Echo 12 『 黄金の弾痕 』
意識がまだ完全には覚醒していないまどろみの中、妙に熱っぽく、まとわりつくような湿度を感じた。肌に触れる柔らかな感触は、吸い付くように艶やかで、密着した部分からドクドクと他人の鼓動が直接伝わってくる。風呂上がり特有の、湿り気を帯びた爽やかな石鹸の香りが鼻をくすぐった。
「お兄ちゃん…好き…大好き…」
その火照った身体の主が誰なのか、重い瞼をこじ開け、朧げな視界で捉えたその姿は――。
「…未夏…?」
「…んぁ」
彼女は上半身を起こすと、はだけた衣服から覗く白い肌を露わにし、寝ぼけ眼でこちらを見つめてきた。
「えへへ…起きた?お兄ちゃん?」
「い、いや、これなんだよ」
「え?分かるでしょ。我慢できなくなったの」
そう言うと彼女は俺の両肩を布団に押しつけた。細い腕からは想像もつかない、万力のような力で圧し折られそうな衝撃に、背中の骨が布団越しで畳に打ち付けられる。
(…それにしても、なんか酒臭いな)
「お兄ちゃん、私と続きしよ?」
俺は全身に力を込め、彼女の熱い両肩を跳ね返すように押し返す。彼女は抵抗されると思わなかったのか、呆気にとられ俺の力に驚いた。反抗する意思が無いことを見せつけるかのように、か弱い女性のように身体をくねらせ、露わになった部分を制服のシャツで隠していた。
「……誰だ、お前」
息を吸う音さえころし、一歩だけ後ろへ足を引いた。どうやら敵意はないようだが…
「え?お兄ちゃん寝ぼけてるの?私だよ」
俺の本能が囁く。
「違う、未夏はそんな妹じゃない」
喉の奥がカラカラに干からび、心臓が肋骨を激しく叩く。自然と、吐き出す声が鋭く尖った。
「未夏はどこだ?」
「おっはよー!!」
空気を読まない明るい声が、張り詰めた空気の和室を物理的に割るように響いた。襖の向こうに立っていたのは彩福だった。
「あれ?…お愉しみの最中でしたか~…これは失礼」
彼女は素早く襖を閉めようとする。
「いや、ちょっと待てよ!俺困ってるんだけど!?」
「何よ~そうなら早く言ってくれればいいじゃない…ん?」
彼女が襖を開け直して中に入った瞬間、氷水を浴びせられたかのようにその身体が硬直した。
「えっと、ちょっと…えぇ!?お姉ちゃん!?」
「えぇぇえええ!!??」
姉がいたのか!?
「あちゃぁ…バレちゃ仕方ないかぁ」
そう言うと彼女は虹色に輝いたかと思うと、彩福にそっくりさんな人が現れた。
「どうも~、彩福の姉の麻椰でーす。まやちんって呼んでくれてもいいよ!」
麻椰のむにっとした豊満な肢体が、シャツ越しにくっきりとその形が分かるくらい、俺の胸に覆いかぶさる。
「えっと…これはどういう…。と、とにかく俺からどいてくれないか!?」
密着した部分から伝わる彼女の熱と、ボタンの外れた服の擦れる音が、俺の理性の限界をガリガリと削っていく。彼女は残念そうな顔で退くと、乱れた衣服を整えた。
「そういや麻椰ねぇ、いつからここに来たの?」
「うーん?気付いたら布団の中にいたから、お酒を探して飲んでから記憶が無くなって…んで、ここにいるわけ!」
麻椰は歯が浮くような調子で猫撫で声をまくし立てながら、両手の指差しポーズで和室を指す。
「いやいや、なんでそうなる」
(ん?昨日までは未夏たちと一緒にいたから、麻椰はいなかったはずだけど)
そう思っていると俺はふと気づいた。
「彩福は俺の中から出てきたんだよね?」
「うんそうだよ」
「それだと麻椰も、誰かの中にいたってことにならないか?」
「あー…その線有り得るかも」
「ちょ…うちを不審者みたいな目で見るなし!」
「じゃあ麻椰ねぇは誰の身体から出てきたの?」
「えぇと…」
彼女は戸惑いながら咄嗟に何かを思いつくと、両手を広げて空間を切り取るような手つきで見せた。
「このくらいの大きさの女の子だったと思う!!!」
「「いや分かるかい!!!」」
