Echo 18 『 裁定の刻 』
——— 少し前の明雲神社 綾華視点
今日も修行に最適な日だ。私は日々最強を目指して訓練を続けている。もう二度とあんな凄惨な事件を起こさないためにも。
「ハッ! セイッ!」
道場に、張り詰めた風を切り裂く刀鳴りが響く。手のひらにじっとりと滲む汗が木刀の柄を濡らし、吸い込む空気が肺の奥をひんやりと満たしていく。足の裏で床板の冷たさと固さを踏みしめ、さらに鋭く踏み込もうとしたその時、背後から確かな足音が近づいてきた。
「今日もやっているな」
「お疲れ様です、父上」
額の汗を手の甲で拭いながら振り返る。
「あぁ、気にせずやっててくれ」
胡坐で座ると、静かに綾華の練習を腕組みして観察していた。
「今年の大会も優勝できそうだな」
「…父上には及びませんよ」
「ははは、何を言う。俺は既に引退した身。伝授できるものは全て教え尽くしたぞ」
「だとしても、父上の持つ『剣聖』の境地にはまだ...」
「いいか綾華、何も1番になることだけが全てではないんだ。どう在りたいかが重要なんだ」
「どう、ありたいか…」
父は優しく、だが長年の鍛錬で岩のように固くなった大きな手を私の肩に置いた。そのずっしりとした重みと温かさが、服の生地を通して伝わってくる。
「そうだ、俺は色んな人たちを見てきた。挑戦する者、期待を抱く者、挫折する者、あるいは才能に恵まれずに去っていった者」
「人は何かを成し遂げようとすることに、あまりにも執着しすぎているんだ。誰かの成功をなぞって、敷かれたレールの上だけで戦えればそれでいいと」
「でも俺はそうは思わない。誰かのための人生じゃない。自分の人生なんだ。高みを目指すことは悪くない。だが、それぞれにとっての生き方ってのがある」
「自分自身を曲げてまで成功したところで、幸せになんてなれやしない。俺の教え、覚えているか?」
「『己を知りて、相手を知れば、百戦危うからず』」
「そうだ。たとえ道を見失ったとしても、帰る場所があればいつだって立て直せる。身体が資本なんだ。体調管理には気を付けるんだぞ」
「えぇ…感謝いたします父上」
父はそう言うと、ぽん、と私の肩を叩き、背を向けて歩き出した。
あの瞬間は忘れるわけがない。突如、大気がバリバリと震え、肌の産毛が逆立つような異様な圧迫感が襲った。見上げれば、青い空を強引に引き裂くような流星が、こちらに向かって猛烈な速度で飛んでくる。
「なんだあれは…」
私は目をカッと見開いた。視界の端、近くにいる妹の綺栞はまだその異変に気づいていない。
「危ないっ!!」
私は弾かれたように地を蹴り、妹の身体を組み伏せるように抱きすくめた。
ドゴォォォオオオオオオオオオオオオオンッッッッツ!!!!!
