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AI少女の転生特典~119番を呼べなかったAIが異世界で俺を再構築する。代償は利き手、甘味、そして彼女の命~  作者: 鳴島悠希


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第96話 夢の問いと作戦の夜

 四回目の身体は、感知の端に「隅」があった。


 うまく言葉にならないが、床に足が着く時の感触が一段階多い気がした。石と木と土の違いが以前より細かく来る。術式の感知ではない——単純に、皮膚の精度が上がっているようだった。「悪いことか」とユミナに聞いた時、「まだ分かりません」という返答だった。それで十分だった。分からないことはたくさんある。確認できることから確認していく段階だった。


 草地に横になりながら、ユミナが頬を拭う様子を見た。いつも通りの顔をしようとしていた。「悪かった」と言って、「……はい」と返ってきた言葉が、まだ手のひらの内側に残っていた。正確に何が悪かったのかを、今もまだうまく言語化できていなかった。ただ——言う必要があった、という確信だけが残っていた。


 ---


 試験線から引き上げてから翌日の午前、ヴァリスの書斎でレイナとミリアが揃っていた。


 恒一とユミナは呼ばれた形だった。書斎の窓から朝の光が入っている。机の上に地図ではなく、覚書が一枚だけ置かれていた。


「昨日の試験線の件について」とヴァリスが言った。「確認がある」


 レイナが先に口を開いた。視線は窓の方向だった。声は静かだった。


「ユミナ殿が、恒一殿を再構築された時——その際に用いた術式を、確認しました」


 誰も返事をしなかった。


「封じることと使うことは別ですわ——以前、そう申し上げました」とレイナは続けた。「昨日草地で見たものは——封じているお手ではありませんでした。行使でした」


 一語一語が短く、感情が削られていた。断罪ではなかった。記録だった。ヴァリスが手元の覚書を一度だけ押さえた。


「ミリア」とヴァリスが言った。「お前はどう見た」


 ミリアは少し間を置いた。目は動いていなかった。


「同じ、だよ」とミリアは言った。いつもの軽い言い方ではなかったが、語尾だけは残った。「行使、と見た。レイナと同じ」


 部屋が静かになった。


「今これを公表すれば」とヴァリスが言った。「教国は聖戦宣言に向かう。そうしない。それは変わらない。ただ——事実として内輪で確認しておく必要があった」


「異議はありませんわ」とレイナが言った。


 ミリアが少し首を傾けた。何か言いかけて、止めた。


 恒一は壁際に立っていた。


「一つだけ」と恒一は言った。


 全員の視線が来た。


「昨日、あれを使わなければ——俺は死んでいた」


 声に感情はなかった。事実として置いた言葉だった。


「現場にいた証言として」と恒一は続けた。「記録に入れてくれ」


 ヴァリスが少し間を置いた。頷いた。「記録する」


 レイナが恒一を見た。一拍置いて、視線を外した。その視線に怒りはなかった。何かを理解した時の、静かな確認があった。


「以上か」とヴァリスが言った。


 誰も声を出さなかった。


 書斎を出る時、ミリアが恒一の横を通り過ぎた。いつもの弾む足音だったが、速度が少し遅かった。


「コイチって」とミリアは言った。声は低かった。「証言するの、早いね」


「事実だから」


「うん」ミリアはそれ以上言わなかった。廊下の先へ歩いていった。


 横に並んでいたユミナが一拍遅れて歩き出した。恒一は横からユミナの顔を見た。表情は変わっていなかった。いつも通りの顔をしていた。


 ただ——今は、そのいつも通りの顔が、どういう意味を持っているのかを、昨日より少し別の角度で見ていた。


 ---


 試験線から三日が経った夜、夢を見た。


 場所は判断できなかった。暗くはない。光源がどこにあるか分からない、白でも暗でもない空間だった。匂いもない。空気がある、というより「状態がある」という感じだった。


 文書の束がそこにあった。


 見出しがなかった。背表紙に何かを書いた痕跡はある——欄の形は残っている。しかし文字が入っていない。恒一は一冊を手に取った。ページが開いた。内容はあった。何かを受信した記録が連なっている。ただし送信者の欄が、全ページで同じように空になっていた。送信元が除かれたまま、受信だけが継続している形で記録されていた。