「おはようございます…あら?」
現れた早七は、糊のきいた清潔な温泉浴衣に身を包み、さっぱりとした石鹸の残り香を漂わせていた。
「…うーん困りましたわね。侵入を許してしまうだなんて…」
「だから!!うちは不法侵入なんかじゃないってば!!」
「あら、ではどなたか招き入れたとでも?」
早七との間で、不穏な雰囲気になるのが分かる。早七はニコニコしているが、あれは喜んでいる顔ではない。淑やかな発言とは裏腹に、声からは想像もつかない圧迫感が麻椰をジリジリと追い詰めていく。
「えっと…これにはかくかくしかじかでして…」
圧倒された彩福が必死に擁護するも、早七の笑みは一層怪しい雰囲気を放っていた。
「では華緋に鑑定してもらいましょうか」
「えっと…なんか、うちとりあえずOKっぽい?」
「それは鑑定結果、次第かしらね」
「ふわぁ…おはようございますみなさん」
後ろから未夏が、眠気を帯びた潤んだ瞳で出てきた。
「うわぁああ!!未夏ちゃん!もう少し寝ていいから!!」
未夏の前を遮るように彩福が両手を広げ、未夏の肩を持ち回れ右で回転させる。
「…?何かあったんですか?」
「いいのいいの!!ささ!彩福と一緒に二度寝しよう!」
彩福はそう言うと妹を部屋に連れて行った。…よくやった。俺は心の中でサムズアップした。
「準備が出来ましたお嬢様」
「それじゃあ、お願いするわね」
華緋がクリスタルスカルを麻椰に向けた。水晶の内部でマリンボトルのように煮え立つ泡が七色に輝き、球体の形に集まり白い光を放ったかと思うと、一直線の鋭い光が麻椰の額を射抜く。
「う、うぅん?なにやってんのこれ?」
「あなたのナンバリングを検出しているところです」
華緋は光を掴み取るように、幾何学の模様が描かれた左手の本に叩きつける。目にも止まらぬ速さでページが高速でめくれ、次の瞬間ピタリと風が止んだかのように静寂を携えていた。
「…S744、特に大きな害はなさそうです」
麻椰は肺の底から安堵のため息を漏らし、肩の力を抜いた。
「妹の彩福と似た性格をしていますね」
(うーん、二人とも見た目もギャルだしな!!)
「…もしかするとですが、未夏さん。何か能力が発現したのかもしれません」
俺はその言葉に驚き、目を見開いた。
「ど、どういうことだ?」
「これを見てください。」
彼女の本をのぞき込むと、そこには未夏の情報が載っていた。
「いつの間にこんなことを…」
「みなさんの安全を管理するのも、メイドの務めですので」
ここをご覧下さいと言われ、指で示された箇所を見ると、そこには赤い文字で『|スペル ブレイカー《Spell Breaker》』と書かれてあった。
「これは能力が後天的に発現した時に現れるものです。理由は定かではありませんが、未夏さんの異変と麻椰さんの出現。この事象は何らかの因果関係があるはずです」
「えぇっと!そうそう!さっきの女の子みたいな感じの大きさから、うちが出てきたから、きっとそう!」
一件落着だと思った、そう思ったのも束の間。華緋は俺を憐れむような顔で見た。
「えぇと…他に何かあるのか?」
「いえ、特別なことではありませんが」
「…なんか余計に気になるのだけど」
「では単刀直入に。これをご覧ください」
そこには麻椰の情報が色々書かれてあった。
「えーとなになに…色情魔?」
「誰がビッチよ!!」
麻椰の手が俺の頬を叩き、乾いた音と熱い痺れが走る。朝から跨っておいて何を言うのか。とにかく俺はこの喧騒から離れたいと願った。
「ちょっとお手洗いに…」
そう言うと後ろから麻椰の声が、これでもかと大きく聞こえてきた。
「私が魅力的だからって、こっそりしないでよね~」
「んなするか!!」
はぁ、朝から気が疲れる。わざと言ったのだというのが、ありありと分かるように麻椰がニヤニヤしているのを見て、俺は苛立ちを募らせた。