次の瞬間、鼓膜を直接破らんばかりの爆音と、内臓を激しく揺さぶる凄まじい衝撃波が境内を吹き飛ばした。地面が激しく陥没し、巨大なクレーターができる。
「ゲホゲホ…姉さん、一体何が起こって」
「…待て、何かいるぞ」
もうもうと立ち込める砂煙と、肌をチクチクと刺すような禍々しい黒いオーラ。煙の向こうから現れたのは、巨大な二枚の黒い羽と、人間を遥かに超越した機械仕掛けの巨体。そして、不気味に歪んだペストマスクだった。
「こいつはまさか!?」
しかし、私たちが身構えるよりも早かった。巨体の中心から、空間を焼き焦がすような巨大な熱線ビームが放たれた。光が一閃し、直後、肉が焼ける嫌な匂いと、生温かい血飛沫が私の頬を濡らす。
「──が、はっ……!」
空を舞ったのは、父上の左腕だった。
「父上!!!」
「くっぅ…俺としたことが…」
「動くな!!綺栞、早く手当てを!!」
煙の中から完全に姿を現したその怪異を見て、私は背筋が完全に凍りつくような畏怖の念を覚えた。それはある人から見れば、あまりにも神々しい姿に見えるかもしれない。だが、皮膚にへばりつくようなこの強烈な違和感は、世界の法則そのものを強引に歪める巨大な意思の濃縮体だった。大気がギリギリと軋み、空の色がねっとりとした赤黒い色へ浸食されていく。
「…裁きの日が来た」
その巨体がどこに向けるのでも無く話すと、鎖鎌を両手に持った。首が有り得ない方向へとギチギチと金属の軋む音を立てて曲がり、そのペストマスクの奥の視線が私を的確に捕捉した。
「あなた…存在してはいけない人のようね…」
右手に持っている炎の天秤を傾け、彼女はただ、冷酷に呟いた。
「『イコール ギルティ』」
天地が逆転するような衝撃。刃から放たれた一撃が建物を真っ二つに切り裂き、爆風が肌を叩く。私は父と妹の身体を必死に抱え、足の裏が焼け付くような熱を感じながらも、なんとか傷を負わずにその猛攻を躱し続けた。
「こんなの…まるで規格外アノマリーじゃないか!?」
「そうだ…これが神の恩寵、ゲマトレイルの意志」
怪物の眼が妖しく光る。
「この世から、人間の痕跡を無くすこと。それが我々ゲマトレイラーの神聖な計画」
「貴様の言うことは理解しがたい。だがこれだけは分かる。」
綾華は刀を引き抜き、怪物の喉元へと向けた。握る柄から、己の覚悟が血流となって刀身へ伝わっていくのを感じる。
「お前は絶対に仕留める」
——— その頃 由記視点
「あぁもう、なんだか面倒なことになってきたわね!!」
佑果は頭を悩ませ、畳をバタバタと激しい足音で鳴らしながら、部屋の中を何往復もグルグルと走り回っている。
「とにかく急ぎましょう!」
「麻椰、緊急事態だ。急ごう!!」
俺はまだ半分眠気でふにゃふにゃしている麻椰の肩を揺さぶって叩き起こし、佑果と杏奈のもとへ集まった。
「それで、移動手段はどうすればいい?」
「これでも龍巫女なんだから、舐めないでよね」
そう言って佑果が小さく息を吸い込んだ直後、ボフン! と目の前が真っ白な煙に包まれ、強烈な突風が俺たちの頬を叩いた。見上げれば、神社の上空に巨大な龍が悠然と浮遊している。
「早く乗りなさい!!」
俺たちはゴツゴツとした、だが生命の脈動がドクドクと伝わってくる硬い鱗にしがみつき、富士山に向けて一気に飛び立った。鼓膜を鋭く裂くような凄まじい風圧が全身を襲い、衣服が激しくバタバタと暴れる。
——— 別の場所にて
「へぇ…なぁんか面白い展開になってるみたいねぇ」
一人、冷たい空中で翼を休めながら笑っている小悪魔が、その様子を空から見下ろしていた。
「折角だしぃ、私も参加してみようかしら」
彼女はふわりと指先で髪を弄り、彼らと同じ方向に向けてスピードを上げた。
——— 明雲神社にて
「また共闘みたいですわね」
「油断しないでください姉さま。これはKクラス、破滅級の機械アノマリーです」
