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Echo 26 『 anDante 』


https://open.spotify.com/playlist/6bFZdpvxKZC0kdREsooTmc?si=a1feec7479d64356


対応番号 : 43



 過去の記憶も、今の記憶も全て手放し、忘れようとしていた。

 逃げるためじゃない。ただ自分が自分で無くなるように。




 暴風で荒れ果て、バリバリと雷鳴がとどろく。その嵐の海に身を投げ捨てるように、どんどん深くへ沈んでいく。深海の奈落に沈む、あの全身を押し潰すような(つめ)たい水圧が、再び俺の肌を(つつ)()む。なのに、なぜか身体の(しん)だけが異様に熱い。


 空中に出現した火炎の天秤が、パチパチと音を立てながら、片方に大きく(かたむ)く。次の瞬間、暴風のような激しい海の渦に巻き込まれ、俺の身体は上下左右も分からぬまま、もみくちゃに翻弄(ほんろう)されていた。


 その渦の最深部に吸い込まれると、光が不気味に反射する万華鏡(まんげきょう)のトンネルに入り、壁面に(ゆが)んだ自分の(みにく)い姿がいくつも映し出された。自責する四方八方の声で、理不尽に対する激しい怒りと、やりきれない悲しみが、胸の奥からカッと込み上げる。その(みにく)い姿から(のが)れようと必死にもがくと、俺はいつの間にか、(なま)ぬるい煙の立ち込める燃える墓場に立っていた。


 そこには「佐野(さの) 甘奈(あまな)」の名前が、石碑(せきひ)に深く刻まれていた。その墓場の石に向かって、(すが)るように手を伸ばした瞬間、身の皮膚をじりじりと焼きただせるような、灼熱(しゃくねつ)の砂嵐が上空から容赦(ようしゃ)なく降り(そそ)いだ。息が出来なくなり呼吸が無くなる。視界が点滅(てんめつ)していき、意識がフェードアウトしていく。




 そうして砂嵐の上方へと力任せに投げ出されると、俺はあの、肌にペトリと張り付くような湿潤(しつじゅん)洞窟(どうくつ)の中にいた。




 しかし、強烈な違和感を覚える。




 暗闇の壁面から、無数の不気味な目と口がヌッと生え出て、口々に、ありもしない虚言(きょげん)と妄想の罵詈(ばり)雑言(ぞうごん)を、俺の脳内へ直接投げつけてきた。




「お前のことなど誰も必要としない」

「役立たず」「人ですらない化け物」

「出しゃばんじゃねぇよ気持ち悪い」

「助けられなかったくせに」

「英雄気取り」「めった〇しにしてやる」

「屠〇してやる」「卑怯者」「生きる資格はない」

「どうせまた同じ失敗でしょ」「裏切者には〇を」

「呆れた」「人として最低だ」「クズ」

「ゴミでも食ってろ」「なんでお前が生きている」

「お前のせいだ」「虐〇に値する」

「お前の正義は偽善だ」「誰も幸せになれない」

「同じ空気すら吸いたくない」「視界から消えろ」

「存在価値のない障〇者」「遺伝子から間違えている」

「出来損ないの社会不適合者」「人間やめたら?」

「間引かれて当然の人間」「まだよちよちかな?」

「化け物風情が人間を語るな」

「怪物が言葉を喋るなんて面白いね」

「言葉を発するなよゲロくさい」

「人みたいに笑ったらどうだ?笑えよ」

「怪物でも怖がんのか?何とか言ってみたらどうだ?」

「つまんねぇこいつ、ちゃんばらごっこしようぜ」

「偉そうにして何にもできないくせに」

「きっしょ」「差別差別と騒ぎ立てるバカですかぁ?」

「犬の〇〇でも食ってろ」「コンクリ詰めして沈めてやる」

「触るのですら穢らわしい」「お前の居場所なんてねぇよ」

「きみぃようちえんせい?」「お前の優しさなんて所詮ゴミ」

「ゴミに失礼」「クソワロタ」

「ネットのおもちゃにしない方が失礼」

「こいつ晒し首にしようぜwww」「そんなこと言ってない」

「非難するしか能のない無能」「生物として失格」

「脳みそあんのか?」「轢き〇してやる」

「〇す価値もないゴミ未満」




「やめろ!!やめるんだ!!!!」

 俺がどんなに耳を(ふさ)いだところで、その声は止まることは無かった。耳を(ふさ)いだまま(うつむ)き、ただ両眼を閉じて暴言の嵐が過ぎ去るのを待っていた。


 気付くと、(まばゆ)い光を放つ球体が上方にいつの間にか現れ、俺の喉元から体内へと無理やり(すべ)り込み、身体の芯から細胞一つ一つが爆発するように光り(かがや)いた。