喧騒を逃れ、廊下へ出る。ひんやりとした板張りの感触が足裏に心地いい。
トイレのドアを開けた瞬間 ――。
「…は?」
「んなななな!!!!!」
そこには、気まずさに顔を強張らせた彩福の姿が。彩福は顔を真っ赤にして、着ていた浴衣の帯やスリッパを投げつけてきた。
「この変態!!!スケベ!!!エッチ!!」
「か、鍵くらいしとけよな!?」
「普通ノックくらいするもんでしょ!!」
扉が叩きつけられるように閉まり、激しい衝撃音が鼓膜を震わせた。俺は仕方なく彼女が済むまで部屋で待つことにした。
「はぁ…いや俺が悪かったかもしれないけどさ…あーもう!!」
ここは穏便に済ませるために謝っておこう。俺は扉が開くのを聞いて立ち上がり、廊下で彩福とすれ違う時に開口一番に頭を下げた。
「すまん!!俺が悪かった!!」
俺は誠意を示すためにスッと手を差し出す。しばらくの間、返事が無かった。
「あのさ…その、わ、うちもよく無かったって思ってたし…分かったから」
俺が顔をあげると、彩福は両手を突き出すジェスチャーをしてみせた。
俺は数秒遅れでそれを察する。
「あ、すまん!!手を洗ってないんだよな…」
「あはは…」
微妙な空気が廊下に流れる。
その時、後ろから麻椰の声がした。
「朝から盛ってるねぇ~」
「「やってませんっっ!!!」」
「みなさん、朝食の準備は出来てますよ」
素榛の声で、ようやく平穏を取り戻す。
俺たちは素榛に着いて行き、昨日訪れた部屋の廊下にと、華緋が襖を開けて待っていた。部屋の中からパンのいい匂いがする。
「おはようございます、ご主人様」
慣れない言葉に俺は少しだけ反応が遅れて返事をする。席に着いて焼きたてのパンにジャムを塗って食べ始めた。
「このジャムすごく美味しい!」
未夏はそう言うと目を輝かせながら、美味しそうに頬張った。
「最高級のアプリコットジャムですのよ」
焼きたてのパンの香ばしい匂いが食欲を刺激する。アプリコットジャムを塗って一口運べば、滑らかな舌触りと濃厚な甘みが舌の上で踊り、鼻から芳醇な香りが抜けていく。華緋が入れてくれたコーンポタージュの温かさが喉を通るたび、強張っていた身体が内側から解けていくような幸福感に包まれた。
「では出立についてなのだけれど、万が一のことを考慮して由記くんと麻椰さんでお願いしてもいいかしら」
「え?ってことは毎日ゲーム三昧お菓子食べ放題でいいんすか?!」
「えぇ、約束した通り既に用意いたしましたわ」
彩福がガッツポーズを取った。その隣で麻椰がしょぼくれている。何も言わないところを見ると、かなりショックだったのだろう…
「えっと…私も残ってていいんですよね?」
未夏は早七に聞くと笑顔で答えた。
「もちろんよ、大切な弟君の妹ですもの。それにあなたまで行方不明になってしまったら支障が出てしまうわ」
「そ、それもそうですよね…」
「学校の登校も支障が無いように華緋を同行させるわ。実力もあるし心配しなくていいわよ」
「ありがとうございます…」
未夏は借りてきた猫のように、所在なげに指先をいじりながら答えた。
「ねぇねぇ未夏ちゃん、時間があったら一緒にゲームしようよ!!」
「えぇと…夏休みの課題が終わってからですかね…ははは…」
「優等生ぶってやんのー、まぁでもとことん付き合ってもらうからね!!」「妹ばかりずる~い~」
そうだ、もうそろそろ1学期が終わろうとしてる。
勉強についていけるだろうかと少しだけ不安になったりしたがそうも言ってられない。なぜ俺は毎日一緒に登校してたはずの甘奈を忘れてしまっていたのか。
彼女がどこにいるのか、探し出して救わないといけない。
あんなに親切にしてくれていたのに、感謝も出来ずにお別れなんてごめんだ。
「華緋が集合場所まで、ご案内いたします。ではご主人様、ついていらしてください」
俺と麻椰は玄関先で靴を履くと、未夏が廊下から走ってくる。
