下。ここはわたくしめがお運びいたしましょう。医官が来るよりもそちらのほうが早いはずです」
筋力と脚力には自信がある娘は、申し出るや否や、颯爽と床から立ち上がる。
……もちろん。アクスル・クヴァントを抱いたまま。
その光景には、またもや王太子や、そばにやってきた従者たちが感動の声を漏らした。
「お、おお……」
アクスル・クヴァントは、なかなかに高身長な貴公子である。どちらかと言えばスマートな体格とはいえ、背が高ければそれなりに重量がある。
それが……目の前で令嬢に軽々と抱き上げられたとあっては、彼らが驚くのもしかたがなかった。
しかも、その娘の顔には、重さに苦しむようすが微塵もないのである。
まるで子供でも抱き上げたかのように、そうするのが当然という顔で補佐官を横抱きにした娘に、王太子は思わず両手をパチパチと打ち付けた。
「す、すごいなエルフリーデ嬢! なかなかの怪力……」
「おそれいります」
「さすが武門バルヒェット家のご令嬢……なんという頼もしさ! ……だ……?」
けれどもここで、令嬢の腕の中を見た王太子の目が点になる。
アクスル・クヴァントが……そこで、白目をむいて死にかけていた……。