 すると、俺は一切の音がない、真っ白な世界に立っていた。目の前には、後ろ姿のまま静かにしゃがみ込んでいる甘奈(あまな)の姿があった。


 俺は(こわ)くてただ(うつむ)いていた。




由記(ゆうき)君、おいで。私と1つになろう」




 スッと彼女が立ち上がり、その足元が視界に入る。俺の耳元で、ゾクゾクとするような甘ったるい(ささや)きが、皮膚を()でるように聞こえる。




「私だけは、あなたを許してあげる」




 俺はただ、誰かに許されたかっただけなのかもしれない。(わら)をも(すが)るように彼女の顔を(のぞ)き込んだ、その瞬間。






 (くちびる)隙間(すきま)から、ドロドロとした真っ赤なザクロの果肉(かにく)(のぞ)き、生温かい液体が(あご)へと赤く(したた)り落ちる、甘奈(あまな)の顔がそこにあった。


「うぐっ…!!?」


 俺はその鮮烈(せんれつ)すぎる赤色を目にした瞬間、胃袋を直接素手(すで)(えぐ)られたような、強烈な吐き気と不快感に(おそ)われた。


由記(ゆうき)君、どうしたの?」


 彼女の赤く染まった、(つめ)たく湿(しめ)った手が、俺の(ほほ)にピトリと当てられる。俺は全身の細胞でそれを拒絶しようとした。こいつは甘奈(あまな)じゃない。()()()()()()()()()()()()()。その不気味な、得体の知れない何かの存在に、俺は心臓を冷たい爪でギュッと(つか)まれたかのような、根源的な恐怖を覚えた。


「ねぇ、こっち見て?」


 俺は恐怖のあまり、両目を強く閉じることしかできなかった。

(もうやめてくれ、俺はもう、罪悪感だけで押しつぶされそうなんだ……)


 しばらく耐えていると、甘奈(あまな)のような何かの、あの肌を刺すような圧倒的な存在感が、不意に消えたかのような気がした。


(だ、大丈夫なのか……?)


 恐る恐る、薄目をあけて視界を戻すと、そこには ──






 自分の両手がべっとりと赤黒い血まみれになり、甘奈(あまな)(ひど)く似せて作られた、(つめ)たい木製の(あやつ)り人形が、俺の腕の中でガタガタと横たわっていた。


「う、う……うわぁぁぁああああああああああああ!!!!!!!!!!」




 過去の断片が頭の中で(はげ)しくひしめき合い、胃袋の中でドロドロにごちゃ混ぜになる。




 あの頃の、なんてことのない楽しかった思い出。

 今まで忘れてしまっていた日々。

 血反吐(ちへど)を吐き、骨を折られながら苦しんだあの凄惨(せいさん)な戦い。

 自分の身を(てい)して、ただ信じて突き進んだはずの道。

 目の前で甘奈(あまな)がいなくなった瞬間。




 仲間たちが次々と消え去り、失望しきった冷淡(れいたん)な顔で俺のもとを去っていく。


「待ってくれ……みんな……なんでだよ。俺を利用してたのに、どうしてそんなことが出来るんだ!!?」




 暗闇の虚空(こくう)に向けて、俺の枯れた叫びが(むな)しく響く。




「なんでだよ……俺が部活してるところを見てみたいって、言ってたじゃねぇか!!」

「やっと思い出したんだよ……由依(ゆい)が遅刻して俺にぶつかった時なんかも、どんなくだらないことでも一緒に笑ってくれて」

「いつも一緒に帰ろうって、言ってくれてたじゃないか……」

「なぁ……なんとか言ってくれよ……」




 (ひたい)を冷たい地面に何度もこすりつけ、無気力に(こぶし)を床に叩きつけても、硬い感触が()ね返るだけで、何一つ反応はない。俺は力なく、地面にそのままの姿勢から倒れ、横たわった。思考も、感情も、信念も、記憶も、何もかもがもぬけの(から)になった俺の身体には、空虚感ですら手に余るほど、重苦しいものだった。


