Echo 23 『 青い眼 』
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対応番号 : 37 / 38 / 39
——— 一方その頃『バベルの塔』 入り口付近
「はぁ…こんなに衛兵が多いなら、もう少し人を寄こしてくれてもいいのに」
新山 詩七が、冷たい大剣の柄に身を預けながら愚痴を吐く。風ではためくウィンプルを押さえるようにして、衛兵の動向を監視している。
「まぁみんな忙しいでしょうし、あまり期待できないでしょうけど…」
妹の聖十はそう言うと、手に嵌めた革グローブの紐を、歯でギリリと引き絞って硬く巻き付けた。
「やるんだな…今ここで」
「えぇ…私たちで、この醜い争いを終わらせましょう」
俺たちは『バベルの塔』が見える西宮まで辿り着いた。
「そろそろ着くぞ」
「『クラスター爆弾』で検問所2箇所も爆破するなんて…」
「はっ、僕はロックな道に生きているんだ。あれくらいじゃ僕を止められないよ」
車は立ち入り禁止の看板を跳ね飛ばし、広大な『バベルの塔』の敷地内へと滑り込んでいく。
「侵入の作戦はどうする?」
「既に協力者が到着しているはずだ。彼らが先に動いていれば…」
車窓から見える光景は異様だった。かつて狂信者たちがひしめき合っていたはずの住居群は、不気味なほどひっそりと静まり返り、冷たい風が通り抜けるだけの、もぬけの殻と化していた。
「ここ一帯、町全てが信者の街だなんて…」
「こいつらは閉鎖的で、信者にならない限り、この町に住めないように徹底管理されている。それにやつらは『ゲマトレイル』の操り人形で、自由意志なんかない」
「それってつまり…」
「あぁ、儀式のための生贄になったか、戦闘に殉じたんだろうよ」
一榎の言葉の意図は、正面の広場に広がっている光景を見て、嫌というほど理解できた。
「あぁ、今ようやく来たのか」
「遊び足りないですねぇ…」
そこには、虹色に妖しく輝く大剣を肩に担いだ姿と、ハヤブサを肩に留め巨大な鉄拳 / 鉄甲の武器を構えた2人のシスター姿があった。周囲には、無数の白衣が転がっている。
「『|ゲマトレイヤー《Gematraiyer》』は殲滅したか?」
シスター姿はお互いに視線を合わせて首を傾げ、人差し指で思案するかのように視線を上にして見せた。
「塔の中に何人いるのかは分からないけど、ここに群がっていたやつらはこれで全員よ」
「ざっと3万6千人近くかしら。少し皮膚が擦りむけた程度で済んだわ」
無双の力を誇る彼女たちが味方にいるのは、これ以上なく心強く感じられた。
「君たちは?」
「あぁ、自己紹介が遅れてすまない。走りながら話すとしよう」
俺たち一行は、ついに『バベルの塔』の巨大な鉄門を潜り、内部へと侵入した。
「私は詩七、こちらは妹の聖十だ」
「よろしくお願いしますね?」
「一榎から聞いたんだが、新原高等学校の生徒会所属なのか?」
「そうね、今までは敵対してたかもしれないけど、事態が事態だ。自分たちのためだったとはいえ、お詫び申し上げたい」
詩七の白黒をはっきりつける言い方に少し驚いたが、甘奈のことを思い出し、もどかしく縺れた感情をグッとしまい込む。
「…とにかくやれることをやらなくちゃ。つまらないことで争ってる場合じゃないよな」
「もちろん、その分汚名返上する気持ちで、しっかり努めさせていただきます」
詩七と聖十との引き締まった挨拶を交わし、俺は改めて『バベルの塔』の構造を仰ぎ見た。
天へと届かんとする塔の内部は、外観の荘厳さとは裏腹に、かつては賑わっていたであろう場所が完全に閑散としていた。焼かれた煉瓦の壁面は煤で黒ずみ、松脂を混ぜた瀝青のねっとりとした特有の匂いが、鼻の奥を不快に刺す。上層から響いてくる『|ゲマトレイヤー《Gematraiyer》』たちの重低音の詠唱が、冷たい石壁に幾重にも反響し、鼓膜を不気味に揺さぶっていた。
