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Echo 25 『 零 』


https://open.spotify.com/playlist/6bFZdpvxKZC0kdREsooTmc?si=a1feec7479d64356


対応番号 : 41 / 42



 挿絵(By みてみん)


一榎(いちか)たちは、八咫烏(やたがらす)財団(ざいだん)が管理している区域まで、車を走らせているところだった。


東宮(ひがしのみや)は津波に飲まれ、明雲(めいうん)神社と富士山周辺の町も壊滅……」

 信じたくない現実が、ナビの音声となって冷たく車内に響く。




 俺はただ甘奈(あまな)を助けたかった。

 どうしてこんな結末なんだ。




「俺にもっと力があれば……」

 俺はずっと、爪が手のひらに食い込むほど(こぶし)(にぎ)りしめ、自分を自責していた。別にそれで、この最悪な現実が解決するわけでも無かったが、そうせずにはいられなかった。あの時見た空が、既にすべての運命を決定づけていたとしたのなら、

 どうしてあの時、もっと早く気付けなかったんだ。


 涙を流そうにも、目の奥が(かわ)ききって、流れる涙は一滴(いってき)も無かった。胸を()きむしって嗚咽(おえつ)する時間も、絶望に(すが)る時間すら与えられなかった。ただ眼前にそびえ立つ冷徹(れいてつ)な事実だけが、俺たちのちっぽけな希望や絶望を、粉々(こなごな)に踏みつぶしていた。




 残された時間は、あとどれくらいなのだろうか。

 俺はもう、生きることの重みを考えたくなかった。

 どうせ生きたって、いずれ等しく終末(ラグナロク)が訪れる。

 それなら早いか遅いかの、ただそれだけの違いだ。




 だが、そんな思考の片隅で、なぜか奇妙に安堵(あんど)している自分がいた。どうせ無駄だったんだ。何もかもが仕組まれて、嘘で塗り固められていた世界。その温かい余韻(よいん)(ひた)ることがあったとしても、結局のところ、それは嘘の上に嘘を塗り重ねただけ。自分の激しい感情も、愛おしい記憶も、積み重ねた経験も、この心を動かす理由にはならなかった。


 どんなに()くしても、どんなに言葉を並べても、どんなに血の(にじ)む努力をしようと、もう二度と届かない。夢ならどれだけよかったか。自分の思い描いていたありふれた日常が、一握(いちあく)(かわ)いた砂のように、サラサラと指の隙間(すきま)から(こぼ)れ落ちていく。


 冷たい空気が肺を(するど)く刺し、呼吸が浅く、短くなっていく。ゾクゾクとした悪寒(おかん)が皮膚を()け巡る一方で、内臓からは異様な熱気がせり上がり、(ひたい)からは冷や汗が引きも切らずに流れ落ちる。頭がぼーっとして、視界のピントが合わない。寝るのが、底知れず怖い。もし目を閉じてしまったら……明日、世界はどうなっているのだろうか。天に浮かぶ『 無限の眼(あおいめ) 』が、じっと皮膚を焦がすような不快な視線で、俺だけを凝視(ぎょうし)しているように見えた。




 その不気味な静けさが、俺の胸をさらにギチギチと圧迫(あっぱく)させる。

 どうしてみんな、そんな目で俺を見ているんだ?

 俺が一体、何をしたって言うんだ!?

 俺はただ、あの人の(となり)にいたいだけなのに、どうしてそんなに、突き放すようにして視線が冷たいんだ!?




 あぁ、俺が悪かったよ。

 俺が悪かったって、罪を全部背負えば、それでいいんだろ!?!!






 しかしどれだけ心の中で叫ぼうとも、神は黙ったままだった。


 (ゆが)んで二重に見える視界の中に、ギラリと(きら)めく黄金の羽が、目の前で一榎(いちか)の手から差し出された。


「お前に渡しておくよ」


「……気持ちはありがたい。けど、しばらく一人にさせてくれないか?」

 乾いた(のど)から(かす)れた声でそう言って断ると、一榎(いちか)は静かに、自身のカウボーイハットにそれを付け戻した。




 ——— 臨時拠点にて


「ここは早七(さな)が手配してくれた旅館だ。今日はゆっくり休め」

 一榎(いちか)はそう言うと、車を停めに雨の降る中、パーキングエリアに向かって行った。


「……ねぇ、これからどうする?」

 杏佳(きょうか)は不安げに希果(ののか)に話しかけたが、みんな気分の滅入(めい)るような憂鬱(ゆううつ)さに包まれているのは分かり切っていた。胸を締め付けられるような深刻さに(さいな)まれているのは、俺だけじゃない。


 目の前で最愛の妹を失ったことで、来弥(くるみ)は精神的にも完全に崩壊しかけていた。谷津(たにつ)姉妹が彼女の小刻みに震える両肩を必死に支えていたが、彼女の(ひとみ)は完全に光を失い、放心したように(ちゅう)を見つめていた。