「どうしたんだ?未夏?」
未夏は何も言わず俺に抱きつくと、キスをしてきた。
「…!?」
絡みつく余韻が続く間もなく、未夏は耳まで赤くし部屋に戻って行った。
「へぇ~あんた、なかなか幸せ者じゃーん」
麻椰が肘で俺の脇腹を小突き、ニヤニヤとからかってくる。
「か、からかうのも大概にしろよ」
「へぇ、ご・しゅ・じ・ん・さ・ま?」
「う、うるせぇ」
「あははは!怒った!」
そう言うと彼女は腰をかがめて俺を見た。
「ずっと顔が暗そうだったからさ、もうちょっと気楽にいこうよ~。きっと妹さんも心配だったんだろうしさ」
「…麻椰がいれば、少しは気が紛れそうかな」
俺は気恥ずかしい想いを隠すかのように、足早に歩き出し日差しの下に出る。
「むぅ、なんだよその言い方。うちってそんな扱い?」
「感謝してるって言ったんだよ」
「ふーん…素直じゃないんだから」
彼女は口をすぼめたが、その瞳はどこか柔らかかった。
(こうして見ると癖が未夏とそっくりなんだよな…調子が狂いそうだ)
俺は頭の中で思い出した過去の記憶を振り払い、華緋とともに集合場所へ向かった。
「ここで間違いないですね」
そう言うと華緋は周囲を見渡した。
「はぁ…はぁ…うちもう疲れたぁ。どんだけ歩かせるのよ~」
麻椰が汗ばんだ額を拭い、地面にヘナヘナと座り込む。風があまり吹かず太陽がカンカンに照らす道路の上では、余計に湿った暑さで汗が噴き出てくる。
「普段から歩いてないからだろ」
「み、水~!」
「どうぞ」
華緋は麻椰に水の入った水筒を渡した。いやどこに格納しているんだそれは??
「いやぁ助かるぅ~…ングッ、ングッ…ぷはぁ!」
麻椰は俺を見ると、水筒を一瞥したかと思うとニヤニヤし始めた。
「な、なんだよ」
「喉乾いてないのかなぁって」
「別に…そんなことねぇし」
「つよがんなって~…それとも間接キスを気にしちゃってる?」
「し、してねぇよ」
「あ、もしかして図星?図星なんでしょ?」
そう言ってからかっていた麻椰だったが、華緋はそれを見て一言言った。
「それだと私が麻椰さんと間接キスしたことになりますね」
「へ?」
彼女はしばらくフリーズしたかのように固まった。
「な、なんで言ってくれなかったのさ!?」
すると華緋は顔を赤らめて恥ずかしそうに言った。
「元々はご主人様のために用意したものですので…」
「はぁ!?間接キスしようって魂胆だったわけ!?」
「そうですが何か?」
さも当たり前のように答える。
「こ…このぉ…このビッチメイドめ!!!」
「ご主人様のことを想う故、万が一のことを考えて毒見をするのもメイドの務めです」
「うぅ…由記くんにビッチって言われ…メイドにもビッチ認定された…うちもうお嫁にいけない…」
「ま、まぁそこまで落ち込むことないだろ!?な?」
どこかで見たような場面に俺は苦笑しながら、麻椰の背中を擦った。
その時、遠くから火花を散らし、空気を引き裂くような爆音が近づいてきた。
「なんかめっちゃすごい勢いで来てるんですけどー!?!?」
麻椰は俺の後ろに隠れてワナワナと足を震わせていた。猛スピードの車がスライドしながらアスファルトを削り、鼻を突くタイヤの焦げた匂いと共に目の前で静止した。
「やぁ、あんたたちが茉佑の言ってた大事なお客さんかい?」
太陽に照らされたブラックダイヤモンドが散りばめられた金色の車はかなり目立つ。サングラスを外すと、スタイリッシュな髪にかかった鋭い眼光で、思わず見惚れてしまう。
「あれ?以前に見てた人気インフルエンサーじゃないっすか!!」
「おや、僕のことを知っていたんだね」
彼女の放つ自信溢れるオーラが肌を圧し、握手を交わしたその手はとても力強かった。
「入徳 一榎だ。今日はよろしくな」
俺たちは一榎の車に乗り、姿が遠くなっていく華緋に手を振りながら、心に新たな決意を抱く。