塔の内部は一本の空洞ではなく、巨大な階が何層も積み重なった複雑な迷宮に近い。階ごとに役割が異なり、下層では穀物や水瓶が山のように積まれ、中層には彼らが粘土板へ歴史を刻みつける、埃っぽい部屋が並び、さらに上層へ進むにつれて、チクチクと肌を刺すような香炉の煙と祈りの声が濃くなっていく。
壁際には油皿の炎が不気味に揺れている。しかし外光はほとんど届かず、通路の先は常に薄暗い。高層へ向かう螺旋階段では、吹き抜けから吹き上げる強烈な突風が衣服を激しくなびかせ、遥か下方にはミニチュアのような街が広がり、見上げれば、終わりの見えない石段が暗闇へと吸い込まれていた。
上階へ進むほどに空気が薄くなり、息を吸い込むたびに肺が冷たく窄んでいく。
神へ近づいているのだと、そう盲信する者もいたのだろう。
だが同時に、階段を登っていくにつれて、俺たちは肌で理解し始めていた。
この塔は、人類の純粋な祈りによって築かれているのではない。
生々しい恐怖と、狂気的な執念によって、無理やり積み上げられているのだと。塔そのものが、人類の意思の亀裂を抱え込みながら、ギチギチと軋んだ音を立てて悲鳴を上げているようだった。
最上階に辿り着くと、黄金の装飾が揺れる松明の火に照らされ、空に最も近いその開けた場所で、天へ手を伸ばし狂振していた無数の『|ゲマトレイヤー《Gematraiyer》』たちが霊のように霧散する。そして、その中央奥──ぼんやりと緑色の溶液が怪しく光るカプセルの中に、巨大な翼で自身の身体を小さく抱え込むようにして眠る、甘奈の姿があった。
「甘奈!!!」
思考を放棄し、すかさず彼女の元へと走り出した。
「……!? 危ないっ!!!」
──ドガァァァァアアアアンンンンッッッッッ!!!
咄嗟に俺の身体を詩七が突き飛ばした。直後、凄まじい衝撃と共に天井から巨大な質量が落下する。激しく舞い上がった土埃が口の中に一気に流れ込み、ザラザラとした不快な感触が舌の上を満たした。
「……オエッ、ゲホッ、ゲホッゲホッ、一体何が……!」
詩七はその落下物の正体を見るや否や、俺の襟元を掴んで後方の一榎たちの元へと力任せに投げ飛ばした。
──ガキィィーーーーーン!!
詩七が展開した大剣が巨大なメイスへと変形し、敵の凶悪な一撃をバックラーで激しく火花を散らしながら受け流す。
床へ叩きつけられた背中のズキズキとした鈍痛を堪えながら見上げた時、かつて神社で見たあの絶望が脳裏をよぎった。蛇のような下半身とは違い、そこにいたのは、おぞましい数多の毛に覆われた蜘蛛の脚を持つ怪物だった。
「はぁ…まさかあなたと戦うことになるなんて…」
聖十は先ほどまでの清楚な顔から一変し、狂気に満ちた戦闘狂の笑みを浮かべる。鉄拳の関節をバキバキと鳴らしながら、蜘蛛女に向かって猛烈な拳撃を炸裂させた。
「こいつは放っておくと、糸を吐き出してこちらの動きを奪う! 叩き潰せ!」
「言われなくても分かってるよ……『エニグマ ブースト - ヒート』!!!」
一榎の構えるリボルバー拳銃RSh-12から、鼓膜を破壊せんばかりの爆音と共にガトリングの如き弾幕が撃ち出された。蜘蛛の卵が次々と破裂し、生臭い緑色の粘着液が周囲の床へベタベタと飛び散る。
「『ロード トリニティ』」
力が湧きあがり、跳ねのける力も倍増した。さらに亜実の回復でさらに打撃が加わっていく。
「『|スーパーストーム《Super Storm》』!!!」
来弥の巻き起こした暴風が一榎の弾丸と混ざり合い、肌を焼き焦がす炎獄の嵐となって蜘蛛女へ襲い掛かった。