 ヴェルダと読んだ保全記録に似ていた。削除の痕と同じ手触りだった。


「ネヴァンか」と問いかけた。


 空間は何も変わらなかった。文書の束がある。送り返す経路のない記録がある。恒一が言葉を置いた空間は、その言葉を受け取ったのかどうかも判断できなかった。


 もう一度、言葉を選んで問いかけた。


 返答はなかった。


 正確には、返答がないとも言い切れなかった。夢の空間が「返答」という概念を扱っていない可能性があった。言葉で問いかける、という形式そのものが、ここでは届かない形なのかもしれなかった。


 扉のない入口が見えた。


 入口の形をしているが、扉がない。枠だけがある。向こうに何があるかは見えなかった——見えないのではなく、その先が「ない」わけでもなく、ただ今の自分の感知では読めない形をしているのかもしれなかった。


 送信路が見えた。


 名前が抜けていた。どこへ届けるかの名称が、最初から書かれていない経路だった。経路の形はある。機能はしているかもしれない。しかし「誰への」が除かれている。受信だけが続いている。


 夢の中で、恒一は言葉で掴もうとしていた。問いかけることで、何かを引き出そうとしていた。


 返答が来ない理由が、相手に「返答する意思がない」からではないかもしれない——という考えが来た。言葉で問う、という形式が、そもそもここに届かないのかもしれない。


 目が覚めた。


 窓から光が入っていた。朝の白い光だった。


 夢の中で考えたことが、起きた後もそのまま残っていた。


 以前の夢の時は、断片が一方的に来た。今回はそれがなかった。来なかったことに意味があるのか、来なかっただけで意味はないのか——判断する材料が足りなかった。


「ネヴァンか」と言葉で問いかけた時、相手に「言語で返答してほしい」という前提を持っていた。しかし——以前の夢から今まで、ネヴァンが言語を使ったことは一度もない。言葉ではない形で来る。文書の欄として来る。均等な空白として来る。扉のない入口として来る。


 その形式に、自分の側が合わせようとしたことがなかった。


 問いかける、という行為に、問いの形式の選択が含まれていた。


 言葉で掴もうとするのが間違いなのかもしれない、と思い始めていた。


 答えは出なかった。窓の外では朝の光が石畳を照らし始めていて、遠くで誰かが荷物を運ぶ音がした。恒一は起き上がり、上着を手に取った。今日やることがある。考え続けるための場所は、動きながら探せばいい。


 ---


 ヴァリスの私室は、夜になると書類の山で占領される。


 机の上に広げられた地図は、中央ダンジョンのあるエルセア一帯を示していた。地下層の深さと地上の距離を同じ縮尺で描こうとした縦長の図と、地下十二層を水平に展開した紙が並んでいた。燭台の光がその境目を照らしていた。蝋の匂いがした。


「全員揃ったな」とヴァリスが言った。


 恒一は部屋を見た。ヴァリス、レイナ、ミリア、フェリル、ユミナ、自分——六人だった。


「エルセアには既に確認を取ってある」とヴァリスが続けた。「ヘルマ、ノル、ヴェルダ——三人ともエルセアで待機中だ。リガードは独自に調整する。今日は、こちら側の役割の確認をする」


 ヴァリスが地図に視線を落とした。


「まず、エルセア組の役割をまとめる」


 手短に述べた。ヘルマは地盤安定——ダンジョン内の崩落を防ぐ地形保全。ノルは浄化と継続支援——瘴気の局所浄化と全員の状態把握。ヴェルダは記録解読——深層記録の構造を解析し続け、変動があれば即時連絡。リガードは前衛突破——物理的な障害の排除と道の確保。