 もう、俺は誰にも迷惑をかけたくなかった。どす黒い罪悪感が、胃のあたりをズシリと押し(つぶ)してくる。旅館の玄関が開いたその時、い草と古い木造特有の、落ち着いた和室の香りが、ふと鼻をくすぐった。




「よく頑張りましたよ、とにかく今は休みましょう」




 誰かの温かい手のひらが背中に触れた。俺はようやくその感触で現実だと思い知り、姉の肩に顔を(うず)めて、子供のように声を上げて(むせ)び泣いた。







 熱いお湯が、じんわりと頭のてっぺんから不快な汗を洗い流していく。俺を心配してくれた未夏(みか)が、優しく、少し震える手で俺の背中を静かに洗い流してくれていた。


「お兄ちゃん……無事でよかった……」


 未夏(みか)はそう言うと、濡れて温かい俺の背中に、自身の柔らかい(ほほ)をぴたりとくっつけ、全体重を(あず)けてきた。()れた髪の毛が一本一本、背中の皮膚(ひふ)(こす)れる生々しい感触。未夏(みか)の細い吐息と、かすかな心臓の鼓動(こどう)、そして高めの体温が、ダイレクトに伝わってくる。その命の重みが、今の俺にとっては、耐え(がた)いほどに重く、苦しく感じられた。


「お兄ちゃんの重荷を、私は全部は背負えないかもしれない……けど今だけは、どうか私の(ぬく)もりだけを感じていて欲しいの」




 甘奈(あまな)の代わりなど、この世界のどこにもいない。

 そんなことは妹だって痛いほど分かっていた。




 けれど俺は、そんなことにお構いなしに、行き場のないドロドロとした悲しみを、未夏(みか)の柔らかい身体に強くぶつけるように抱きしめた。


「お兄ちゃん…好き……」


 未夏(みか)が俺の唇に、そっと自分の唇を重ねてきた。それは甘ったるい味なんかではなく、涙の塩気が混ざった、切なく苦い味だった。




 俺は最低な人間だ。そんな嫌悪感を(かか)えながら、未夏(みか)より後に温泉から上がると、(のり)のきいた浴衣(ゆかた)に着替えた。




 食事の(にお)いを()いでも、一切(のど)を通らなかった。そんな俺を早七(さな)姉さんは心配そうな目で見つめ、(はし)で口元まで食事を運んでくれる。だが、その向けられる無条件の親切心に触れた瞬間、胸の奥がキュッと引き(しぼ)られ、呼吸の仕方を忘れたように浅くなる。


「……早七(さな)姉……ごめん。しばらく横になるよ」


 俺は重い足を一歩ずつ動かし、寝室に向かって歩き出す。なぜか、いつもより階段がひどく近くに見えた。一段上がるたびに、肺の奥に(するど)い痛みが走り、呼吸が浅くなって上手く空気が吸い込めなくなる。


「痛い…痛いよ……」


 俺はそんな(なさ)けない弱音を、誰にも見せまいと必死に(こら)えていた。冷や汗で張り付いた浴衣(ゆかた)の上から、左手で胸元を爪が立つほど激しく()きむしる。冷や汗が止まらないのに、身体が熱い。視点がおぼつかなくなり、ぐにゃりと視界が(ゆが)んだ瞬間、ガクンと足元から世界が垂直に落ちるような錯覚(さっかく)がした。


「大丈夫!?」

 下から、早七(さな)姉が(あわ)てた足音を響かせて、俺に()け寄る。


「……平気だ。ただ長湯して、頭がよく回ってなかっただけだよ」

 俺はそんな見え()いた嘘を口にして、一段ずつ、(なまり)のように重い足で階段をまた登る。




(人生って落ちる時は、こんなに呆気(あっけ)ないものなのかな……)




 ふと、そんな暗い(あきら)めが頭をよぎってしまった。


 俺が湿(しめ)った重い布団を取り出そうとしたその時、階下から激しく押し問答(もんどう)をする騒がしい声が聞こえてきた。早七(さな)姉たちが、取り乱した来弥(くるみ)を必死に(おさ)え込んでいる。


来弥(くるみ)さん、落ち着いてください!!」


「彼も傷付いているんだから、そっとしといてあげて!!」

 激しい摩擦(まさつ)の中にいるはずなのに、俺にはそのやり取りが、どこか遠い出来事を見ているかのように、()めて(うつ)っていた。


「ふざけないで!!!あいつに、あいつに一言言いたいことがあるのよ!!!」


 来弥(くるみ)は、引き止める素榛(すばる)華緋(はるひ)の腕を力任せに振り切り、俺のいる部屋の(ふすま)を乱暴に開け放った。

「どうして何にもしないの!?」


 言葉と同時に、彼女の激昂(げっこう)した右手が、俺の左頬を(かわ)いた音を立てて(ひど)く叩いた。強烈(きょうれつ)な衝撃と共に、(ほほ)がカッと燃えるように熱くなり、遅れてジンジンとした痛みが皮膚の奥へ広がっていく。