空から舞い降りた素榛と華緋が、着地の衝撃で土煙を上げながら、即座に綾華の戦闘に加わった。彼女たちが鋭い牽制で隙を作ってくれたおかげで、なんとか父上と妹を安全な場所へ避難させることができた。
「3人でいけるのか?」
「勝率は…1%未満です」
「もっと人を呼べないのか?」
「残り3人が合流予定との事です」
「そうか…ではそれまで我々が食い止めなければならない」
退路を断った覚悟とともに、肺に溜まった熱い息を短く吐き出す。次の瞬間、綾華が左手で一気に剣を引き抜くと、ボォッ! と凄まじい熱気が周囲の空気を爆発的に膨張させた。大気が蜃気楼のように激しく歪み、まるで鳳凰の如き神聖にして凶悪な焔がその刃に宿る。周囲の酸素を一瞬で喰らい尽くすようなその熱は、彼女自身の皮膚すらジリジリと焦がし、視界を赤く染め上げるほどだ。
「いざ、尋常に参る!!」
一瞬の静寂と爆発的な俊敏。
地面を踏み砕く苛烈な足込み。重力を置き去りにする神速の踏み込みで間合いを詰めると、焔の刃を化け物の肉体へと容赦なく叩き込んだ。化け物を切り刻むたび、空間が耐えかねたように悲鳴を上げ、大気が衝撃波でベキベキと爆裂する。一撃、二撃、閃光と爆炎が視界を白く焼き尽くしていく。
「はぁああああああ!!」
肺の奥から咆哮を絞り出し、息つく暇もない超高速の連撃へと移行する。
『 ディバイド ゲルク』
銀色の閃光が刃となり、天から化け物にめがけて降り注ぐ。
十字に、縦横に、大気を引き裂く焔の軌跡が化け物の巨体を全方位から滅多打ちにする。爆風が逆巻くなか、さらに全神経を左腕の筋肉へと集中させ、最大威力の必殺の一撃を強引に叩き込んだ。
『 フェイタル デストロイ (Fatal Destroy)』
銀色に光る極太のレーザーが天上から撃ちおろされるように、怪物を包み込んで放たれる。
ドゴオオオオオン! と鼓膜を激しく破壊するような爆音。刃が触れた瞬間、周囲の空間ごと圧殺するかのような破壊のエネルギーが解き放たれ、凄まじい風圧が周囲を吹き飛ばす。
——だが、その圧倒的な破壊の渦の中心で、綾華の目が見開かれた。
何度も、何度も、狂気的な速度で執拗に切り刻む。しかし、刃から伝わってくるのは肉を断つ確かな手応えではない。まるで、底の知れない分厚い鉛の塊を力任せに叩いているかのような、絶望的なまでに重く、硬い反動。
「くっ……あぁっ!?」
刃を伝って逆流してきた凄絶な衝撃波が、手首の骨をミシミシと恐怖の音を立てて軋ませ、腕全体の神経をガタガタと激しく痺れさせる。剣を握る力が強制的に奪われそうになるほどの激痛。これほどの猛攻、これほどの炎撃を浴びせかけているというのに、敵の肉体には傷一つ付いていない。
化け物の圧倒的な質量と絶望的な防御力を前に、綾華の額から生温かい汗がじわりと滲み、乱れる呼吸が激しい焦燥となって胸を深く突き上げていた。
「華緋、何かやつの情報は?」
「分析した結果、K1452は常時能力を発動していて、完全鉄壁です」
「ちっ、やつの能力を封じたいが、攻撃が通らない…どうすればいいんんだ」
「では私の能力を使いましょう」
綾華の焦燥を塗り替えるように、素榛が静かに前に出る。その瞳には一点の曇りもない。
「どうする気だ?」
「焼き切れないのなら、焼き切るまでです」
彼女が冷徹に言い放った瞬間、その輪郭がブレ、残像を残して瞬時に分身した。息を呑む間もなく、複数の彼女が一斉に頭上へと禍々しいスカルクリスタルを掲げる。ジリジリ、パチパチと大気が歪み、周囲の空気が一瞬で狂ったように放電を始めた。頭上には黒い雲がモクモクと形成され、町全体を覆うかのような様相だ。肌の産毛がすべて逆立ち、強烈な静電気が空間を支配する。心臓の鼓動が嫌応なしに跳ね上がった。
「『ソーラー ボルテージ!!!』」
