4-1 アクスルの“推し”
同時刻、王城。
「アクスル! あ、あ、あれはいったいどいうつもりだ⁉」
王太子が、やっと捕まえられたアクスル・クヴァントに、憤慨して詰めよっている。
多少ハプニングがあったとはいえ、縁談の席で、あんな逃げ出し方があるだろうか。
残された令嬢エルフリーデの気持ちを考えると、普段は温和な王太子の声も、自然言葉が厳しくなる、が。
彼の詰問にも、執務机の向こうにいる男は顔を上げもしない。
「アクスル! ……、……ア、アクスル……?」
うなだれ、肩を落とした男は、まるでその背に絶望を背負っているかのようだった。これには彼の所業に腹を立てていた王太子も戸惑う。
アクスルは、普段は冷徹なほどに規律や規則に厳しい男。それが、主である王太子の声にも反応しないなど、ありえないことだった。
ゆえに王太子は、見る見る落胆し、彼に悲しそうに問う。
「そ、そんなに彼女が気にいらなかったのか……?」
しかし王太子がそう言った瞬間、アクスルが急に顔を上げた。つり上がった琥珀の双眸が、鋭く王太子を睨む。その目には並々ならぬ気迫がにじむ。その鬼のような表情を見た王太子は、あ、これは何か叱られるな、と、反射的に身構えた。
彼とアクスルは幼い頃からの付き合いで、主従ではあるし、アクスルは忠臣なのだが……。
しかし忠臣がゆえに、彼は時に王太子にすらとても厳しくある。
もちろんそれも二人が親しいがゆえのことで、アントンを立派な国王にせんがためのことだが。
アクスルは口を開き、激しく何かを言おうとして。しかし声が出ないことを思い出したらしく。彼はもどかしげな顔で、そばにあった紙に猛烈な勢いで何かを書き連ねはじめた。その手元を、王太子が「な、なんなんだよう……」と、恐々とのぞきこむ、と。
『気に入らないなどという次元の話ではありません!』
『殿下はなんということを……』
『まさか、あの方にわたしとの縁談を持ちかけるとは……‼』
と、ここまで書いて、アクスルは持っていたペンを、いらだたしげにバンッと卓上に叩きつける。
そのキレっぷりに、王太子は怯えて涙目。周りで仕事をしていた補佐官たちも、いったい何事かと、戸惑ったようすで事態を見守っている。
「ど、どういうことだ……? わたしが何を間違ったと……? エルフリーデ嬢は、神託の通りの娘で、気立てもいい(血塗れだったけど)。いったい何が不満だ⁉ お、お前の妻として申し分ない娘では⁉」
王太子が訴えると、彼が『お前の妻』と言ったのを聞いて、アクスルの目が吊り上がる。その鋭利さに王太子がギョッとしたのをよそに、彼は震えながら再び机に沈み、そのまま卓上に頭を落とした。
ゴツッと痛そうな音に、王太子の口から「ひぇっ」と声がもれる。
アクスルは、卓上に散らばった書類の上で、ぶるぶる震えている。これは……あまりにも不気味。
王太子がもはや涙目で絶句していると。身を震わせていたアクスルが、よろよろと手を伸ばし、そこにあった書類に文字を書く。息も絶え絶え、いつもの彼の達筆からは想像もつかないようなヨレヨレの字で、
『つま……』と、一言。
その文字には、何やら言いようのない苦悩がにじんでいた。
これには王太子も困惑。
これはいったい何事だ。自分の補佐官に、いったいどんな危機が訪れているのだと。アクスルは、自分が、死へ向かう呪いをえたと知らされた時ですら、もっと冷静であった。
それなのに、妻が決まったというだけでこの有様。
もう怖すぎて、不安過ぎて。とても黙っていられず、王太子は悲鳴のように問いただす。
「は、はっきり言えアクスル! いや、書け! エルフリーデ嬢がいったいなんだというんだ⁉ あの者に何か問題が⁉」
するとアクスル・クヴァントは、一瞬だけ怯んだような顔をして。それから決死の覚悟……という顔で、紙にペンを走らせた。
王太子が恐る恐るその言葉を読む。
「……“問題などあるわけがありません! 彼女は、わたしの……わたしの推しですよ!”……な、何⁉ そうなのか⁉ お──…………?」
一瞬、アクスルの勢いに押されてつい驚いてしまった王太子は、ここではたと止まる。
「………………アクスル、推し、とはなんだ……?」
高貴なる殿下は、城下で若者たちが使う流行り言葉などご存じではない。