「ちょっと!!うちの弟に何するの!?」


 早七(さな)が青筋を立てて激昂(げっこう)し、来弥(くるみ)の身体を力任せに引き()がそうと()みあいになる。

「何が報われなかった顔してんのよ!!!私だって!!唯一の肉親の妹を、目の前で失ったのよ!!!」


 部屋の中に、ピリピリと鳥肌が立つような緊張感が満ち、ピークに達する。


「私を見ろ!!」

 来弥(くるみ)は爪先が食い込むほどの力で俺の浴衣の襟元(えりもと)(つか)み、至近距離まで無理やり引き寄せた。早七(さな)姉が、物凄(ものすご)剣幕(けんまく)来弥(くるみ)の手を(つか)んで牽制(けんせい)する。


「お前のために、どれだけ多くの人が命を落としたと思っているのよ……」

「あんたのせいで……だけど……」

「けど、もうあんたしか、あんたしかいないんだよ!!!」


 先ほどまでの狂気じみた勢いが急に途切れ、来弥(くるみ)は糸が切れたようにその場に(くず)れ落ち、両手で顔を(おお)()くした。




「こんな結末は嫌よ……」




 床に涙をボタボタと(したた)らせ、低くすすり泣く声が、狭い和室に重苦しく響き渡る。




 素榛(すばる)華緋(はるひ)が、痛々しい彼女の身体を両側から支え、静かに部屋から連れ戻していった。早七(さな)姉は俺にすぐさま駆け寄って、心配そうに、赤く(ふく)れ上がり始めた俺の(ほほ)に、冷たくて優しい手のひらをそっと当てた。


「大丈夫?どこかおかしいところはない?平気?」


 俺は引きつる(ほほ)の痛みを()えながら、無理やり作り笑いをして見せた。


「大丈夫だよ姉さん、少し寝ればきっと落ち着くからさ」

 俺の心の中では、ただ一刻も早く、一人にして欲しいと願うばかりだった。その向けられる親切な心が、かえって俺の()き出しの自尊心をズタズタに(えぐ)り出していくのを肌で感じ、これ以上の罪悪感で、これ以上自分の弱みを見せたくなかったからだ。


「そう……もし何かあったら、お姉ちゃんに必ず言うのよ」


 そう言うと彼女は、俺の顔を悲しそうに見つめた後、(ふすま)(こす)れる静かな音を残して部屋を出た。






 部屋の光を消し、敷かれていた冷たい布団に(もぐ)り込んで、ただただ暗い天井を(なが)めていた。何も考えたくなかった。考えるだけで、胃の底から酸っぱいものが込み上げて吐きそうになる。胃がキリキリと雑巾(ぞうきん)(しぼ)られるように痛み、呼吸する息も浅く、短く往復していた。




 時間はただ、無情(むじょう)に過ぎていく。




 コンッコンッコンッという時計の秒針の音が、俺の精神を(むしば)んでいく。


 突然、(おそ)ってくる猛烈(もうれつ)な肺の痛み。まるでナイフで内側から刺されたような激痛に、俺は爪の間に血を(にじ)ませながら、傷だらけの両手で胸元を激しく()きむしった。涙は勝手に出るが、そんな液体は何一つ解決なんてしてくれやしない。




 泣くことすら、労力の無駄(むだ)(づか)いだ。甘えるな。




 呼吸したくても肺の痛みで上手く出来ない。このまま、ここで死ぬのか?俺は布団のうえでのたうち回りながら、自分の両手で、自分の首を強く()めつけた。




 このまま意識を失ってすぐ楽になってしまえばいいのに。




 しかし結果的に甘奈(あまな)を亡き者にしてしまったという冷徹(れいてつ)な事実が、俺が楽になることすら許さない罪悪感へと変貌(へんぼう)し、精神のすべてがドス黒い波に飲まれていく。

 どれだけ謝ろうと、二度と戻ることは無い。


 あの赤い空が、俺の死を望みながら、贖罪(しょくざい)することを許さない。生きて欲しいという誰かの願いが、終末(ラグナロク)までの湿(しめ)った(つめ)たい白綿(しろわた)と化し、首を静かに()め上げる。

 希望はない。絶望に沈むことも許されない。生きることも、死ぬことも許されない狭間(はざま)で、俺は取り戻した記憶を思い出していた。




 海

 冷たい水

 沈む感覚

 裏切り

 家族

 師

 社会

 断絶


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