鼓膜を圧する咆哮とともに、キィィイイイイン!と煌めくクリスタルから極大の熱線がドゥゥゥウウウウウウウウンンンンン!!!!と音を立てながら解き放たれた。幾万ものレーザーのような凶悪な光の束が、視界を真っ白に染め上げ、文字通り濁流となって怪物を正面から容赦なく呑み込んでいく。ゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴォォォオオオオオ! と世界を揺るがす轟音。凄まじい超高温の熱量に、周囲の森が耐えかねて瞬時に自然発火し、パチパチ、バリバリと木々が激しく爆ぜる音が響き渡る。立ち上る濃厚な黒煙と、鼻腔を鋭く突き刺すような酸っぱい焦げ臭さが一気に充満した。
あまりの熱波に腕で顔を覆いながら、私は必死に喉を震わせる。
「くっ…このままでは神社までもが燃えてしまう…」
「『御神体』はもう粉々になった。また最初から再建すればいい」
素榛の言葉は冷徹だったが、その肩は激しく上下していた。全精力を注ぎ込んだ一撃。だが、立ち込める白煙の向こう側——標的の様子がおかしい。怪物は狼狽えるどころか、身体を丸めたまま、ギチギチ……ギギ……と不気味な金属音を内側から軋ませて、完全に静止していた。異様なまでの沈黙。
「やったか?」
「いや…まだ動きを見るべきだ」
じっとりと冷や汗が頬を伝う。一瞬の、息の詰まるような膠着状態。嫌な予感が背筋を冷たく駆け上がる。
——次の瞬間だった。
ガバッ! と、煙を吹き飛ばして巨大な翼が猛然と広げられた。その内側から、真っ赤に加熱されドロドロに溶けかけた無数の鉄羽が、鋭い刃の豪雨となって四方八方へ撃ち出されたのだ。
「隠れろ!!」
シュババババババババッッッッ!!! と大気を凶悪に切り裂く悲鳴のような風切り音。近くに燃えている遮蔽物の裏へ命からがら飛び込む。容赦なく降り注ぐそれは、掠めるだけで皮膚が焼け落ち、肉を炭化させそうなほどの凄まじい熱の塊だった。地面や木々に突き刺さるたびに火花が激しく散り、飛び散る鉄羽は、周囲のすべてを無慈悲に焼き切る最悪の凶器と化していた。逃げ場のない絶望的な弾雨のなか、心臓が壊れた鐘のように激しく鳴り響く。
「くそっっ!!どうすればいい!?」
完全に攻守が逆転し、圧倒的な火力を前に焦燥が脳裏をよぎった、その時——。
遠くから、お腹の底をドスンと激しく揺さぶるような、重厚な銃声が響き渡った。一瞬遅れて、ソニックブームを伴った衝撃波が鋭く風を切る。放たれた超大型の弾丸は、暴れ狂う鉄羽の嵐を力づくでこじ開け、怪物の心臓部へと正確無比に着弾した。
——ギィイイイイインンンンッッッ!!!
激しい火花を周囲に撒き散らし、怪物の巨体が大きくのけぞる。
死線の淵で響いた、あまりにも頼もしい通信の声。
「お待たせしましたみなさん。八嶋 乃豊です。これからNTW-20狙撃銃でみなさんの援護をします」
「うちらも忘れたらいかんけんねー!」
急ブレーキの音とともに止まった車から早川 弥来と青ノ 陽大、そして在原 未夏が降りてきた。
「おい、早七。なぜ彼の妹まで連れてきた?」
私は驚き、すぐさま『精霊』デバイスで彼女を呼び出した。
「戦況は聞いていました。彼女の隙を突くには、未夏さんの能力が鍵です」
「なんだと?」
「しかし一時的な能力ですので、1回の戦闘で使えるのは1回限りです。見極めてからご判断ください」
「そうか…」
「乃豊さんの能力で、みなさんの能力を底上げしてくれます。頼みましたよみなさん」
『精霊』デバイスの通信が終わり、綾華は未夏に顔を向けた。
「やれるか?」
未夏はぎゅっと小さな拳を握りしめ、冷たくなった自分の指先に力を込めた。
「お兄ちゃんだって頑張ってるんですから…私だってみんなの役に立ちたいです!」
「よく言った!今からK1452の討伐を行う。心してかかれ!!」
最悪の状況を切り裂いた反撃の狼煙。形勢逆転の予感に、みんなの目の中に再び熱い光が灯る。