 自分の存在を全否定することそのものが、かつて自分が存在したことを逆説的に認めてしまう。存在したことを否定するのをさらに否定したとしても、やはり否定しようとした(みにく)い事実を認めてしまう。そうした事実のすべてを無視してしまうこともまた、否定という概念の存在を肯定してしまう。




 この(ぬぐ)いきれない罪は、俺の全身を黒く染め上げていく。

 あの赤い空が、今も上空から俺を冷たく見つめている。

 無数の冷徹(れいてつ)な眼が、善を成そうと、俺を悪に染め上げる。




 残されていた感覚が、起き上がる。まるで生きたいと願うかのように。虚空(こくう)に向けて震える手を伸ばし、何もないはずの空間で、何かを(つか)もうとする。すると、何もなかったはずの指先に、(おどろ)くほど大きな、確かな(ぬく)もりが触れた。俺はその(いと)おしい温度を確かめるように、手繰(たぐ)り寄せる。




「あなたは、どんな人になるのかな」




 その声が響いた瞬間だけ、この世の一切を忘れられる、何者でもない絶対的な安心感が全身を包んだ。漆黒(しっこく)の闇が全身を包み込み、底へと引きずり出していく。完全に暗転した世界の中で、小さな光の粒子たちが、静かに歌うように明滅(めいめつ)する。足元から芽が生え、それは(またた)く間に俺の身体を取り込んで、巨大な樹木へと成長していく。樹木と完全に一体化した俺は、もはや思考を止め、ただそこに静かに存在していた。


 光来(みく)がその樹木の存在に気付き、歩み寄ると、自身の庭にあったオリーブの枝を3本、その根元にそっと()えた。そこへ、(まばゆ)い光を放つ黄金の鳳凰(ほうおう)が静かに降り立つ。光来(みく)は胸の前で両手を合わせ、静かにこう言った。




「あなたに完璧な勝利を」




 その瞬間、全身がカッと赤く染まる。木々は激しく燃え上がり、鳳凰(ほうおう)の黄金の羽がみるみるうちに融解(ゆうかい)し、俺の右腕が、燃える木の枝とドロドロに融合(ゆうごう)していく。その木はいつしか鋭利(えいり)な剣の形を成し、()えたぎる灼熱(しゃくねつ)の炎と化す。その(すさ)まじい光が辺りのすべてを包み込み、世界を照らして暗闇をも飲み込んだ──まさにその時。











「……ハッ!?」


 唐突(とうとつ)に、俺は激しく息を吸い込んで目を覚ました。

 コンッコンッコンッという時計の秒針の音が、静かな和室に規則正しく響いていた。


「…戻った、のか」


 俺は、右手のひらに、汗ばんだ温かい肉体の感触をしっかりと(つか)んでいるのに気が付いた。視線を落とすと、そこには実李(みのり)が、看病の途中で力尽きて寝落ちしたかのように、俺の手を両手でぎゅっと握りしめて眠っていた。俺がその右手の中にあるものをそっと確かめると、そこには、いつの間にか一榎(いちか)のあの冷たく硬い、黄金(おうごん)の羽が握られていた。


「気のせいなのだろうか…」

 先ほどまで脳を焼いていた、あの(おぞ)ましい悪夢を思い出す。

 だが、俺の手のひらには、確かにあの感触が残っていた。


 ── いや、嘘だ。気のせいなんかじゃない。

 思い出した瞬間、喉の奥から強烈な胃酸の酸っぱさが逆流し、俺は実李(みのり)に気付かれないよう、慌てて左手で口元を強く押さえた。身体がガタガタと拒絶反応を起こして震える。視界の(はし)には、さっきまで俺を罵倒(ばとう)していた無数の口や、血まみれの甘奈(あんな)の人形が、まだべっとりと焼き付いて離れない。心臓が早鐘(はやがね)を打ち、冷や汗がシーツに染みていく。