「以上がエルセア組の確認済み担当だ」


「ヘルマは承諾したのか」とミリアが言った。「あの人、こういう作戦嫌いそうだよね」


「承諾した」とヴァリスが短く返した。「条件がついた」


「なに?」


「報告書は自分が書く、と言ってきた」


 ミリアが声を立てずに笑った。レイナが視線を窓の方に動かした。恒一はヘルマのことを思い出した。あの三原則だった。報告・帰還・報告書。


「リガードからも一言あった」とヴァリスが続けた。文書に視線を落とした。「『前は俺が押さえる。お前は見て、言え』——コウイチに伝えるよう頼まれた」


 恒一は何も言わなかった。ヴァリスが頷いた。


「次に、こちら側の役割だ」とヴァリスが続けた。文書を一枚手に取った。


「ミリア。楔外縁の同調修復を頼む」


 ミリアが顎を引いた。軽い仕草だったが、目が動いていなかった。「了解。あたしの範囲は内側じゃなくて外縁の接点ね?」


「そうだ。中枢には手を入れない」


「オーケー」とミリアは言った。「それならあたしの守備範囲」


「ユミナ。中枢解析と再構築の準備を頼む」


 ユミナが頷いた。声に出さず、一度だけ頷いた。


 恒一は横から見ていた。ユミナの顔色は安定していた——表面上は。昨日草地に横たえた時の、あの密度の違いがまだ手に残っていた。今の状態を正確には把握していなかった。ただ——把握しようとしていなかったのが以前の話で、今は、把握できていないことを知っていた。それだけ違った。


「レイナには、外側の警護を頼む」とヴァリスが続けた。「深層への降下中、地上で何かが起きた場合の対応だ。騎士団の指揮と、ダンジョン入口の封鎖権限を持ってもらう」


「承知しましたわ」とレイナが言った。「ただし——何かが起きた場合の定義は、明確にしておきたいですわ。教国が動いた場合の権限範囲も含めて」


「文書で出す。明日の朝までに」


「宜しくお願いいたしますわ」


「フェリル」とヴァリスが言った。「精霊機関車の待機を頼む。エルセアへの移動経路の確保と、撤退時の最速輸送だ」


 フェリルが一度目を閉じた。了解の仕草だった。声は出さなかった。


「俺は」とヴァリスが言った。「外から動く。情報の遮断と、教国への対処を同時に行う。作戦が進行中は王城を離れられないが——進行状況は随時報告を受ける」


 部屋がわずかに静かになった。ヴァリスが入れない、ということだった。


「最後に」とヴァリスが言った。


 恒一に視線が来た。


「コウイチには、空白の読解を頼む。それと——必要なら、受信路への侵入も。君の役割は、斬ることではない。誤った接続を選び直すことだ」


 受信路への侵入。ミリアが首を少し傾けた。「受信路って、何?」


「深層の記録構造の話だ」とヴァリスが言った。「説明は」


「俺が説明する」と恒一は言った。ヴァリスが頷いた。


 恒一は言葉を選んだ。ヴェルダと確認した構造を、別の言葉に変える。


「楔の記録に、送り手のいない受信経路がある。送信先の記録は残っているが、起点が除かれている。その起点があった場所に——立てるかどうか、の話だ」


「起点って?」


「誰かがいた場所だ。記録から外されているが、形は残っている」


 ミリアが少しの間だけ考える顔をした。それから言った。「コイチが行けそうな場所は、コイチにしか見えない感じがするよね」


「そうかもしれない」と恒一は言った。


「そうかもしれない、じゃなくてさ——そうじゃなかったら、あたしたち全員で今まで何やってたの、って話になるよ」


 誰も返事をしなかった。しかしその言葉が部屋に残った。


「……俺にできるのは、読むことだけだ」と恒一は言った。


「それで十分だ」とヴァリスが言った。間を置かなかった。


「出発は四日後を想定している」とヴァリスが続けた。「それまでに各自、準備と確認を完了させてほしい」


 全員が頷いた。


「以上だ」とヴァリスが言って、地図を丸め始めた。


 恒一は立ち上がった。受信路への侵入。まだ方法は分かっていなかった。分からないまま、引き受けた。


 ヴァリスが地図を巻く音が、燭台の光の中に静かに響いていた。



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