当たるはずだった攻撃は幾度も、いとも容易くすり抜けていく。
どれだけ苛烈な攻撃を叩き込んでも、怪物の身体には傷一つ付かない。
「なんだかおかしいぞ…」
一同の肌に、奇妙な違和感が這い回り始める。手応えはあるはずなのに、一向に手詰まりにならない不気味さが蔓延した。
「くっ、これじゃあジリ貧だな…」
その姿を後ろからじっと見つめていた亜実が、冷や汗を拭いながら呟いた。
「……あの怪物に勝つには、あの能力をどうにかしなければなりませんね」
「どういうことだ?」
「あれは私たちのマトリックスに干渉する能力があります」
「つまりどれだけ攻撃しても、避けられてノーダメージか…そいつは厄介だな」
「俺に考えがある!!固有結界で時間を稼いでくれないか?あとは俺が何とかする!!」
決死の眼差しに、一同は互いに頷き合った。
「私がやってみます!!」
希果が前に進み出ると、蜘蛛女の裂けた口が不気味に開く。
「小娘ごときに、何が出来る?」
一瞬その威圧感に身体を強張らせたが、気力を振り絞り希果は叫んだ。
「『天界創造』!!!」
──ブンッ! と空間が変質し、周囲の景色が固有結界によって完全に遮断された。
「これで私を逃がすことはできないと、考えているとでも?」
「それはどうでしょう?」
聖十は不敵な笑いを浮かべる。
「あなたはそうやっていつも現実逃避を続けてきたのですから、お見通しなのですよ」
「時間稼ぎのつもりか?ならば、私から行かせてもらう!!」
蜘蛛女が目に見えぬ速さで突っ込んできた瞬間、聖十の口角が跳ね上がった。
「ビンゴ」
「…!?」
罠を察知して急ブレーキをかけようとしたが、すでにその巨体は慣性を殺しきれなかった。聖十の放ったハヤブサが鋭い爪で蜘蛛女の目を掠め、その視界を奪う。
「今だ!!かかれ!!」
詩七の『マジックソード』が変形した巨大な弓に俺が乗り、風切り音と共に弾丸となって射出された。
「その手は効かんぞ!!!」
無数の蜘蛛の子供をばらまき、粘着質の糸でがんじがらめにしようとする。
「『自然要塞』!!!」
「『スーパーストーム』!!」
杏佳と来弥の放った異能が空中で交差し、迫る糸の群れを嵐で吹き飛ばして進路を守ってくれた。
「小癪なっ!!!」
蜘蛛女はたまらず空間の闇の中へと逃げ込もうとするが、希果の固有結界がそれを阻み、怪物の動きを完全に縛り付ける。
「くそっ、このためにッッッッッ!!」
「『ロード トリニティ』!!」
緑色の蛍光色が身体にまとわりつき、手足にエナジーが漲ってくる。
たった一度きり、俺は何度でも博打に勝ってきたんだ。みんなのおかげで、俺はこうやってここに立てている。何が無力だ。何が役立たずだ。
何もないところから、ここまで昇りつめたんだ。
俺だって、大切な誰かを救えるのなら、どんな犠牲だって厭わない。だってそうだろ。今までもそうだったじゃないか。あの時、何もなかった俺に居場所を与えてくれた甘奈が、目の前にいるんだ。
仲間だっている。こんなに心強かったことは無い。そのきっかけは、甘奈、君が俺に全てをくれたんだ。だから……………
「こんなところで、止まっていられるかぁぁあああああああああああ!!!!!」
俺はこの瞬間を待っていた。
「いっけぇぇえええええええ!!!!!!!!」
宙を舞って蜘蛛女のおぞましく冷たい肉体をその両手で鷲掴みにし、全身の血を沸き立たせて唱えた。
「『『ロード』『タオ』 インバーテッド』!!!」
俺の触れた手のひらから、怪物の力の源が、ドクドクと生々しい感触を伴って奪い盗っていく。
「ぎ、きさまっぁあっぁぁあああああああああああああ!!!!!!!!」
怪物は断末魔の叫びを上げ、まるで乾いた灰のようにサラサラと風に舞い、その場には、ただの力のない女性の身体だけが膝から崩れ落ち転がった。
