7-2
エルフリーデは、彼らの諦観のにじむ表情を不思議に思ったが。
ひとまず安心してアクスルに視線を戻し、その横顔を見つめた。
昨日は戸惑うばかりで、ほとんど彼をじっくり眺める暇がなかった。
しかしこうして見ると、真剣に何事かに取り組む横顔はとても知的で整っている。意外にまつげも長く、銀の毛先が琥珀の瞳に影を落とし、その陰影が美しかった。
エルフリーデは不思議に思う。
こうして見る彼は、とても自信と信念に満ちた青年に見える。
おまけに彼には王太子という後ろ盾があり、侯爵家の跡取り。
そんな立派な貴公子が、自分から小動物のように逃げていく理由がひとつも分からない。
(……いや、血塗れだったことはその理由になるかもしれないが……)
王城で働く補佐官ということは、おそらく彼は座学が苦手なエルフリーデよりもよほど学があり、弁も立つはず。いくら縁談が嫌でも、転がるように逃げる必要などなかったように思うのだ。
(本当に……いったいなぜなんだろうな……やはり血なまぐささが気になられた? それとも身分差が気に入らない……? もしくは、わたしの容姿がお嫌いなのか?)
昨日の血の匂いと身分のことは、もはやどうしようもないとして……エルフリーデは、自分の容姿についてはあまり自信がなく少しドキリとした。
いや、自信がないというよりは、縁談というステージにおいて、役に立つような外見を整えられている気がしないのである。
任務中の汚れは別として、平時は清潔にはしているつもりだが、巷の令嬢たちに比べるとおそらく彼女の手入れは、美に特化していない。
完全なる清潔さと動きやすさ重視主義。
服装は未だに兄らのおさがりを着ていることもあるくらい頓着がなく、外出のときは団服か、それではダメなときは騎士団の団舎に働きに来ている近所のご婦人がたに適当に見繕ってもらうのが常のこと。
それが人にどう思われるかは、あまり考えたことがなかった。
……ただ、これは本人は気がついていないことだが……。
その実、凛々しい顔立ちの彼女は非常に男装が似合う。
兄らが破いてよこしたお下がりの服も、自分できっちり繕ってから着ているし、そのうえで生真面目な彼女が清潔感を追い求めれば、それはそれなりにさまになっているのである。
とはいえ、そこにはいわゆる“女性らしさ”は意識されてない。
清潔さも突き詰めれば、爽やかに香る色香となりうるが──そんなことは考えたこともなかった。
(容姿か……)
この懸念に、エルフリーデの平静な眉間に小さなしわが一瞬浮く。
例のリシェル嬢に盛大に罵られたこともあって、自分の美醜が縁談に差しさわりを与えているのなら、これは少々改善が必要かもしれないと感じはじめた。
腕を組み、うーんと考える。
(己の怠慢のせいで、王太子殿下のご期待に沿えないのは申し訳ないな……)
目の前の御仁は、彼女から見てもしみじみ整った容姿であり、洗練された身なりをしている。
彼を眺めていたエルフリーデは、そこに感じる努力を思いふと切なくなる。
(……苦労して補佐官になられたのだろうに……)
それなのに、道半ばで呪われて死ぬなど絶対に無念なはず。それが例え主を守ったうえでのことであろうとも。
彼女の母は若くして亡くなった。
夫と子供を置いて死なねばならなかった母の無念を思うと、アクスルの呪いの件もなんだか放っておけない気持ちになってきた。
彼女の目の前で、彼はその辛さをおくびにも出さず一心に仕事(?)に励んでいる。その姿勢にはとても感心した。
「……」
しばし黙って、アクスルの少しうつむき気味の横顔を見つめていたエルフリーデは、ふいに肩から力を抜く。
なんだろうか。
ここへ来てずいぶん経ち、彼のそばにいることに慣れてきたのか……とても気持ちが穏やかであった。不思議なほどに、自分の相手もしてくれない彼の傍らにいることが苦にならない。彼から放たれる熱心さは心地よくすらあった。
(……本当に……いったい何にそんなに真剣にとりくんでおられるやら……)
のんびりと彼を観察していたエルフリーデは、ふと自分がいつの間にか微笑んでいるのに気がついた。
なぜか一生懸命な姿が、とても可愛らしいような気すらしてきて──ひとり首をかしげる。
(?……小鹿とか、小動物とか。彼を愛らしい生き物にたとえてしまったせいか……?)
……もし、この素朴な疑問を、彼女をアクスルに引き合わせた王太子が知れば、たいへん仰天したに違いない。
エルフリーデはのんきにアクスルを見つめてほのぼのしているが、彼は彼女より年上であり身長も高いしかめっ面男。
しかも、彼女は先日この男に、盛大に『無理!』を叩きつけられたばかり。
……にもかかわらずのこの強心臓は、ガサツ極まりない兄らに揉まれて育った彼女ゆえだった。
そんな彼女とアクスルを、それとなく周りから観察していた補佐官たちも、エルフリーデが彼らの危惧よりずっと穏やかにアクスルのそばいることに戸惑いを滲ませている。
熱心過ぎて顔が鬼のような男と、その傍らでなぜかとても慈悲深い顔でどっしり構えた令嬢。
エルフリーデ自身がこの状況をいたって(穏やかだ……)と、感じているのとは裏腹に、周りはずっと彼女がいつリシェルのように怒り出さないかとハラハラしていたのである。ゆえに、彼らは彼女の落ち着きが信じられない。なんだか逆に怖いのである。
さて、そうしてすっかり水をうったように静かになってしまった補佐官室。
室内にはアクスルが必死にペンを動かす音だけが響き、その音に心地よく聞き入っているエルフリーデ。
けれどもそんな穏やかな時間(※エルフリーデのみ)は、彼女が彼の書いている文字にふと視線を落としたことで、終わりを告げた。