 許されたい。楽になりたい。いなくなってしまいたい。

 その泥泥とした本音が、まだ俺の足首を(つか)んで奈落(ならく)へ引きずり込もうとしている。甘奈(あまな)を救えなかった。その罪の重さに耐えかねて、今すぐにでも自分の首を絞め落としてしまいたくなる衝動が、波のように押し寄せては俺を圧迫する。


「う、あ……っ……」

 歯の根が合わず、カチカチと情けない音が部屋に響く。逃げ出したい。こんな壊れた世界からも、自分の生々しい罪からも。


 しかし、その絶望の淵で、俺の右手を包み込んでいる温もりが、かすかに微動(びどう)だにした。

「……ん…大丈夫だから…」

 実李(みのり)が、眠気眼のまま、俺の手をさらにギュッと握りしめてきた。その手のひらの、柔らかく、少し汗ばんだ確かな体温。そして俺の指先に触れている、一榎(いちか)から(たく)された黄金(おうごん)の羽の、冷たくも(するど)い、皮膚を刺すような金属の感触。




 あぁ、そうだ。俺は今、生きている。死ねずに、ここにいる。どれだけ過去の記憶を消し去ろうと、どれだけ悪夢に脳を焼かれようと、俺の心臓はまだドクドクと、(みにく)くも、泥臭くも、脈動を止めようとしない。


 甘奈(あまな)は最期に、俺に「生きて」と言った。その言葉は、俺を(しば)る呪いなんかじゃない。俺がこの地獄のような現実を踏み締めて立ち上がるための、唯一の光だったはずだ。


 俺がここで壊れてしまえば、甘奈(あまな)の最期の願いすら、本当に無かったことになってしまう。自分が犯した罪を、背負った罰を、ただの「絶望」という言葉で片付けて、眠るように諦めることなんて、それこそ甘奈(あまな)への、そして俺を心配してくれた仲間たちへの最大の裏切りだ。


 たとえ世界中のすべてが俺を化け物と呼び、罵詈(ばり)雑言(ぞうごん)を浴びせてこようとも。俺が俺自身の存在を呪い、消えてしまいたいと願ったとしても。この右手に残る温もりだけは、絶対に偽物なんかじゃない。


 震える足に、じわりと力を込める。

 奥歯を、ミり、と嫌な音がするほど噛み締め、胸の奥で(くすぶ)るドス黒い感情のすべてを、生きるためのエネルギーへと強引に変えていく。涙を(ぬぐ)うのではない。血の味のする(つば)を吐き捨て、その足で泥水を()り上げるんだ。


 俺には、俺の人生を決めていい。

 俺がどう生きるかは、他の誰でもない、俺がどう選ぶかだ。この先にある未来がどれほど凄惨(せいさん)な絶望だろうと、一向に構わない。希望がひとかけらも無くても構わない。

 俺は、なりたい俺に、なる。ただそれだけだ。俺はあの(すさ)まじい光の中で、確かに生かされたんだ。生きている限り、これからも筆舌(ひつぜつ)に尽くしがたい苦痛が(ともな)うだろう。それでも、この胸の奥にある本当の気持ちにだけは、もう二度と嘘をつきたくない。どれほど心身が傷付いてボロボロになろうとも、それがどんなに困難な道のりだろうと、やるべきだと決めたことをやって、ただ最後まで()くすまで。


 たとえその手が届かなかったとしても、届くように死に物狂いで頑張った、その自分自身だけは、何があっても自分自身の味方であり続けたい。やると自分の心に(ちか)ったからには、自分との約束を最後まで守らなくちゃいけない。もしそれがダメだったとしても、最期に笑って許せる自分でいたいんだ。そのためにも、これからも、この残酷(ざんこく)な世界と真剣に向き合わなくちゃいけない。俺のことなんか、周りは無様(ぶざま)だと笑い飛ばせばいい。


 どんなに(さげす)まれ、泥を塗られようとも、この胸の奥で燃える(たましい)だけは、絶対に誰にも(うば)えやしない。自分を愛して何が悪い。自分で決めた(いばら)の道を進むことに、後悔など微塵(みじん)もあるものか。




 どんなにわずかで絶望的な可能性だとしても ── 俺は、何度でもこの両足で立ち続ける。


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