「…勝った、勝ったぞみんな!!!」
一同が勝利の安堵に包まれる中、俺は脇目も振らずに甘奈のカプセルの傍へと駆け寄った。
「甘奈!!!すぐに助け出してやるからな!待ってろ!」
俺は拳の皮がめくれるのも構わず、溶液の満ちたカプセルを必死に殴りつけたが、鋼鉄以上の硬度に弾かれるだけだった。
「そうだ!おい、詩七!!力を貸してくれ!!!」
そう言って、俺は後ろを振り返った。
──だが、何かがおかしい。視界に入る人数が、一人足りない気がした。
「お、おいどうした?はっ、亜実は!?亜実はどこにいったんだ!?」
「亜実?そんな人いたっけ?」
杏佳が不思議そうに首を傾げる。
「おい…一体どうなってんだよ…大西ぃ!!お前、妹がいたんじゃなかったのか!?」
来弥は、冷たい無表情のまま俺を見つめた。
「…何を言ってるんだい?さっきからずっと」
頭の芯がスーッと冷えていく。
今、自分が立っているこの空間だけが、世界から切り離されて歪んでいるような、得体の知れない悪寒が這い上がってきた。
全員が、光の消えた虚ろな目で俺を見つめている。
「おい、なんで……そんな目で、俺を見ているんだ……」
背後から、首筋の産毛がすべて逆立つような、静寂が暗くのしかかる。俺は、ガタガタと震える首を恐る恐る振り返った。
そこには、首から下が無い亜実を無造作に掴んだ『|ゲマトレイヤー《Gematraiyer》』が立っていた。
「なっ……なんてこと、してくれてんだぁぁあああ!!!」
狂ったように拳を突き出したが、その手応えは、まるで暖簾を叩くように空を切った。
ドスン、という鈍い音が、静まり返った塔内に虚しく木霊するだけ。
見上げれば、真っ赤に変色した空から、あの巨大な『無限の眼』が一斉に俺だけを凝視していた。
「おい…甘奈!!!!!」
恐怖と絶望に全身をガクガクと震わせながら、カプセルを壊そうと、
何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、
拳から、額から、指の先から、爪の間から、ボロボロと生温かい血が噴き出すのも構わず、肉が裂ける痛みを置き去りにして、カプセルを叩き続けた。
視界が涙と血で赤くぼやける。喉の粘膜が千切れ、鉄の味が口内に広がるまで、彼女の名前を叫び続けた。
カプセルの中で、ゆっくりと、甘奈の虚ろな瞳がこちらを向いた。
「甘奈……俺を置いて逝くな……頼むから、頼むから……っ!」
懇願したが、時間が停止したかのようなこの世界では、その祈りは届くはずも無かった。だが、カプセルの向こう側から、あの愛おしい、懐かしい声が、微かな振動となって鼓膜に届いた。それが、彼女の最期の言葉だった。
「…生きて」
次の瞬間、『バベルの塔』全体が、網膜を完全に焼き潰すほどの凄まじい純白の閃光に包まれた。あまりの光量に視界を完全に奪われ、ただ溢れ出る涙をそのままに、冷たいカプセルに全力でしがみつくことしかできなかった。
ただ祈った。どうか、誰でもいいから助けてくれと。
しかし、神は何も答えなかった。
やがて視界から光が引き、凄まじい光の柱は消え去った。
「……いやぁあああああ!!!!!!!!!!!!」
静寂を引き裂き、鼓膜を突き破らんばかりの来弥の絶叫が塔内に響き渡る。
「これは……由記、何があった!?」
空っぽになったカプセルを見つめ、詩七は乾いた唇を噛み締めながら、すべてを察した。
もう"彼女"はどこにもいないのだと。
そこにいたあの怪物の少女も、ただの人形でしかなかった。
世界が壊れる音がした。
『精霊』デバイスが一斉に鳴り響いたその直後。
前触れもなく、脳を揺らすような激しい垂直の衝撃が襲った。
Synchronicity




